54話 運命の年
天正十年(1582年)が明けた。
歴史的事件である「本能寺の変」までは、あと半年に迫っている。
此処、雑賀郷にある、土橋守重の屋敷では、二人の男が密談していた。
「兄者……本当に信用してエエんか?
万が一、罠やったらどうするんや?護衛連れて行った方がエエ……」
この男は、守重の舎弟で、土橋平之丞重治である。
年明け早々に、雑賀孫市から「サシで談判」したい旨、提案があったのだ。
「いや。かまへん……孫市がそんなシケた策を弄するとは思えん。
それに、彼奴は昔からのダチや。お互い、雑賀の将来を思っとる事は間違いないんや。このままやったら、下手したら身内で大仰な戦になる。
それだけは回避せなあかん……まあ、大丈夫や。
万一殺し合いになっても、どっちかが死んだら戦は終わりやからな。
二人で談判すんのが一番エエんや。
おまえだけ、付いてきてくれ。向こうも息子だけが付き添いや」
こうして、守重は、弟の諌止を聞かず、孫一との談判に臨むことになったのだ。しかし、守重は、ある決意を心に秘めていた。それは、雑賀の将来を慮っての事である。
天正十年一月七日子の刻
ここは雑賀郷の外れにある、とある社である。
此処も度重なる戦乱によって、廃墟となっている。お互いが大事になることを嫌い、誰にも告げずに約束の場所に現れた。
「守重‥‥‥よう来てくれた。おまえと、ずっとサシで話したかったんや」
孫一の吐く息は白い。
「孫一‥‥‥久方ぶりや。二人っきりで話したいけどエエか?
おい、平之丞‥‥‥悪いけど外で待っといてくれ。
寒いのに悪いけどな。早めに終わらせるから」
「わかった。孫、おまえも待っとけ‥‥‥」
そして、二人は古びた社の中に入っていった。
孫三郎と平之丞だけが、残されたのだった。
「おい、孫三郎‥‥‥わしは、おまえの親父を信じとる。
けどもし、何かあったら、わしは絶対許さんからな‥‥‥」
「叔父さん‥‥‥殺し合いに来たんやない。雑賀の将来のために話し合いに来たんです。きっと上手くいくと、わしは信じてますから‥‥‥」
孫三郎は応えた。周りの空気は張りつめていて、針の落ちる音すら聞こえそうな静寂の中だった。そして、その静寂を破るように、孫三郎は両手を口に当て、大きく息を吐いた。
「守重‥‥‥まずは礼を言わせてくれ。こんな状況で話し合えただけで幸運や。
けど、どうにもいかん‥‥‥此処らでケジメ付けんと大戦になる。
雑賀にとって最も不幸なこっちゃ。
どっちかが死なんと‥‥‥収まらんかの?」
「孫一よ‥‥‥わしは親友のおまえと殺し合いたない。
けどな‥‥‥どうにもいかんのや‥‥‥
もう止められんし、わしは信長に尻尾振るんだけは信条が許さん」
そして、一呼吸間を置いて、一言を発した。
「孫一よ‥‥‥今わしを撃てや‥‥‥
ほんで、おまえが雑賀を纏めてくれや。
「織田に従う」いう考えは、雑賀にとって恐らく正しい。
人が死なんと、雑賀が繫栄するためには、それしかない。
それに、孫三郎が後継ぐんやったら、大丈夫や。
これ見てみぃ‥‥‥孫三郎から貰うた馬上筒や。
わしは嬉しかったなぁ‥‥‥クソガキやった彼奴がくれたんやで‥‥‥
これで、スッパリ殺ってもろたら本望や‥‥‥」
守重は淀みなく語った。
「ハハハッ‥‥‥なんや同じ事考えとったんやなぁ‥‥‥わしと‥‥‥
やっぱりおまえは‥‥‥わしのダチやの‥‥‥」
孫一の頬を一筋の涙が伝い落ちた。
「おい、孫一‥‥‥おまえが涙なんか流すんか?
らしくないのぉ‥‥‥わかったら、早うせんかい?
決意が鈍るやないか?」
「もうエエ‥‥‥もうエエんや‥‥‥
わしも織田と戦う決意できとるんやから‥‥‥
只なぁ‥‥‥どうしても聞いてほしい事があるんや。
守重‥‥‥これからわしが話す「与太話」を信じてほしいんや」
「わかった。冥途の土産話に聞こうやないか‥‥‥」
「実はな、今年の6月2日に信長が死ぬらしいわ‥‥‥
明智の謀反で、本能寺で斃れよる。
これはな、孫三郎から聞いた話や‥‥‥」
「おまえ、何言うとるんや?」
「まあ聞いてくれ。孫三郎は、実は450年先から生まれ変わったらしいんや。彼奴が言うには、450年後にこの世の人間が全部死に絶えるらしい。それを阻止する為に、歴史を作り変える計画をしてるいう事や。孫三郎の他にも生まれ変わりがおって、明智の嫡男や、長宗我部の嫡男もおるらしい。
それで天下を統べて、日ノ本を世界の強国に仕上げて、人の世の滅亡を阻止するらしいんや。それにな‥‥‥このままいったら、秀吉が天下取って、雑賀は根絶やしにされるそうや。
俺も最初はありえん‥‥‥思ったけど、話が具体的過ぎるんや。
それに、善之助もこの話を信じたらしい。実際に土佐に行って、元親の息子が作ってる軍船を見たそうや。とてもこの時代のモンとは思えん船らしいわ。安宅船より巨大で、大筒をいっぱい積んどるらしい」
孫一は一気に語る‥‥‥
「それにな‥‥‥コレ見てみぃ」
そう言って、孫一は最新の馬上筒を渡した。
「銃口の中に溝が掘ってるやろ?それが今の日ノ本にない技術や。
ライフリングっていうらしいけど、撃った時に銃弾が回転して、命中精度と初速が上がるらしい。未来では当たり前の細工らしいけどな‥‥‥」
守重は、その馬上筒をじっくりと観察した。前に話していたように銃身が延長され、落下防止の紐が取り付けられていた。
「いずれは火縄を使わん銃も作るらしいぞ。それに、同じ転生者が新しい武器も作ってるらしいわ。一気に何人も吹っ飛ばせる爆弾らしいぞ‥‥‥」
「確かに見た事ないモンやな‥‥‥
何か訳がわからんようになってきた。それで、結局どうしようって言うのや?」
「おう‥‥‥守重、半年だけ死んでくれんか?
