81話 尊延寺の奇襲
天正十年六月二日
堺にて松井友閑の屋敷を辞した徳川三河守家康は、本多平八郎忠勝を京に向け先発させ、自身も配下と共に上洛しつつあった。信長に礼を述べるためである。
そして、午後、河内国飯盛山付近まで来たときである。先発していた本多忠勝が血相を変えて合流したのだった。京都の豪商、茶屋四郎次郎からの早馬が忠勝に注進したのであった。
曰く「織田信長公、京の本能寺にて重臣明智光秀の謀反によりご生害。嫡子信忠殿も、二条新御所にて殉じられた由……」
信長生害を聞いた家康は、衝撃を受けた。
「わずかの供回りのみで仇討ちも叶わぬ……かと言って、主要な道筋はすでに明智勢が溢れておろう?この上は知恩院にて、上様に殉じようと思う」
家康は捨て鉢になり、心情を家臣に吐露したのだった。
そこへ、忠勝が待ったをかけた。
「殿……何を情けない事を仰せか。小勢と言えども我等精鋭にござる。
必ず、殿を落ちさせてご覧に入れますぞ」
「三河守殿……上様の同盟者として、仇討ちをお願い申す。
某、畿内の地理には明るうござる。此処、河内から宇治田原を抜け、伊賀越えにて三河へ帰還為されますよう……道中の地侍共へ、合力するよう遣いを出しまする」
同行していた長谷川秀一が提案した。
「長谷川殿、それは心強い。
殿、木津川さえ渡れれば何とかなり申そう。伊賀衆も駆けつけましょう。
この人数なれば返って目立たぬやもしれませぬ。
時間は貴重にござります。早速出立いたしましょう」
服部半蔵正成が、その方策に同意した。
「殿、万一を考え、某とお召し物を交換いたしましょう。
例え我らが倒れようとも、三河に帰って頂かねばなりませぬ。
殿は目立たぬようにして下され……」
酒井左衛門尉忠次が答えた。
「皆の者……わしは果報者じゃ。
この上は一人も欠けることなく三河に帰ろうぞ。
長谷川殿、お頼み申す……」
家康は決意し、伊賀越えにて帰還の途についたのだった。
一方、京から移動した明智忍軍は、家康を襲撃すべく、河内北部の尊延寺付近の雑木林にいた。宇治田原から伊賀越えを目指すとなると、光秀が指摘した様に木津川を渡るまでが勝負である。源三は、尊延寺から普賢寺谷へ抜ける間道を襲撃場所に選んだのだった。
明智忍軍は総勢二十名。人数的には不利である。奇襲にて目的を達成し、すぐに撤退する段取りであった。まずは手榴弾で攻撃し、切り込むつもりでいた。
源三は、小頭の夕霧を呼んだ。
「良いか?初撃で何人かは倒せよう。しかし、懸念もある。影武者あるいは、家康本人でなかった場合じゃ。我らは判断がつかぬ。
お前は家康と思しき武将に目星を付け、その弓にて狙うのじゃ」
「心得た。あたいに任せな……この鉄弓なら距離があっても外さない。
しかし、半蔵も一緒なら、手強いね」
小頭の夕霧は源三に対してもため口である。明智忍軍随一の弓使いである。その弓は所謂和弓とは異なった現代のボウガンのような武器だ。
「弥一、大殿の宿願を達するためには、少々無理もせねばならん。
討ち死にも出よう……相手は徳川の精鋭じゃからな。
万一があれば、お前が指揮し、無事に撤退させるのじゃ。
犠牲は最小限に留めねばならぬ」
「承知。ですが、某も無理は致します……」
弥一は命令を言外に拒絶し、何としても任務を全うするつもりなのだ。
「家康はおそらく尊延寺で休息しよう?
その後、この間道に出てきた時が勝負じゃ。
火種は絶やさず、怠りなきようにせよ」
源三は、配下に激を飛ばし、間道脇の雑木林に二手に別れ潜んだ。
そして、物見を出し動向を探る事にしたのである。
その頃、家康一行は順調に旅程を消化していた。
「殿……穴山殿は宜しいので?」
榊原小平太康政が聞いた。
「ほっておけば良い。人数が多い方が良いが、我等を警戒しておるのであろう?
