39話 不如帰
初夏の日差しが眩しい。遠州灘より吹き付ける風が心地よく感じる。
どこからか、珍しい鳥の鳴き声も聞こえていた。
「不如帰」だ‥‥‥渡ってきたばかりのようだった‥‥‥
此処「浜松城」城の一角では、三人の男が語らっている。
その空気感は、およそ大名と家臣の堅苦しさはない。
「弥八郎、高天神が捨て殺しにされた今、武田の家は保たぬであろうな?」
その男は、ここ最近の状況を鑑み、問いかけた。
片手に持った扇子で、軽く首筋を煽っている。
「徳川三河守家康」……天下布武に邁進する、織田信長の「唯一の同盟者」であり、精強な三河軍団を率いる武将である。今川家なき後、遠江に侵攻し、この年の三月、武田方の「高天神城」を陥していた。
「左様ですな……甲斐武田の威信は地に落ちたも同然。離反も数多出ましょうな……」
「本多弥八郎正信」……後に、家康をして「友」と呼ばせた参謀である。
「うむ。遠からず甲州征伐があるの……調略も進んでおるやも……のう?」
「はい。信長殿はすでに、穴山、木曾に対して接触されておる由……」
「勝頼公も哀れ……嫡男に生まれておれば、また違ったであろうにの……」
「たしかに……設楽が原で、名のある重臣どもが数多討ち死したのが不運ですな……」
「わしも山県や馬場には随分苦しめられた。今は、気になる家臣と言えば、やはり真田か?」
「おそらくは……譜代家臣で有能な人材は、多くはありますまい」
「まあ、時代が違えば、勝頼公は天下に名を轟かす名将足り得たかもしれぬな?「戦」の強さだけなら、「信玄公」にも劣るまい……」
「国の強さは、軍略だけでは叶いませぬからな。信長公の強さは、その「経済力」と「人材登用の妙」にございます。凡そ、旧態依然とした守護家の考え方では、及びもつかぬでしょうからな‥‥‥」
正信はそう分析した。諸国を流浪し、見分を広めた武将ならではの見解である。
「確かにな‥‥‥羽柴殿や明智殿を見ておると、信長公の考えはようわかるの‥‥‥元百姓と浪人じゃからのう。それが今や国持ちの「大名」。かの「道三殿」や「早雲殿」が、下剋上にて国を奪ったのとは訳が違う。あくまで織田家の家臣であるからの‥‥‥」
「織田家の両輪は、間違いなく、このお二方。どちらが欠けても立ち行かぬはず。ましてや、ご子息の方々では、信長公も不安であられましょう?」
「そのお二方ですが、当家を探られおるご様子‥‥‥」
三人目の男が、会話に参入した。
「服部半蔵正成」‥‥‥徳川家の情報戦略をに担う武将である。
「まあ、妥当なところであろうの‥‥‥して、明智殿かな?」
「確たる証拠はありませぬが‥‥‥おそらくは‥‥‥
捕らえるなり、討ち取るなり致しますか?」
半蔵の眼が光っている。
「構わぬ‥‥‥手出し無用ぞ。織田家との同盟は強固でなくてはならぬ。如何な小さな綻びもあってはならぬのじゃ‥‥‥」
この言葉に、半蔵は家康の思いを即座に理解した。
先年、家康は嫡子「信康」と正室「築山殿」を信長の命によって死に追いやっている。「武田家と内通した‥‥‥」という、半分言いがかりに近いものだったが、家康は「徳川家と家臣のため」に涙を呑んで従ったのである。
半蔵はその時、信康切腹の介錯と検視役を務めていた。
内心は信長に対して、「腸の煮えくり返る」思いであったのだ。
「殿‥‥‥それよりも、武田家なき後の事が気掛りでござる‥‥‥」
正信の懸念はそこにあったのだ。
「わが家との同盟の意義が、薄れるという事か?」
明敏な家康は、即座に理解した。
「左様です。わが徳川が強大化するのを、見過ごしますまい‥‥‥」
「信長公なら、そう考えるかもしれぬな‥‥‥羽柴や明智を取り立てる反面、譜代家臣でも、手柄乏しきものは、悲惨な運命を辿っておるからの‥‥‥ましてや、ワシは長い付き合いとはいえ、用済みになれば、消されるか‥‥‥ハハハッ」
「殿、笑い事ではござらぬ。備えだけはしておかれるべきかと‥‥‥」
「備えれば回避できるのか?戦国の世は無情なものよ‥‥‥「時流」に見放されれば、どう足掻いても厄災は避けようがあるまい?逆に時流を味方に付ければ、何事も上手く運ぶものよ。現にワシがそうじゃ。今川家の人質に過ぎなかったワシが、今は大名じゃ。
二十年前に、信長公が天下を統べるのを想像できたか?
今川義元公が「あの桶狭間」で討たれるなど‥‥‥想像もできんかったはずじゃ。信長公とて同じ‥‥‥
時流に任せるしかあるまい?」
「殿のお考えは、それで構いませぬが、臣下の者はそうは参りませぬ。主家の発展に尽くすのが務め。些細な危険も察知し、対策を立てねばなりませぬ」
「そうかそうか‥‥‥弥八郎に任せる故、頼み入るぞ」
「はい。半蔵殿、殿はこのように横着なお考え故、我らで何とかせねばならぬ。織田家中の動き、具にお調べ下され‥‥‥」
「承知致した。配下の全力を挙げて‥‥‥それと伊賀攻めが近いとのこと。
これを機会に、残党を召し抱えたく思いますが、如何でござりましょうか?」
「うむ、許そう。忍び衆の力は、大名家の力の源‥‥‥よきに計らえ」
浜松城の一角では、こうして尽きぬ話が続いた。
「本能寺の変」まで、あと1年。それぞれの英傑たちの思惑は錯綜する。
歴史が最後に選んだ「天下人」‥‥‥「徳川家康」はこの時点ではその事に気づいてはいなかったかもしれない。唯、長い人質生活から、信長との同盟へと、ずっと忍耐の連続であった「この男」は、まさに時流を味方につける術を直感的に持ち得たのかもしれない‥‥‥




