56話 甲州征伐前夜
天正十年二月一日
此処は空っ風が吹き抜ける上州「沼田城」である。
この日、真田源三郎信幸は、弟源次郎信繁を伴い今後を話すべく、父昌幸の元を訪れていた。ある決意を以って……
「父上、お聞き及びかと思いますが、木曾殿が織田に内応した由……
先年来のご不満が遂に溢れたのでしょうか?」
源三郎が語り始める。
「うむ。やはりな……妻子を見捨てての決断。随分前から調略されておったと見える。この期に及んでは、致し方あるまい。勝頼公が討伐の軍を発するであろうが、無駄であろうの……」
昌幸が先を見通した。「真田安房守昌幸」……父真田一徳斎亡き後、真田家を継いでいた。三男であり、武藤家の養子となっていたが、兄二人が討ち死したため、本家に呼び戻されたのである。未来の歴史では、戦国有数の謀将として名を馳せる武将である。
「して、父上は今後如何様に処されるおつもりですか?」
信幸は問いただした。
「わからぬ……我が軍が、どこまで攻勢に耐えられるかじゃ。恐らくは多方面から同時に侵攻してくるであろう?彼我の戦力差が大きすぎる。和睦の道を探るしかあるまいが、そのためには多少は食い止めねばならぬな……それに……穴山殿にも調略の手が伸びておる」
「父上……某、今日は父上にどうしてもお話ししたき儀がござります」
源三郎は決意していた。
「何じゃ?申してみよ」
「はい。まずは某が今まで、父上に隠し事をしていた事、お詫びいたします。
実は……某は真田源三郎信幸ではござりませぬ。約五年ほど前から……」
「何を申すのじゃ?意味が分からぬぞ?」
「はい。驚かれるのも、御尤もにて……
これから話すこと、世迷い事と言わずお聞きくださりませ。
実は、某は四百五十年先の日ノ本から、この時代に参りました。
生まれ変わりと申しますか……輪廻転生と申しますか、わかりませぬが、何らかの力が働いて、真田源三郎信幸に憑依しているのです。ですから、未来がわかるのです……」
「そのような事がある訳なかろう?信じられぬ……」
昌幸の、至極尤もな反応である。
「いえ、この事は源次郎と左近には、すでに話しておりまする。
両名とも信じてくれておりまする」
「源次郎?まことなのか?」
昌幸が問い糺した。
「はい。某は兄上を信じます。幾度も未来の出来事を予測し、すべて的中しておいでです。そして、これから武田家がどのような運命を辿るのかも……」
昌幸は、腕を組み瞑目した。
さすがの昌幸でも、今の状況を打開する術は無いに等しい。
そして、未来を知るのが怖かった……だが、武田家の未来は真田家の未来の行方も左右する。当然聞かぬわけにはいかなかった。
「源三郎……これからの事聞かせよ……そして真田の未来が如何様になるのか?
そして、何故おまえが、この時代に転生したのか……」
昌幸は意を決した。
「では、申し上げまする……
まことに残念ですが、主家である武田家は、三月十一日、天目山にて滅亡いたします。お察しの通り、穴山殿も寝がえります故……
親族衆も、ほとんどが捉えられ処刑されまする。
ですが、我が真田家は何とか生き残り、滅びることはありませぬ」
「うむ。そうか……続けよ」
「はい。実は武田家滅亡後に、重大な出来事が起こります。
六月二日に、織田信長公は、京都「本能寺」にて重臣、明智光秀の謀反に斃れます。そして、日ノ本はまた混沌とした状況に陥ります。そして天下を統べるのは、羽柴秀吉です。
真田家は、羽柴殿に臣従しますが、秀吉亡き後、再び天下は騒乱になりまする。羽柴殿はその時には「豊臣」姓を賜り、関白になっておられますが、徳川殿が天下を簒奪すべく動かれ、再び騒乱になるのです。その時に、真田家は分裂致します。某は徳川殿に味方し、父上と源次郎は豊臣方になるのです」
「何と……そのような過酷な運命なのか……」
「左様です。そして、天下分け目の大戦にて、徳川殿が勝利なされ、父上と源次郎は、高野山に流罪となりまする。この時点で、未だ豊臣家は存続しておりますが、徳川の天下を脅かす存在と見なされ、最終的には滅ぼされます。その戦いにて、源次郎は討ち死に致します。今から三十三年後の事です。父上は、その時すでにこの世にありませぬ」
「して……その後はどうなるのじゃ?」
「はい。その時にはすでに徳川殿が、江戸に幕府を開かれておるのですが、約二百五十年の間、平和な時代が訪れます。日ノ本は「鎖国」しており、世界の進歩から取り残されておるのです。そして、最終的には江戸幕府も滅び、帝を中心とした国に生まれ変わります。
その後日ノ本は、大日本帝国となり、諸外国に負けぬよう富国強兵に努め、世界の列強に対抗していきまする。この時代は世界中の国々が、戦争をしているのです。領土と資源を奪い合い、主に今の伴天連の国々が強国なのですが、日ノ本もその大戦に巻き込まれるのです。
そして、三百六十三年後、日ノ本は負けまする。ですが、この時の敗北が日ノ本にとって幸運なのです。なぜなら、民主主義国家……つまり、民が中心とした国になり、経済技術大国として急成長するのです。約八十年以上も大きな戦もなく、世界は平和なのです」
「なるほど……して、未来のおまえがどうして転生したのじゃ?」
「実は、その平和がついに終焉を迎えるからです。世界中を巻き込んだ戦争が起こったのだろうと思います。確証はありませぬが、おそらくすべての人々が死に絶えたと思われます。未来の某も死んでしまったので、わからぬのです。その時代は「核兵器」という最終兵器が蔓延しておるのです。その武器は一度に百万の人を殺せる武器なのです。その武器を使って、世界の国々がお互い戦うのです。結果はすべてが「無」になるのです」
「そうか……言葉が見つからぬ……」
昌幸は、再び瞑目した。
「父上……某は、そのような未来が耐えられぬのです。
ですから、今この生まれ変わった時代で、歴史を作り替えようと思っておるのです。我らの子孫がずっと存続するために……」
そう言って、源三郎は話を終えた。
昌幸は、しばらくずっと瞑目している。
「二人とも良く聞いてほしい……」
昌幸が口を開いた。
「わしは、信玄公にお引き立て頂いた者である。元は真田家を継ぐ者ですらなかった。兄二人が設楽が原で討ち死にし、結果的に真田を継ぐ者になってしもうたのだ。今は主家である武田家から頼りにもされておる。その武田家が、このような運命になろうとは考えもしなかったが、今更言っても詮無い事じゃ。
だが、もし源三郎が「未来がわかる者」であるなら、その力を借りたいと思う。
何か方法はないものかの……」
昌幸は自身の複雑な心情を吐露して見せたのだった。
本当に静かな夜である……
囲炉裏の炭の爆ぜる音だけが、時折聞こえるのみだ。
そして、信幸は自身の「計画」を話す事になったのだった……