浅ましき事よ。まあ、あの人数では、下手をすれば、一揆共の的にもなろう?」
家康はぶっきら棒に答えた。
「殿……尊延寺で少し休憩し、日没までに木津川を渡りましょう。さすれば、一山超えまする」
忠次が予定を披瀝した。
「尊延寺からは山間の間道に入ります。警戒致しましょう。一揆勢や明智の忍び供が心配です。何も無ければ良いですが……殿は目立たぬよう、心掛けて下され」
半蔵が改めて家康に促した。
「相分かった。皆も決して命を無駄にするでないぞ」
家康も改めて言った。そして、尊延寺にて小休止したのである。
そして、その様子は明智忍軍の知るところとなったのである。
家康一行は周囲を警戒しながら、尊延寺を後にした。この時点で隊列の中央から後方に紛れ、大将らしからぬ装いになっている。半蔵を先頭に、家康の影武者となった忠次を囲んで進んでいた。
そして、一里近く進んだ時、半蔵が声を張り上げた。
「散れーーっ。火縄の匂いじゃ。周囲の林に逃げよーーっ」
同時に、隊列の周囲て数発の手榴弾が炸裂した。間一髪、半蔵の声に反応し、被害は少なかったが、それでも数名が負傷したように思われた。
しかし、間髪入れずに棒手裏剣が襲いかかる。武芸達者の多い家康配下でも、平服のため数名が手傷を負う。そして、明智忍軍が斬り込んだ。激しい肉弾戦が展開される。
中でも、本多忠勝と渡辺半蔵守綱は自慢の槍を振り回し、奮戦していた。
源三は卓越した俊敏な動きで、行く手に立ちはだかる家康配下を躱し、家康に迫る。
そして、宙を舞った。二本の棒手裏剣を空中から放ち、家康に斬りかかった。棒手裏剣は家康の腕に突き刺さる。
「家康覚悟ーーっ」
着地すると同時に、地上を高速で突進する。危しと見た二人の半蔵が援護のため、急速に迫る。
そして、源三の刀が家康の胸に突き刺さった。同時に、渡辺半蔵守綱の槍が源三の背中を抉った。痛手を受けながらも、源三は短刀を抜き放ち、家康の首に突き立てた。しかし、その時気付いたのだ。討ち取った侍が影武者であることに……
「夕霧ーー仕損じた。家康は忠勝の背後じゃーー」
それが源三の最後の言葉であった。服部半蔵がすかさず首を刎ねたからである。その様を弥一や夕霧始め、明智忍軍の全員が見ていた。
当然、全員が真の家康目掛けて突っ込む。夕霧だけは、上空の木の上から狙っていた。
「気取られたぞ……殿をお守りせよーーっ」
忠勝が大音声を挙げた。
この時点で両軍には数名ずつの討ち死が出ていた。深追いを戒められていた明智忍軍も、一矢報いるまではと最後の突撃を敢行しようとしていた。特に組頭の源三を討たれた配下は、いきり立ち突っ込む。小頭の夕霧も制御できない。
そして、一瞬の間があり、同時に明智忍軍は最後の突撃に移った。両軍が火花を散らす。
弥一は覚悟を決め、長めの導火線の手榴弾に点火し、懐にしまうと、両軍の間を縫い、家康目掛けて突進した。自爆する腹積りなのである。弥一は、光秀の言い付けに背く自分を心の中で詫びた。
「うぉーーーっ」
弥一は家康のみを目掛けて突進した。家康の配下も行く手を阻もうとするが、乱戦の中で止められない。三ヶ所ほど切られたが、死を覚悟した弥一は止まらなかった。
「隼太ーー、引き揚げよーーっ」
弥一は家康まであと一息まで迫った。しかし、忠勝の蜻蛉切が弥一の胸板を貫いた。同時に、石川数正が弥一に組み付き引き離した。そこで手榴弾が炸裂した。その様を見た忠勝はすぐに家康の前面に立ちはだかった。
「シュシュッーーン」
家康目掛けて、矢が襲った。同時に忠勝は蜻蛉切で弾き返す。だが飛来した矢は一本ではなかった。武芸達者の忠勝でも、二本目は躱しきれず、その矢は忠勝の左目に突き刺さった。
その様を見た夕霧は引けの合図を送った。万策尽きたからである。明智忍軍は十名が討ち死していた。
しかし、未練を見せる事なく、即座に退却したのである。
山間の道沿いには両軍の骸が二十以上転がっていた。家康一行は十数名が討ち死にし、殆どが手傷を負っていた。しかし、遺体を放置したまま、先を急がざるを得なかったのだ。
酒井忠次、石川数正など譜代重臣の筆頭格が討ち死したが、家康は擦り傷で済んでいた。ひとえに家康配下の奮闘の賜物であった……
すでに日没を過ぎていたが、家康一行は木津川を渡河することができたのである。




