31話 過去との錯綜
源七は、甲賀山中にいた。「隠れ里」に向かうためである。
道なき道、山野をかき分け、清流を遡る。
すると、何段にも重なった滝が姿を現した。水量は多くはない。
その滝の中腹に、折り重なる草木を押しのけると、「洞窟の入り口らしきもの」が、目に入る。隠れ里への入り口だ。
そこを抜けると、小さな盆地が拓けている。隠れ里だ……
明け方は、霧に覆われることも多い。この日もそうであった。
湿った森の木々の、土臭いにおい……懐かしさを感じる。
源七は、「おそらく13歳」まで、ここで育った。
その後は、間者として、光秀に仕えているのだ。
「おぅ~~源七~息災であったか?1年ぶりくらいかの?」
出迎えたのは、「源五」である。源七と同じく「組頭」のひとりだ。
「おぉ~源五兄か~相変わらずじゃ~忙しく動いておるわい」
「小頭……お役目、ご苦労様です……」
複数の口が、同じセリフを唱和した。隠れ里の子供等である。
所謂、修行中の「忍びの卵」達である。
源七は、一通り子供らと挨拶を交わすと、源五と屋敷へ赴いた。
屋敷と言っても、粗末ではない……程度の「あばら屋」である。
「源七……御爺様と積もる話もあろう?
わしは、まだ役目がある故、ここでな」
源五は、そう言って踵を返した。
源五は「組頭」の一人であるが、通常の間者働きはしない。
この隠れ里の「守り」と「教育係」を担っている。
その他にも、二人の組頭がいるが、別の任務に就いている。
「御爺様、源七、只今戻りました」
「お~無事息災で何よりじゃ」
「あっ、少ないですが、これ……土産です」
源七は、坂本城下で仕入れた酒を渡した。
「はははっ。有難く頂こうとするかの……」
「それと、明智の大殿より……」
源七は、金子の入った皮袋を手渡した。
「うむ。有難い事じゃ……大殿にはお礼の申しようもない」
そう老父は応えた。
「で、源七よ……明智家中の方々は変わりないのかの?」
「はい。某は、大殿の命により、今は嫡子十五郎様の配下に」
「ほう、まだ年端かもいかぬ、若様ではないのか?」
「はい。ですが、神童と呼ばれる程のご器量の持ち主。
某も、一命を賭してお仕えしておりまする」
「はははっ……そういえば十兵衛殿も若かりし頃はそうであった。
二代続けて、立派なものじゃ」
「十兵衛」とは、無論、父光秀の事である。
「はい。まことに……」
「で、源七、わしに何か聞きたいことが、あるのであろう?」
「さすが御爺様。実は、他家の忍び衆の事にて……」
「うむ。わしが知りうる事は、何でも話そう。
いずれ、おまえにも、この里の者や、我が配下の事……
話さねばならんと、思うておったのじゃ」
そう言って、老父は土産の酒を、手酌で飲み始めた。
「まずは、昨今織田家中にて、水面下で、羽柴殿と大殿が争うておりまする。
羽柴殿が、大殿の足を引っ張る事、幾度も。
恐らくは、忍び衆を使っておられまする」
「うむ……聞いておる。「不知火の三左」であろうな。
彼奴等は伊賀者じゃが、その中でも独立勢力。
先年の伊賀征伐でも、織田方に協力したという噂もある。
中国攻めにおいても、戦働きをした事、聞き及んでおる」
「左様ですか……手ごわき相手ですな」
「いや、忍びの技量という事ならば、お前たちに分があるじゃろ。
じゃが、手段を選ばぬ冷酷さが、彼奴等にはある……
そこが、我らとの違いじゃ。
我らも、間者働きで報酬を得るが、そこには「信念」があろう?
例え、高額の報酬を約束されても、我らは意に添わぬ仕事はせぬ。
彼奴等は、立場上、どんな仕事でもせざるを得ぬ。
それに……な、伊賀はこれから騒がしくなる。
伊賀も色々結束が乱れておる。上様も放っておくまい……
遠からず、大規模な戦があるやもしれぬな……」
「なるほど……肝に銘じておきまする」
「それと、もう一つお伺いしたき事がござります。
望月党のことについてでござる。
今も、武田配下の間者でござりましょうか?」
「うむ。その事じゃが……詳しい事はわからぬ。
元々、望月家は信濃豪族の家柄じゃが、その分家にあたる、「甲賀望月家」から、女が、望月盛時に嫁入りしたのじゃ。その女が望月千代女と言われておる。
夫に先立たれた後、禰津村にて、巫女らを育て、信玄公の間者働きをした……
それが、「望月党」の成り立ちじゃ。
しかし、望月千代女は、すでにこの世におらぬということじゃ。
元々、忍び故、実態がわかっておらぬ事も多い。
今は、後を継いだ女が、細々と巫女らと自給自足しておるらしいが……
得体のしれぬ者ら故、俗世との交わりも少なかろう?
