表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
水色桔梗ノ末裔   作者: げきお
本能寺への道
74/267

73話 愛宕百韻

天正十年五月二十六日

光秀は近江坂本から丹波亀山に移った。そして翌日、愛宕権現に参詣したのである。

籤を三度も引くという、珍しい事もやった。神にも縋りたいような心理が、光秀ほどの武将にもあったのかもしれない……

そして二十八日、威徳院西坊で連歌の会を催したのである。

この日光秀は、この連歌会に次男十次郎光泰を伴っていた。勿論、俺の代わりに連歌会に参加するためである。

俺は、父光秀にこの連歌会で読むはずであった結句を認めて渡していたのだった。

そして、光秀は十次郎にそれを渡し、俺の代わりに読むように指示していた。

無論、十次郎も事の経緯を光秀から聞いていた……

参加者は旧知の人間も多く、特に里村紹巴は光秀の連歌の師でもあった。



   ときは今天が下しる五月哉     光秀



有名な光秀の発句である……


   水上まさる庭の夏山        行祐


   花落つる池の流れをせきとめて   紹巴


そして、百韻は続いて行く……


最後に十次郎が結句を読む。


   国々は猶のどかなるころ      光泰


最後の読み手だけが歴史上と異なることとなった。

結句の意味は、「花が爛漫と咲くのどかな春、国々ものどかに治まる太平の世で」

このような感じの事である。



五月二十八日、光秀は亀山に帰還し、茶室で思考に耽った。

軍議に際し、どのように打ち明けるか……悩んでいたのだった。

妙案がある訳でなく、結局は同行している長安を呼び出すことにした。


「殿……いよいよでございますな……某に出来ることは限られますが……」


「うむ。わし自身が少し悩んでおっての……」


「如何な事でござりまするか?」

長安は尋ねた。


「うむ。宿老たちにどう打ち明けようか……と思うての……

何か未来で聞いておらぬか?」


「某の記憶では、此処亀山で打ち明けられた説と、行軍中に軍議で打ち明けられた説がございますな……確か、真っ先に賛意を表明されたのは、内蔵助殿だったはず」


「成程……長安に聞いておいて良かったわ……

早速、内蔵助を呼んでくれぬか?」


「承知いたしました。某は席を外しまする……

ですが、十五郎様や某のような転生者の件は公になさいますか?」


「やはり、軍議の場で宿老五人には打ち明けた方が良かろうな?」


「某には判断が難しゅうござります。ですが……

今後の為には宿老の方々には納得して頂く方が良いかもしれませぬ。

それに、変の後、同盟者が居り、準備も万端であれば、幾分ご安心なさいましょう?要はどのように伝えるかという方法論です」


「うむ。洗い浚い話すほかあるまい。

我が宿老とは心が通じ合って居る……と思うておる。

それしかあるまいな……」




そして、軍勢を引き連れて来ていた斎藤内蔵助利三が呼ばれたのである。

亀山城の茶室に二人きりであった……


「内蔵助……忙しいのに呼び立ててすまぬな……」


「何の……殿と茶室で語るなど久々の事。嬉しい限りでござる」

内蔵助は正直に答えた。


「うむ。で、これから重大な決意を打ち明けようと思う。

わしの生涯を賭けた決意じゃ……

じゃが、家臣として聞きたくなければ席を立ってくれ。

それほどの事を打ち明けるのじゃ。決して恨みはせぬぞ……」

光秀は、事が重大であることを予め警告したのだった。


「何を仰せか……某、お仕えするのは殿唯一人と誓っており申す。

例えどのような下知であろうが従う所存……

腹蔵無く打ち明けてくだされ……覚悟など迷いなく出来てござる」


「そうか……では、話そう……

この軍勢を京に向けようかと思うておる。

無論、上様から命があった訳ではない……

わしの意志で京に軍勢を向けるのじゃ」


「つまり、それは……」

内蔵助は一気に生汗が噴き出すのが分かった……二の句が継げない。


「うむ……上様に対し奉り、謀反いたす所存じゃ……」


「何と……しかし、殿がそこまでお考えなのには訳がござりましょう?」


「そうじゃな……天下万民の為……と思うておる。

そして、内裏の思惑でもあるがな……

他にもあるが……追々話そうかと思う。軍議の場でな……

わしの腹の内を知っておるのは、息子二人と大蔵長安だけじゃ。

従ってくれるか?」


「無論の事……細かい事情は二の次でござる。

軍議は某が取りまとめいたしましょう程に……

そして、まず某に打ち明けて下されたこと、生涯忘れませぬ……」

そう答えた内蔵助の目には涙が堪っていた。


「忝い……」

光秀は万感の思いを込めて、その言葉を語った。

そして、深々と首を垂れたのであった……



六月朔日

光秀は宿老たちを呼び、軍議を開いた。

他の家臣を遠ざけ、小姓すらも居ない部屋に五人が呼ばれたのだった。


「皆、大儀であった。軍勢も集まっておる故、今後の方策を話そう」

光秀が切り出した。

だが、今後の方策など決まっている。皆が妙な違和感を覚えた。


「殿、中国へ向かい羽柴殿と合力するのでありますな?

