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水色桔梗ノ末裔   作者: げきお
畿内統一へ駆ける
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92話 中国大返し発動

天正十年六月四日、俺は塩飽諸島にいた。細やかながら伝太夫が宴を設けてくれたのだ。元来酒が飲めない俺は対応に難儀したが、代わりに「ザル」である源七が海の男たちと張り合っていたのである。俺はその合間に山地九郎左衛門に詫びを入れた。


「九郎左衛門殿……苦労をお掛け致した。この通りです」


「何を申される……某は主命を報じたのみ。

それよりも、弥三郎殿の船が楽しみにて……

某も見るのは初めてでござってな」

九郎左衛門は、命の危機にあった事など忘れ去って、その事で頭が一杯のようであった。そんな九郎左衛門も讃岐水軍の海賊大将である。気になるのであろう‥‥‥


六月五日早朝、俺は塩飽水軍の船団50隻と共に島を後にした。途中讃岐水軍の船団30隻と合流し、淡路に向かうためである。瀬戸内のこの辺りは海の難所で、潮流が頗る早い。

俺は操船は素人で分からないが、塩飽水軍の操船技術が凄まじい事だけは理解できた。正直何度も船酔いしそうになるのを堪えていたのだ。


「若殿……大丈夫でござりますか?顔色が優れませぬな?」

源七が声をかけてきた。


「うむ……何とか……源七は昨日あれだけ飲んで、この船の揺れ……大丈夫なのか?わしはかなり酔ったようじゃ」


「某は鍛え方が違います故……しかし、命がけの使者でしたが、無事戻れて何よりです。今後はどのように事が運ぶのでしょうか?」

源七でも色々心配事があるのだ。


「わしにも正直わからぬ。畿内の動静も情報がない故な……

だが、わしは父を信じておるし、孫三郎や長安もおる。

上手くいっておると信じたいが……」


「はい。取り敢えず、毛利がうまく羽柴の反転を遅らせてくれただけでも収穫でございますな?あの恵瓊とかいう外交僧は、かなりの曲者に思いまする」

源七もよく観察している……俺はそう思った。


「恵瓊殿もそうじゃが、恐るべきは左衛門佐殿かと思う。

わしは未来知識を知っておったから冷静に対応できたが、あの戦略眼は並大抵ではない。羽柴と同盟はするが、いつでも切り捨てる腹積もりじゃ。

結果、毛利は何も消耗せず果実だけ頂戴する……わしが予想した最良の選択を選んだという事じゃ。心して掛からねば、将来難敵となり得る」


「左様でござりますか……某の頭ではよくわかりませぬが……」


「いや、わしもわからぬのじゃが、毛利は外交的に色々な道具を持っておるという事じゃ。例えば村上水軍じゃ。秀吉の仕掛けで分裂しておったが、同盟すれば元の鞘に収まる事になる。我らの水軍が負けるとは思わぬが、かなり手強い敵とはなろうな……

それに、将軍義昭公を保護して居る。これもいざと言う時に力になるであろうな……名ばかりとは言え、未だ征夷大将軍じゃ。大義名分を掲げやすいのじゃ」


「益々、某では理解できぬ領分です」


「はははっ……源七にはもっと力を発揮できるところがあろう?

これからも頼み入るぞ……」


「勿論でございます。某の使命は心得ており申す」


こうして、俺たちは海の上で談笑していた。





一方、備中高松城である。最後通牒を突き付けられた恵瓊は、隆景や元春と意見の一致をみて、最後の交渉に臨もうとしていた。何度か官兵衛からの督促があったが、焦らしていたのである。

そして、六月五日の朝になって、漸く重い腰を上げたのであった。

その仕打ちに、黒田官兵衛は外交交渉の敗北を予感していた。


「殿、やっと恵瓊殿が来られるとの事。殿も同席の上、話し合いたいと申し出がありました。この期に及んでは致し方ござりますまい……」

官兵衛は沈痛な面持ちで、秀吉に語り掛けた。


「官兵衛……もう五日じゃ。すべて伝わっておると見るべきであろうな?淡路の陥落と言い、平仄が合いすぎておる。日向守は長宗我部と事前に手合いしておったのであろう?上様生害も海からすでに伝わっておったのではないか?あの坊主と左衛門佐に嵌められたのであろう?」

秀吉は確信をもって語った。


「殿、某の不徳の致すところ……軍師としての面目もござりませぬ」

官兵衛は、毛利方に知略で後れを取った事に深く傷ついてもいた。


「官兵衛、気にすることはない。結果的に毛利は和睦に応じるであろう?

極端な話、対等の和睦でも良いのじゃ。

要は、光秀を討ち、畿内を治めれば良いではないか?

官兵衛の役どころも大きくなったと思えばよい」

この上昇志向が秀吉の真骨頂である。


「ははっ……お任せ下さりませ」

こうして官兵衛は平伏したのである。




暫くして、恵瓊が陣中を訪れた。

「筑前殿……遅れましたる事お詫び申し上げる。

やっと毛利家としての結論が出来いたしました」


「恵瓊殿、最早掛け値なしにお願いいたしたい。

些か、腹の探り合いには飽き申した。

存念を包み隠さずお話し頂けませぬかの?」

秀吉は、すべてを恵瓊に委ねるつもりで答えた。


「然らば申し上げまする。高松城兵と清水宗治殿は総赦免願いたい」


「では領地の割譲については如何か?

恵瓊殿……すべて申し上げるが、我らとしては一刻も早く和睦いたし、畿内に軍勢を向けたいと思うておりまする。織田信長公が生害為された事実……ご存じなのであろう?」


「これは参りましたな……左様……すでに伝わって居りまする。

然らば、伯耆・美作は割譲致しますが、これは一時的として、筑前殿が畿内を制した暁には、返還をお願いしたい。駿河守様も、すでに了承済みにて、これ以上の条件は飲めませぬ。

如何でござるか?和睦がなれば、心置きなく畿内に戻れますぞ?」

恵瓊は最終結論を述べた。


「はははっ。御坊には負けたわ。それで手打ちと致そう。

これで毛利家とは堅い絆で結ばれたと思いたい。

我らが逆賊明智と戦うに当たっては、またお骨折り頂きたいが……」

秀吉は即座にその条件を呑んだ。


「はい。我らで出来ることがあれば……検討はできるかと」


「うむ。ではその節は頼み入る。

官兵衛、後は撤退の件、速やかに準備してくれ」


こうして、いとも簡単に和睦は成就したのである。

お互いの腹の探り合いは、時間の経過が解決した形となった。

秀吉は譲歩したものの、光秀への挑戦権と、毛利家との同盟という果実を手に入れたのであった。時間的損失と引き換えに……

これが今後の歴史にどのように作用するのであろうか……

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