261話 商人の憂鬱
暫く執筆できず申し訳ありませんでした。今後まったりなペースで更新致します。
何卒宜しくお願い致します。
天正十一年三月二日夕刻、明智忍軍の大吾が茨木へ駆けつけた。羽柴勢が別働軍を派遣し、大坂方面に向かったこともあり、その動向を逐一監視していたのである。この時点で畿内の各所では、それぞれの思惑に基づいて群雄たちがしのぎを削っていたのである。
「若殿……羽柴勢は大坂を囲みましたが、木村重玆の軍勢二千が更に南下。堺、岸和田へ向かうものと思われます」
「大坂を攻める意図はないという事か?」
「それはわかりませぬ。現在、大坂の囲みは宇喜多勢のみかと」
「源七……どうも解せぬ動きであるな……」
俺の頭脳は高速回転していたが、どうも掴みようがなかった。だが、大坂に残るのは宇喜多勢のみである。この状況は利用すべきであった。
「若殿……宇喜多と接触を図るのは良い機会ではありませぬか?」
「わしもそれを考えておった。だが、敵の忍びも監視しておろう。羽柴方の目付もおるであろうし……」
「では、某が参りましょう。夜討ちに紛れて接触を図るのです。目付はその時に討ち果たし、宇喜多殿と談判するのです。他に方法は浮かびませぬ」
「源七……やれるか?危険であろう?」
「ご懸念には及びませぬ。お信じ下さりませ」
「わかった。では書状を認める。左近殿とも摺合わせ、すぐに実行してくれ」
「承知致しました……」
源七はそう言って微笑んだ。
◇
同日、木村重玆率いる羽柴勢二千は堺の町を囲んだ。軍監として石田佐吉三成と大谷紀之助吉嗣も同行している。三成は堺の会合衆の面々とは旧知の間柄である。何度となく単身でこの町に来ていたのだ。それは、羽柴方と堺衆との折衝役としてであった。特に今井宗久とは公私に渡り、友誼を育んでいた。年はかなり違っていても、少年のような三成を宗久はどこか憎めず、便宜を図っていたのである。
堺の町は羽柴勢に囲まれたとあって、さすがに動揺した。近年、武装した軍勢に囲まれるなどなかったからである。信長からは商売上の特権を保証され、光秀からも同様の扱いを受けていたのだ。それもあり、堺の町は繁栄を極めていたのである。そして三成は今回はいつもと違った出で立ちで、宗久の屋敷の門を潜ったのであった。
「いやあ久しぶりだねえ宗久さん。甲冑なんて似合わないもの着てるもんだから疲れちゃって……宗久さんの手前を久々に味わいたいなぁ」
三成はそう言ってにこりとした。
「色々聞いてますけど、大変みたいですなあ。こんな事言いとおまへんけど、商売人には迷惑な事ですわ。平和が一番でっさかい」
宗久は茶を点てながらつぶやく。
「何言ってるのさ……戦があるから堺衆含め、商人は儲かるんじゃないの?いつの時代もそうだよ。戦は利を産むのさ」
「それは道理でっけど、できれば平穏な時代に商売したいもんですわ」
「それそれ。その平穏な時代ってやつさ……我が殿が天下を治めれば、その時代の主役は商人になるよ?すでにその施策は頭の中にあるんだ。そんな妄想をするのが楽しいんだよね」
三成は童のように目を輝かせる。
「うん……美味いねえ。さすがは宗久さんや」
「それは恐縮ですなあ。けど、二千の軍勢とはまた大仰ですなあ。岸和田でも攻めるんですかいな?」
それとなく宗久は問いかけた。
「そんな無粋な真似はしないさ。岸和田なんて取っても維持が大変だしねえ」
「では奈辺に目的があるんですかいな?茶を飲みに来た訳ではおまへんやろ?」
「さすがは宗久さん!目的は堺だよ」
「言いにくい事でっけど、右府様の意向がありまっさかい、わかってくださいな」
宗久は軽くあしらおうとしたが、内心では恐怖を感じていた。
「うーーーーん……そう言うと思ったよ。だけどね宗久さん……お願いに来たんじゃないんだ。命令に来たんだよ?」
「そんなご無体な……」
宗久は大きな体を揺すって汗を拭いた。全身から冷や汗が噴き出していたのだ。
「こんな事はしたくないけど、今は羽柴家の切所なんだよ」
「で、何をしたら宜しいんですかいな?矢銭でもお支払いしたらええんでっか?」
「要らない要らない!欲しいのは鉄砲と玉薬さ。堺にある全部を下さいな?我が殿が勝てば、倍の金額で後払いするよ」
三成はとんでもない事を涼やかに言ってのけた。
宗久は卒倒しそうであった。下手をすればすべてが無駄になるのである。
「待ってくださいな!後払いて……貸し倒れになるかもしれませんがな」
「我が殿が負けたらそうなるね?だから最大限の協力が欲しいのさ。うちが全部買い上げれば、光秀さんも困るでしょ?これも兵法の内さ」
三成はケラケラと笑った。
「堺の町が灰になっちゃうのは見たくないんだけどなぁ。愛着もあるしねえ」
三成は涼やかな表情のままだ。
「と……兎に角、一存では決められまへん。時間を貰えまへんやろか?会合衆を集めますよって……」
「いいけど。早いこと頼むよ。明日の昼までにね?乱暴狼藉は厳に慎むよう言っとくからね。明日の昼餉は宗久さんと一緒にね?ハッハッハ」
こうして、三成は帰って行った。宗久は全身の脱力感に見舞われたが、対策を考えざるを得なかった。会合衆の面々に諮るしかなかったのである。だが、自身の中では半ば結論を出していた。
堺の町が焼かれるなどあってはならない……あの佐吉であれば本気でやるだろう……そう思うと、居た堪れない自分に気づかされたのだった。




