262話 会合衆の戦
天正十一年三月二日夜半、源七は配下数名と共に大坂城付近にいた。宇喜多勢との接触を図る方法を考え抜いた末に、宇喜多勢の雑兵を生け捕ろうと考えたのである。夜ともなると、見回りの小隊が其処かしこにうろついている。
「兄者……静かなもんじゃのう。早う国元にかえって赤子を抱きたいもんじゃわぃ」
「文句言っても仕方ないわい。それよりもうすぐ交代の時間じゃ。他の者にも知らせるかいな」
この者は清三といった。徴用された雑兵達の小隊の小頭である。
そして、源七は彼らに狙いを定めた。闇の中からいきなり襲い掛かり、二人を捕らえたのであった。
「手荒な事をして悪かった。某は明智源七郎と申す。敵方の侍大将という事になるかの……」
清三とその弟はわなわなと震えるばかりでる。
「心配せずとも良い。討ち取ろうなどと思ってはおらぬ。協力して貰いたいことがあってのう?」
二人は少し安心したようであった。
「お前たちはどこの隊におるのじゃ?」
「花房の殿様ですわい」
「そうか……この書状を、宇喜多忠家殿に渡して貰いたい。直接が無理であれば、花房殿に届けて貰いたい。もし能わば、弟を解放しようぞ?そしてこの焙烙玉に火をつけてくれ……ある仕掛けがあって、独特の匂いを発するのじゃ。我等はその時点で謀が成就したとみなして開放する。どうじゃ……やれるか?」
「できるかどうかなんてわからねえだがよ……仕方ねえべさ」
「よし決まった。頼んだぞ……これは宇喜多の家のためでもある。実はの……国元には長宗我部の大軍が上陸しておるぞ?」
「本当ですかい?」
清三の弟が問いかけた。
「本当の事じゃ……国元に身内を残した者達は心配であろうの?だが事実じゃ。だが、今は他言無用ぞ。それとな、清三といったか?成就した暁には褒美も与える。何としても事を為してくれよ……」
源七は上手くこの雑兵を抱き込んだのだ。
書状の内容はこうであった。
明智方は羽柴筑前の身内、すなわち、正室のねねと母のなかを捕縛している。そして人質交換として、宇喜多八郎殿を身柄を申し受けるつもりである。明智方としては宇喜多家を味方にしたいと考えている。ついては具体的な会談をしたい。本日夜半、大坂より夜討ちをしかける。その際に羽柴方に目付を討ち果たして貰いたい。成就すれば、明智源七郎慶秀が談判に伺う……
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結局、清三は直接本陣に出向く訳にはいかず、花房職秀の陣所に駆け込み、書状を手渡した。職秀にはすでに宇喜多の国元に長宗我部軍が上陸した事は伝わっている。この書状に目を通すや、職秀の顔色は変わった。これまでの事実が点と線で繋がったと感じたからであった。早速、職秀はこの内容を極秘に忠家と宿老達に伝えたのであった。
そして真夜中の事である。突如として鬨の声があがった。
「何事でござるか?夜中に夜討ちは付き物ですぞ。宇喜多殿は警戒しておられなかったのか?」
羽柴方の目付は詰問調で問いかけた。
「無論、警戒はしておったつもり。だが、大坂の将は島左近殿……一筋縄ではいきませぬ」
忠家はそう反論した。
「兎に角、早う片付けてくだされ。おちおち休みもできぬとは……」
素っ気なく目付は答えた。
「そうですな……ゆるりとお休み下され……永遠の眠りは心地よいものですぞ……」
忠家がそう言って目配せすると、花房職秀が一刀のもとに目付を切り伏せたのだった。
「おお……これは一大事じゃ。目付殿が討ち死になされた。良いか……我等は迎え討つのをやめよ。夜討ちの敵勢は退くであろうよ……」
こう言いつつも、忠家の胸中は穏やかではなかった。明智方がどのような交渉を持ちかけて来るのか……宇喜多家の将来は、この時にかかっているのである……
◇◇◇◇◇
