50話 母と子と……
父、光秀の元を辞した後、俺は城内の母の部屋を訪れた。
「熙子」と呼ばれる女性だ。父光秀の家臣、妻木広忠の娘で、長い間、労苦を共にし助け合った「糟糠の妻」である。
あまり話す機会もないので、婚儀の件を報告することにしたのだ。
「母上、お久しゅうございます……」
「まあ十五郎、あまり会えぬから心配しておったのですよ……」
「申し訳ありませぬ。何分多忙の身故、つい足が遠のいておりました。お変わりありませぬか?」髪にも白いものが目立ち始めた母に答えた。
「息子が立派にお勤めを果たすのは、母としては嬉しい限り‥‥‥」
「それを聞いて安心しました。ところで母上……
某、嫁を娶ることになりました。先日、安土で上様に婿になるよう申し付かりました。早ければ来年末には婚儀を進めよ……と……」
母は驚いた様子だった。
「まあ……何と目出度い事。十五郎が上様の婿にとは……
このようなこと、何と言えばいいのか……母は‥‥‥母は嬉しいぞえ」
そして、喜びのあまり涙したのだった。いつの時代も、母の息子に対する愛は変わらない。ましてや長男が、夫の主君……それも天下人にならんとする男の娘を娶るのだ。
これほど喜ばしい事はないだろうな……俺は冷静に思った。
そして、暫し母と昔話に花を咲かせた後、再び長安の元を訪れた。
「長安殿。報告に行ってきました。今は冷静です……」
俺は、開口一番に告げたのだった。
「左様でござりますか?で、殿は何と?」
長安も、この時代の口調に戻っている。
「はい。長安殿の予想通りでござった。やはり、喜んではおらぬ。
朝廷との関係や、家中での立場を気にしておいででした」
「でしょうな……殿程の方なら、そう思われましょう?」
「まあ、仕方の無い事ですし、婚儀の話はお受けいたします……
それまでに計画が実行されるはずですし、実質反故みたいなものですが……」
「確かに……で、唐入りの件は何と?」
「父が、上様をお諫め申し上げると……
ご不興を買うのも覚悟の上と申されました」
「やはり……お父上はそういうお方ですな。
日ノ本の未来を託すに値する人物と見えまする」
「そう言って頂けると、某も嬉しく思います。
それと、研究費の件、父の了解が取れました。
ところで、何の研究をなさるのですか?」
俺は、すごく気になっている事を尋ねた。
「うッ……恵介、すまん。話し長くなるから言葉戻すぞ」
「はい、どうぞ。ハハハッ」
「笑うなよ。なんか説明するのに、この時代の言葉はやりにくい。
でな、研究いうても優先順位があるんや。
長期的なもんは、石炭の採掘をしたいと思ってる。
日本にもある資源やし、有効活用するんがエエやろ。ただし、これは日ノ本を統一してからやな。北海道や九州の一部を直轄領にしてからがエエやろな。
最終的には燃料として利用して、蒸気機関に活用する」
「成程。そうなれば、外国に先駆けれますね」
「そや。それにアメリカ本土に移住するには、蒸気船が強みになる。
ただ、これは時間がかかる。
で、まずは日ノ本の統一……つまり、戦を優位に進める武器や。
綺麗ごとではあかんからな。
で、色々考えたんやけど、「手榴弾」を開発する。
理由は色々あるが、誰でも使えて、加工が簡単なんや。
しかも、効果は絶大や。まあ毛利が使う「焙烙火矢」の発展系や。
巧がやってる、ライフリングは考えいいけど、加工技術が大変や。
それと、大筒の射程を伸ばす工夫やな。
兎に角、まずは手榴弾や。
明智家の「擲弾兵部隊」を作ったら、かなり有利やぞ。ワッハッハハ」
「成程ですね……早くにできそうですか?」
「ああ。一年あれば完璧なもんできるやろ。
陸戦ではかなり有利に戦える。特に忍び衆が使えば尚エエやろな」
「わかりました。宜しく頼みます。それと、人は要りますか?」
「ああ、頼むわ。俺独身やし、身の回りも楽したいしな。ハハハッ
できたら、職人を数名頼めるか?」
「承知しました。すぐ手配しますね」
そんな話をしていると、源七が戻ってきたのだった。
「若殿、やはり此処におられましたか?只今もどりました」
源七は相変わらず元気がいい。おそらく話がうまくいったのか?
「ご苦労だった。で、どうであった?」
「はい。若殿の頼みならばと、快諾頂きました。
女が増えれば、賑やかになるだろうと……
それに、巫女衆なれば、ご自身も守る術をお持ちなので、足手まといにもならぬであろうと。早速遣いを走らせまする」
「うむ、宜しく頼む。それと伊賀の様子は何かわかったか?」
「はい。わが織田軍が大軍故、根切りされるであろうと……」
「そうか……女子供も多かろう?」
「はい。そして、おそらくは残党が各地に隠れ、召し抱えられるかと……
例の、不知火の三左や、徳川殿には服部半蔵も居り申す」
「そうか……」
「我が明智忍軍も対抗上、戦力を増やすしかありませぬ。
実は、首領にその件、お話ししました。
遠からず、私以外の組頭が加わるかと思いまする」
「それは助かる。父上にもお伝えしておく。
それと、羽柴殿の動き、色々気になってな。やはり、先手を打って調べてくれぬか?その伊賀者を使い、また謀を巡らされては厄介じゃ。わかっておれば、逆手に取ることもできよう?」
「はい。早速手配いたしまする。では……」
そう言って、源七は風のように立ち去った。
「しかし、アレやな?源七はお前の事ホンマに好きなんやな?
見てて微笑ましいわ……」
「ですね……俺も実の兄貴みたいに思えるんですよね……」
「ハハハッ、ほんなら、わしが叔父さんになったるわ」
「あざっす。そう言ってもらえたら……」
「ほな、人の件はなるだけ早く頼むわな。
それと、コレ‥‥‥日本地図や。写し取って置いた。
戦略とか考えるときに、あったら便利やと思う。
それ、原本にして後は写しといてくれ‥‥‥」
「有難うございます。では戻りますね。戦略も色々整理せんとな……
失礼しますね~~」
そう言って、長安の元を辞した俺は、城下の船着き場から琵琶湖を眺めた。
この水面だけは、いつも変わらないな……
たぶん21世紀でも同じだろう……漠然とそんな事を考えた。
1581年9月。あの日まで9か月……