わしが粛清したことにして、まずは織田家に従ったように見せかける。
で、信長が死んだら、明智の天下取りに協力するつもりや。
その後、海を越えて、新大陸に行くんや。
なかなか夢が広がるやろが?」
「ハァ~~ァ‥‥‥なんやアホらしなってきたなぁ。
折角悩み抜いて、ワシにの命晒したら何とかなる思うて‥‥‥
こんな話聞かされるとは、開いた口が塞がらん。
けど……やってみよか?どうせ一度捨てる覚悟した命やしなぁ。
けど、与太話は完全に信じた訳やないからな‥‥‥」
「よし、決まりや。ほんなら半年間どうするかやけど、例えば土佐に隠れるのはどないや?孫三郎に繋ぎつけてもろて、長宗我部信親を頼るんや。田舎やし、幾分安全やろ?
ついでに、その軍船見せてもろうたらエエやろ?
わしも見た事ないけど、代わりに見てきて欲しいんや」
孫一が、そう提案した。
「わかった。どこでも行こうやないか。
で、平之丞に土橋一党を纏めてもろうて、根来に落ち延びさせる。
そういう事でどないや?」
守重も同意したのだった。すでに頭は切り替えている。
「よっしゃ。なら、その最新の馬上筒貸せ‥‥‥」
そう言って、守重は馬上筒を取り上げ、火蓋を切り、
引き金を引いた。
「パパァ~~~ン」
一発の銃声が、真夜中の寒空に響き渡った。
孫三郎と平之丞は、同時に社の中に走りこんだ。
両名とも殺気立った目をしていたが、そこで見たものは、「にんまり」と笑う二人のオッサンの姿であった。
「平之丞‥‥‥土橋若太夫守重はたった今死んだ。わかったな?
半年後に生き返るから、それまで雑賀郷から逃げるんや。
これは、わしと孫一の「大芝居」なんや。黙って従え。
わしは半年間は土佐に匿ってもらう。ええな?
雑賀を救うにはこの方法が一番なんや‥‥‥
それとな‥‥‥半年後に「信長が死ぬ」これは歴史で決まっとる。
エエか?明智光秀の謀反で死ぬんや‥‥‥覚えとけ。
そして、この「与太話」は絶対誰にも言うな。
これは頭領としての命令や。わかったな‥‥‥」
「‥‥‥何なんですか?」
平之丞は、何が何だかわからない。
「叔父さん、お願いします。何も聞かんと従ってください。
雑賀と、日ノ本の未来のためなんです‥‥‥」
孫三郎が、すかさず助け船を出す。
「守重、兎に角、わしの屋敷にきてくれ。
すぐに船の手配するから、変装して明日の夜中に出航してくれるか?
孫三郎に送らせるからな。
孫‥‥‥その信親に掛け合ってくれるな?」
「親父、任せとけ~~長宗我部水軍の池四郎右衛門殿が知り合いや。
やから、わしが行ったら話は早い。そうしよ‥‥‥」
勢いよく、孫三郎が請け負った。
独り、平之丞だけが、眼を白黒させて、口を開けている。
そして、孫一が再度手配りを説明した。
「平之丞‥‥‥エエか?元々秀吉が、反信長派を粛清するように言うて来てたんや。やから、わしが守重を暗殺したという事にしたら、お前らの事は深く追及されんやろ。
そこで、土橋一党には半年だけ隠棲するか、わしの配下に靡いてもらう。
そこからは、また織田家の内部争いと、天下を賭けた争いがあるやろ。
そこで、俺らの活躍の機会が多くなるはずや。
当然、雑賀は明智に味方して天下を取らせる。もちろん、明智には最大限の待遇を約束させようやないか。これは、日ノ本の民全部のためでもあるんや‥‥‥」
「平之丞‥‥‥深く考えんと従ってくれ。頼む」
孫一と守重、双方が頭を下げた。
「もう‥‥‥仕方ないですね~
訳わかりませんけど、兄者が乗り気なんや。従いますがな‥‥‥
後は上手くやって下さい。半年だけですよ‥‥‥それが限界ですから」
「よっしゃ、ほなら、祝い酒と行きましょ~
実は、ちゃっかり用意してきてたんです」
孫三郎が、大きな徳利を取り出したのだった‥‥‥