羽柴勢に囲まれた堺の町では、人々が憂いの表情を浮かべていた。活気に満ちた街並みも、どこか萎びれて、行きかう人の波も疎らになっている。特に堺の町を実質的に支配する会合衆の面々は、一様に困り果てていた。この日の夜、今井宗久の屋敷の奥座敷に顔を並べていたのである。津田宗及や千宗易らの有力者の面々も集まっていた。
「さて、皆々様も聞いてはると思いますけど……堺は岐路に立ってしましましなあ。今一度言いますと、羽柴方が言うには、堺にある鉄砲、玉薬のすべてを差し出せとのことです。拒否すれば、町ごと焼き討ちするとのことですわ……」
宗久は改めて説明した。当然、情報に敏い会合衆はすでに誰もが知っている事である。
皆はお互いの顔を見合わせるばかりである。選択肢などないと誰もが思っているのだ。
「要求を呑むしかおまへんと思いますけど、異議はおまへんやろか?」
宗久は話を畳みかけようとした。
「お待ちを……」
声の主は千宗易であった。この男も宗久に負けず劣らずの巨漢である。
「宗易はんは反対ですかいな?」
「いやいや、反対という訳ではありませぬ。私が懸念するのは堺の将来のみ。今の繁栄が綻びては、ゆっくり茶の湯の道にも精進できませぬゆえ……」
「説明してもらいましょか?」
「では……」
宗易はひとつ咳ばらいをすると、滔々と語り出した。
「皆々様は右府様を少々見くびっておられませんか?右府様は我等商人には寛容でいらっしゃいます。ですが、朝廷の後ろ盾もある権力者。戦をするにも我等商人の力が不可欠であればこそ下手に出ておるのです。先般、宗久殿は大坂に呼び出され、灸をすえられたのでありましょう?諸手で羽柴方の要求を呑めば、如何な理由があろうと、気分を害されましょう。今後の我等の権益は大幅に侵されることでしょう」
「それは道理ですがな……危機は目前にあるんですわ。町ごと焼き討ちすると脅されては、我等会合衆としては従わん訳にはいきませんがな……」
津田宗及が意見した。
「左様……町が灰燼に帰すのは避けるしかありますまい。此度は我等堺衆の敗北でしょう。武力を持たぬ我等商人の武器は金と情報でございます」
「宗易さんには何やら考えがあるですかいな?」
「されば申し上げましょう。私共は堺の町を立ち去りましょう。右府様に対する、堺衆の忠誠を示す役回りを私が引き受けます」
宗易は意外な事を言い出した。
「宗易はん……ちと説明してもらえまへんか?」
「鉄砲や煙硝など、どうという事はありませぬ。ですが雑賀の権益、すなわち鈴木殿が研究しておられた技術だけは羽柴方に渡してはならぬという事です。無条件に羽柴方の要求を呑めば、下手をすれば未来永劫、堺の権益は失われましょう」
「で、宗易はんはどないするんですかいな?」
「容易なことですよ。私は必要最小限のものを持って、船で堺を立ち退き、淡路に向います。長宗我部殿を頼りまする。幸い、海では羽柴方の追及などありますまい。そこで、宗久殿には、宗易が脱出を図ろうとしていると注進すれば良いのです。私はすでにその準備をしておるのです。四半刻もあれば出航できますので……」
「本当によろしいんやな?未来永劫、羽柴方とは取引できまへんのやで?」
「はい……これは商人としての戦と心得ております。万一、羽柴方が勝ったとなれば、その時は皆々様へ御執り成しを願います」
「わかりましたよ……皆々様もよろしいですな?宗易さんが今回は損な役回りを引き受けてくれましたんや。何があっても、皆々様で協力してくださいな……」
このようなやり取りがあり、堺衆の衆議は決したのあった。
まさに、剣なき戦いを商人たちはしていたのある。
宗易は予め用意させておいた船で、茶道具とわずかばかりの鉄砲、煙硝を積んで脱出した。宗久は言われた通り、羽柴勢に注進に及んだが後の祭りであった。そして、堺の町にある鉄砲、煙硝の悉くは羽柴方に引き渡されたのである。