まずは、どの方面に軍勢を向けるかでござりますか?」

明智左馬助秀満が念を押した。


「うむ。実はこの軍勢は中国へは向けぬ……」


「如何な事でござるのか?」

今度は明智治右衛門光忠が疑問を呈した。


「この軍勢を京へ向ける……」


「上様に馬揃えをご覧に入れるので?」

藤田伝五行政が言った。


光秀は大きく息を吸い込んだ。

そして、静かに家臣たちを見廻した……

皆、すまぬ……わしに命を預けてくれ……そう心で唱和し、告げたのだ。


「上様に対し奉り、惟任日向守光秀……謀反仕る所存……」


沈黙がその場を支配した。誰もが息を呑んでいる。

思考停止たままなのだ……

そして、その沈黙を斎藤内蔵助利三が破った。


「殿が一度謀反を口にされた以上は、某従い申す。

事情など二の次、先陣を申し付けくだされ……」


「内蔵助……従ってくれるか……」


「某も……某も従い申す……」

その場の誰もが口にした。しかし、秀満だけは返事をしない。

そして、語り出した。


「殿、某も上様に対し奉り謀反いたす事、一度口にされた以上従いましょう。しかし、その後は如何為されますか?上様を討ったところで、後の方策が無ければ意味がありませぬ。

ましてや、弑逆は外聞も悪うございます……

御存念をお聞かせくだされ……」


「すまぬ。今から聞かせる故、心して聞いてほしい。

わしは、このところずっと悩んでおった。上様によって日ノ本の一統が完成間近である。そして、その天下布武に力を尽くしたつもりじゃ。

じゃが、昨今思う。このまま上様が天下を統べられれば、日ノ本の民は不幸なのではないか?そう思うのじゃ。上様は朝廷の権威を必要とされず、日ノ本の国王になろうとしておられる。そして、唐の国にも攻め込まれるおつもりじゃ。

そうなれば、日ノ本の在り方が変わり、多くの民が塗炭の苦しみを味わおう。

実は、神祇管領殿からも内裏の意志をお聞きしておる。

そして、わしは決意したのじゃ……

じゃが、上様を討った後は、わしも滅びるわけにはいかぬ。

目一杯足掻くつもりじゃ。その表現は不味いの……

わしが天下を治め、日ノ本の未来を創ろうと思う。

力を貸してくれぬか……この通りじゃ……」


「わかり申した。もう迷う事はありますまい……

我等一同、殿の天下のために尽くしましょうぞ……」

秀満もそう答えたのだった。


「それとな……わしが決意した訳はそれだけではないのじゃ……

庄兵衛は五年前を覚えておるかの?

十五郎が生死の境を彷徨った時の事じゃ……」


「良く覚えており申す……

某の不手際にて、若殿があのような目に……

ですが、その後若殿は人が変わったように逞しくなられましたな……」


「その通りじゃ……わしも不思議に思うておった……

そして少し前に十五郎から『ある事実』を打ち明けられたのじゃ……」


「如何な事でござるのか?」

治右衛門が口を開いた。


「うむ。今から申す事……誰が聞いても世迷い事……じゃが、真なのじゃ。

実は十五郎は、この時代の人間では無い。遠い先の未来から生まれ変わり、十五郎に憑依しておるのじゃ。わしもあり得ぬとは思うたが、事実じゃ。

つまり、未来から今の時代の歴史を知っておる。

日ノ本の未来の歴史もな……そして、450年後に日ノ本は滅びるそうじゃ。

十五郎はその時に死に、そして、生まれ変わった。

そこで、未来の歴史を変えるために、五年間準備しておったそうじゃ。

それに、未来から転生してきた人間は、十五郎だけではない。

他に五人おるのじゃ。その者らが試行錯誤し、練り作り上げた方策がある。わしはそれに従う事が最善だと考えておる。

上様を弑逆した後、わが明智は天下を統べるべく行動する。

すでに同盟者もおるのじゃ……長宗我部、甲斐武田、雑賀一党。

其々に転生者が居り、動いておる……

そして今、十五郎は毛利と交渉するため、備中高松に出向いておる。

さらに、大蔵長安がその転生者の一人じゃ……

これらすべての未来を知る人間たちの叡智を結集し、歴史を変革し、日ノ本と明智家の過酷な未来を覆そうと思うておる。

わしを信じて従ってもらいたい。決して負けぬと誓おう……」


誰もが現実感を伴っていたわけではない。だが、光秀の人望が決意させたのだった。私利私欲でなく、また内裏の意志でもあり、同盟者もいる……そう考えるしかなかったのだ。



そして、明智軍一万三千の精鋭は京に向けて出陣したのであった……


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