ただ、今は勝頼公との関りはないらしいのぉ……」
「左様でござりますか……御爺様、忝く……」
「なぁに、一応諸国の情報は、それなりに、聞こえておる。
源八や源九には、色々調べさせておるからのぉ」
「しかし、御爺様……何故、他の者らは、どこぞの家中に派遣なさらぬので?」
「先程も申したであろう?信念じゃ。忍びの者じゃからと言って、報酬を得られれば良い……という訳ではない。わしはのぉ……話は長くなるが、聞くがよい……」
そう言って、さらに手酌で酒を注ぎ足した。
「わしはかつて、若かりし頃の十兵衛殿と出会った。
まだ、十兵衛殿が浪人で、名もなき鉄砲放ちのころじゃ。
わしもその頃は、間者働きをしておった。
そこで、村が野伏りに襲われておる場面に出くわした……
女は犯され、凌辱される。子供等も容赦なしじゃ。
わしは、運良く生き残った子供等だけは助けるつもりで見ておった。
子供等は、忍びに育てることができるからじゃ。
じゃが、そこで十兵衛殿と左馬助殿が、その野伏りどもに討ちかかったのじゃ。
鉄砲で撃ち殺した後、太刀と槍でな……
わしは無謀じゃと思った。相手は7,8人はおったんじゃ。
互角の戦いをする、十兵衛殿らを見て、わしは迷った……
じゃが、無意識に棒手裏剣を放って、斬り込んでおった」
一呼吸置いて、さらに語り続ける。
「三人でなんとか野伏どもを討ち取り、みな座り込んだ。
そして、同時に笑いあってしもうたのじゃ……
わしが「忍び」じゃというのは、すぐに気づいたであろうな。
が、十兵衛殿は、わしに笑いながら頭を下げた。
「助かり申した。忝い。この借りはいずれ必ずお返しいたす」
浪人とはいえ、武士が「忍び」に頭を垂れたのじゃ。
そして、こう申された。
「この子らは、日ノ本の礎、何とかお願いできませぬか?
某は諸国放浪中の身……口惜しいが、連れてはいけませぬ」
わしは、二度までも驚かされた。
そして、忍びであることを打ち明けた。
引き取るからには、後々「忍び」になるという事……
そう告げたのじゃ。そして、十兵衛殿はこう申された。
「生きる……という事だけでも、親孝行でござる。
死んだ親は、この子らが餓えて死ぬのを望みますまい。
某は、このような不幸な子らできぬよう、日ノ本から戦をなくしたいのです。
ですが、今はその力がありませぬ。
いずれ「人物」見つけて仕官し、この世を変えまする」
わしは、この様な武士に会ったことがなかった。
そして、子供等を請け負い、再会を約したのじゃ。
「それから何年も経ったころじゃ……十兵衛殿が尋ねてこられたのは。
ちょうど、上様に仕官したばかりの頃じゃな。
わしは思った。このお方はやはり、ひとかどの武士であったと……
十兵衛殿は申された。「織田信長」様はいずれ天下を統べるお方。
某は、一刻も早く、日ノ本から戦が無くなるよう、上様に尽くすと。
そして、そのためには「鬼」にもなり申す……とな」
その時、わしは十兵衛殿の影となり、働くと誓ったのじゃ。
「じゃが、そんな十兵衛殿も完全に「鬼」にはなれなんだ。
例の「叡山の焼き討ち」じゃ。上様の天下布武の障害になり得る、叡山の討伐は致し方ない。そう考えてはおられた……
じゃが、老若男女すべてを撫で斬りにせよ……という命令には、さすがに従えなかったのであろうな……もし露見すれば、「すべてを失う」のを覚悟のうえで、僅かじゃが、山内にいた「子供等」を逃されたのじゃ。
それが……今、源五が育てておる子らじゃ」
「そのような過去の経緯があったのですか……」
源七は、得心した。そして、十五郎から聞いた、「未来の話」……
何かの巡り合わせとしか、思えなかった。
「うむ。この事は源七に言っておきたかったのじゃ。
それと、その叡山の子らが、巣立ちを迎える。
源七、6名を新たに、おまえの配下に預ける。
源三にも6名預けるつもりじゃ。頼んだぞ……」
「はい。お任せ下され。弥一と疾風の下に付けまする。
奴等もそろそろ、指揮官として、独立ちする頃合い……」
「うむ。十兵衛殿のため、いや、日ノ本の民のため……
精一杯働いてくれ。それがわしの望みじゃ。
そして、わしが生きておる間に、戦のない世の中を見せてくれ」
「はい。励みまする。御爺様もお体だけは、大事にして下され。
では、参りまする」
そう言って、源七は老父の元を後にした。
源五が、巣立ちする忍び達6名を連れて、並んでいた。
「源七、こいつらは、わしが10年かけて育てた強者じゃ。
ひとかどの働きは、すぐにでも出来るぞ~。
さらに鍛えてやってくれ。頼み入るぞ~ハハッ」
源五は笑いながら言ったが、内心は辛いのだろうな……
源七はそう感じていた。
「源五兄……確かに請け負ったぞ。こき使ってやる……ハハッ」
そう、軽く挨拶を交わし、隠れ里を後にした。
甲賀の山中は、桜が満開であった。
「若殿は……今頃どうしてるだろうか……」
源七は心の中に、何故か十五郎の童顔を思い浮かべた。




