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水色桔梗ノ末裔   作者: げきお
畿内統一へ駆ける
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97話 織田旧臣達の黄昏

天正十年六月四日、細川兵部大輔藤孝は子息二人を呼び善後策を協議していた。真夜中に京からの早馬が到着し、惟任日向守の謀反と信長父子の生害が知らされたからである。

藤孝はこの時光秀の組下大名であり、また嫡男忠興の正室は、光秀の娘、玉子である。故に複雑な事情が絡んでいたのである。

元幕臣であり、名門の家柄である藤孝にとっては、元々格下である光秀の組下である事に忸怩たる思いもあった。しかし、天下一統間近の信長幕下にあっては異の唱えようも無く、従っていたのだ。勿論藤孝に対して光秀は奢るでもなく、丁重に接していた。そして、縁戚でもあるため常に顔を立ててもいたのである。しかし、信長生害の事実は、細川家の行く末に関わる事である。

縁戚だからと言って、無条件に従うわけにも行かなかった。


「与一郎……どうしたものか?いずれ日向守殿から与力するよう書状が来るであろうが……わしは無条件で従う訳には参らぬと思う」

藤孝はそう問いかけた。


「父上……お立場お察しいたします。某は玉が不憫でなりませぬ……

しかし、このままという訳には……」

忠興は苦悶の表情を浮かべながら答えた。


「父上……如何されるおつもりです?」

頓五郎興元もどうしていいかわからずにいる。


「うむ。わしと与一郎は頭を丸めるか?前右府殿の喪に服するという意味で……

玉殿は、どこぞに幽閉するしかあるまい。

その上で形勢を見ようかと思う。今の時点で旗色を鮮明にするのは避けようぞ」

藤孝はそう決断したのであった。

そして、玉は味土野という在所に幽閉されたのである。

暫くして光秀からの書状が届いたが、剃髪して喪に服することにしたのだった。これは歴史通りの展開であるが、畿内での展開はすでに歴史と違った歩みを進めていた……





天正十年六月三日

此処は摂津国、有岡城である。

池田勝三郎恒興は軍議を開いていた。六月二日に信長の訃報が伝わり、悲嘆にくれたのも束の間、案の定、荒木村重の旧臣達や国衆達の一揆が勃発したのである。

信長の乳兄妹である恒興は、当然反明智派と見なされ、織田家に敵対する勢力からの格好の的になったのであった。

恒興は、その出自にしては出世が遅れ、この時点でも光秀の組下大名であり、摂津北半を領しているに過ぎない。集められる兵も多くても五千程度に留まっていた。


「一揆の者共……今のままでは捨て置けぬ。対抗せねば舐められるばかりじゃ。

まずは出陣して蹴散らしてくれようぞ」

恒興は、状況が読めぬ中で兵を集め、有岡城を固めていたが、城の周囲にまで跋扈する一揆勢に我慢の限界が来たのであった。


「父上、一揆ごとき、父上が出張る必要もござるまい。

某と三左衛門で片付けて参ります」

嫡男元助が勢いよく答える。


「兄者と某にお任せを……」

次男輝政もすぐに答えた。


「わかった。では任せようぞ……深追いはせぬようにな?」

そう釘を刺すと、二人は勇んで出陣していった。


恒興は一人もの思いに耽っていた。幼いころからずっと一緒に過ごしてきた信長の影が過る。上様……吉法師様……何故、逝かれてしまわれたのか……

しかし、恒興にはそんな感傷に浸る余裕も失われつつある。

今後の身の振り方が読めぬのだ。

恒興自身は、信長を弑逆した光秀の与するという考えは持てそうにない。

しかし、一方で自身が滅ぶのだけは避けねばならない。

そう考えたとき、意に添わぬが秀吉が戻るのを待つしかない……そう結論するしかなかったのだ。秀吉さえ戻れば共同して仇討ちもできよう物である。

だが、それまで時間を要するであろうし、しばらく一揆勢相手に小競り合いをするしかない……そう考えた時に、己の力の無さを目の当たりにするのだ。自身の運命が、他者の行動に握られているのである。考えれば考えるほど、恒興は胸糞悪い感覚を覚えたのだった。


六月六日、信澄の割拠、雑賀衆の寝返り等、畿内の情勢が刻々と伝えられた。また、光秀が京を出陣し、河内まで出征した事が伝えられると、益々孤立感が深まったのである。

最早、頼りとするのは秀吉しかなかった。そして、七日には秀吉からの書状が届いたのである。秀吉からの書状には、すぐに戻る故、有岡城を固めよ……そう記されていた。

元々、格下だった秀吉に軍の行動を制約されることに恒興は憤ったが、今更言っても詮無い事であり、実際に秀吉を頼らざるを得ない自身に、複雑な物も抱えたのである。





一方、六月四日に越中魚津城の囲みを解いた柴田修理亮勝家は、取敢えず領国に戻ることになっていた。しかし、上杉方に備えなければならず、佐々成政を富山城に留め置き、北ノ庄に帰還した。

勝家は近江に出陣する意図を明確に持っていたが、案の定、国衆や一向宗の一揆が相次いだ。前田利家や不破光治も当然その対応に追われた。近江に出陣するどころか、援軍を要請される始末である。ここに来て、勝家は早期の近江出陣を見送らざるを得なかったのだ。


「玄蕃、近江の状況はどうじゃ?寡兵でも出陣せぬわけにはいかぬであろう?でなければ、筆頭家老たるわしの沽券にかかわる」

勝家は、佐久間玄蕃允盛政に問いかけた。


「叔父上……わしも近江に出張りたいのは山々じゃが、ちと具合が悪そうじゃ。枢要な城はすでに固められておるようじゃ。光秀は左馬助を大将に五千程近江に置いておるらしい。やれぬ事は無いが、心許ないと思う。我らは現状で兵を集めても五千が手一杯かもしれぬ」

強気の玄蕃も、さすがに現状を鑑みれば無謀という事はわかったのだ。


「兎に角、領内の一揆勢を先に片付けるしかないか?」


「そうでござるな。それより、光秀を討つには他の者との連携を必要かもしれませぬぞ。畿内の動静を見極め、三七殿や三介殿とも手合いすべきかと?無論、羽柴殿と挟撃できれば勝利は疑いないでしょうが……」

玄蕃は当然そう答えた。


「胸糞悪い話じゃ。羽柴と手合いなど……彼奴は野心家じゃ。何を考えておるかわからぬ。借りなどつくりたくないわぁ~っ」

勝家はそう言い放った。過去にも遺恨があり、冷静な状況分析とは別の次元で勝家は秀吉と手合いすることを拒んだのである。







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