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水色桔梗ノ末裔   作者: げきお
本能寺への道
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60話 初陣

天正十年(1582年)二月三日


織田軍団の先鋒が、岐阜城を出発した……

勝頼が木曾義昌の人質を処刑したのを見計らっての事である。

森長可、団忠正、河尻秀隆の軍勢がそれぞれ、木曾口及び伊那街道から、信濃に向かって攻め込んだのである。織田の大軍勢を見て、武田家の武将は呆気なく降伏するものも多かった。たいした抵抗も無く、織田軍は信濃に攻め入ることが出来たのだった。親族衆の寝返りという事実を前に、呆気なく主家を見捨てる狼狽ぶりである。初戦にしてこの状況では、先が思いやられるが、この期に及んでは詮無き事とも思われたのだ。

そのような報告を受けた真田昌幸は、「源三郎の予測」が的中することを確信し、善後策を講じる準備をしたのだった。


二月十二日

本隊の織田信忠と滝川一益が出陣する。十六日には勝頼は木曾義昌と『鳥居峠』で戦うが、織田の支援を受けた義昌に敗北し、撤退を余儀なくされる……

その後も武田軍の武将・親族衆が次々と降伏、撤退し武田軍団は崩壊していった。逆に徳川家康、北条氏邦が出陣し、駿河・上野方面でも同時侵攻が続いた。

そんな中、唯一まともに抵抗したのは、高遠城の『仁科五郎盛信』だけであった。盛信は武田信玄の五男で、仁科の名籍を継ぎ、親族衆に列していた。三千の兵で高遠城に籠城し、信忠の開城勧告にも関わらず、武田武士の意地を貫き、玉砕した。甲州征伐における実質的な抵抗は、此処が一番の激戦地であった……


一方、わずかの兵と共に新府城に撤退していた勝頼であったが、三月一日『穴山梅雪』が寝返るに及び、抵抗を断念し、新府城を焼き払い、郡内の小山田信茂を頼り、落ち延びる事になったのだ。そのような状況を真田昌幸は見て取り、いよいよ甲斐武田の滅亡を確信したのだった。



三月五日

安土城にて、織田信長の本体は、甲州征伐の向けて出陣しようとしていた。

実際には、この戦いの主体は嫡男信忠であり、あくまでも見届けるためのものであった。実際にこの時点で武田の敗色は明らかであり、信長は上機嫌であった。


俺は初陣のため、父光秀に同行していた。


「父上、某の初陣ですが、やはり武田はさしたる抵抗もなく自滅いたしましょうな……武田の領土は草刈り場となりましょう……」


「うむ。勝頼公も哀れよ……此度、上様は信忠様を立てられ、自身は物見遊山に行くも同然。信忠様が成し遂げれば、喜ばれよう……それだけに戦後の処理が気がかりじゃ。お若いだけに、苛烈な仕置きに及べば、遺恨を残そう。しかし、上様に認められるべく、そう振る舞われるであろうな……」


「はい。おそらく武田の親族衆は根切りに合いましょう。

我らが口を挟めませぬが、辛い処です……」


「うむ。それより、其方の初陣の姿……上様にもお目にかけよ」


「はい。挨拶に行ってまいります……」


こうして、俺は本陣に赴き、信長の元を訪れた。

俺は、信長から拝領した真新しい具足を纏い、平伏した。


「上様……某、上様の格別なるご高配により、初陣が叶いました。

父共々、厚く御礼申し上げまする……」


「おぅ……十五郎か、何とも凛々しい武者振りぞ……わが婿に相応しい。

大した戦にはならぬが、精々励むことじゃ。

此度は、信忠の武勲となろう。今後は信忠を助けてやってくれ……」


「ははっ。上様の後馬前を辱めることなく励みまする……」

俺は改めて平伏した。


「うむ。重畳じゃ……励むがよいぞ。ワッハハハハハ……」

こうして、俺は信長への挨拶を済ませ、父光秀とともに出陣したのだ。



新府城にて、真田昌幸は、歴史通り「岩櫃城」へ落ち延びる事を提案したが、無駄骨であった。勝頼一行は、郡内の小山田信茂を頼り、「岩殿城」へ落ち延びることになり、昌幸と別れたのであった。

勝頼は、昌幸に今までの忠勤を謝し、自身の不甲斐なさを語った。

昌幸としては、哀れに思い、また、最後まで名族武田の意地を貫こうとする勝頼に一種の腹立たしさも覚えたのであった。


「源三郎……やはり其方の予測通りになってしもうた。

この上は、例の計画を実行するしかあるまい。わしは岩櫃に戻り、勝頼公を匿う準備を致す。武田の存亡は、其方達の働きにかかっておる。頼み入るぞ……」

昌幸はそう言って、源三郎に頭を下げた。


「父上……心苦しいですが、一命を賭して励みまする。

万一叶わぬ時は、某も斬り死にする覚悟……

今生の別れやもしれませぬ……」

源三郎は覚悟を告げた。


「それはならぬ。其方は例え首尾よくいかずとも、必ず戻ってまいれ。

仮に武田の再興が叶わずとも、其方の大望を叶える手段はある。

軽々しく命を粗末にするでないぞ。肝に銘じよ……よいな?」


「父上、源次郎が付いております。某が決して兄者を死なせませぬ。

ご安心召されよ……」

源次郎信繁が確かに請け負った。



三月七日

ついに織田信忠は、甲府入りを果たした。

そして、武田の親族衆や重臣を探し出し、すべて処刑する。

父、信長を見習ったものか、苛烈な処置であった。通常は今後を考え、有能な家臣は召抱えたりするものであったが、覇王の嫡男として、振る舞ったのである。結果として、捕縛を免れた家臣たちは、潜伏し徳川を頼るなどの方法を模索したのだった。


一方、岩殿城を目指していた勝頼の一行は、逃亡兵が後を絶たず、わずか二百名程になっていた。そして、その途上、小山田信茂の離反を知ることになる。岩殿城での防戦も不可能になり、勝頼は仕方なく、天目山棲雲寺を目指して落ち延びることになる。その後も逃亡兵が相次ぎ、最後まで武田の意地を貫こうとする者だけになってしまっていた……



その頃、源三郎、源次郎、横谷左近他、真田忍軍は、ずっと勝頼一行の動向を監視していた。救い出す時期を見計らっていたのである。

そして、三月十日、天目山の目前、田野において敵に囲まれたことを悟る。

行き場を失った勝頼一行は、この地において、嫡男信勝の家督相続の儀式を行ったのだった。山中の夜は寒く、滅びゆく者の心も寒かったが、勝頼一行を喜ばせたのは、蟄居を命じていた『小宮山友晴』が駆け付けたからであった。友晴は、主君の最後の戦いにどうしても盾になりたいと考えた忠義の者である。

このような美談があたことは記憶しておいても良い……


そして、最後の夜も更けた頃、源三郎は勝頼の陣所を訪れたのだった……










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