244話 雑賀の宴
天正十一年二月二十八日、茨木における戦いは一時的な収束を迎えようとしていた。黒田官兵衛の策謀により雑賀衆の別動隊は囲まれ、殲滅の危機に瀕していた。だが雑賀孫市はその策を見切り、乾坤一擲の騎射突撃を敢行したのである。
「殿ーーーーお気を確かに……殿ーー?」
横たわる官兵衛に母里太兵衛は必死で語り掛けた。
「うぅ……」
「殿……太兵衛ですぞ。おわかりになりまするか?」
「太兵衛……わしの右足は……どうなっておる?具足を脱がせてくれ……」
太兵衛は配下に命じ、官兵衛の具足を脱がせた。
「右足が痺れておるのじゃ。どうなっておる?」
「膝と足首に鉄砲玉が当たったようにござる。殿……早う手当せねば……」
「玉は抜けて……おるか?」
「いえ……」
「そうか……太兵衛よ……わしの右足を切り落とせ」
「しかし……」
「いいからやるのじゃ。わしは此処で死ぬわけには参らぬ。鉛の毒が回る前に早う……
そして殿に意見を具申せよ。わしは此度は働く事叶わぬ」
「何と……お伝えすれば?」
「わしに突撃してきたは……雑賀の孫市じゃ。必ず首級を挙げて、その事実を誇示すべし。敵の士気を沮喪せしめよう。そして、明日中に日向守の首を挙げて下さるよう……もし能わねば未練なく尼崎までお退き頂きますように……」
「ははっ……しかと申し伝えまする」
「では……やれ……」
「殿……御免ーーー」
太兵衛は涙ぐみながら太刀を振り下ろした。
そしてそこへ注進が駆け付けたのである。
敵の残存兵力が古寺に立て籠もっていると……追手を差し向けたが、敢え無く返り討ちにされたというのである。
◇
「孫市郎……敵は退いたか?」
呼吸を荒げながら孫市は問いかけた。黒田官兵衛の本陣へ騎射突撃をかけた孫市は、そのまま止まる事無く戦場を離脱しようと試みたが、黒田勢の包囲が思いの外早く、少し離れた廃墟の古寺に身を潜めたのである。当然その場所は黒田勢の索敵に引っかかり攻められたのだ。だが寡兵であっても雑賀衆である。鉄砲を撃ち掛けて撃退していた。
「敵は怖がって逃げたようじゃが……次はそうもいかんじゃろのう」
「孫市郎……何人残っとる?」
「二十人ばかりじゃわ」
「お前は逃げぃ。わしは此処までのようじゃ……どの道助からんわぃ」
孫市は肩口と左足に銃創を負い、夥しく出血していた。
「大将よーーーわしらはどの道助からんわぃ。今見て来たけど周りにうじゃうじゃ敵兵が居やがる。わしは諦めたわぃ。カカァと子供らに報奨金ガッポリ貰えればそれでええんじゃ」
賞金稼ぎの雪之丞は笑いながら答えた。
「兄者……どうやら潮時みたいじゃわ。わしらには似合わんが、斬り死するしかないようじゃ」
「ほうか……しゃあないのう。守重達は上手く逃げれたかのう?」
「そらわからん。けど黒田の本陣は大混乱のようじゃ。黒田を討ち取ったやもしれんのう」
「手ごたえはあったんじゃが……彼奴は悪運強そうやからのぅ。それにしても痛いわぃ……こら今までの悪行の報いやのぅ」
「兄者……介錯するか?」
「いやぁ……わしはこの痛みを噛みしめて死んで行くんじゃ。介錯なんぞ性に合わんわぃ」
「パパパァーーーーン。掛れーーーー根切りにせぃ」
その時、古寺には黒田勢が押し寄せて来た。
「ふんっ……下手糞な鉄砲じゃ。わしらの最後の鉄砲放ち……大将に御見せしますわぃ」
雪之丞はそう言って出て行った。
「兄者……わしも最後くらいは敵兵に当ててきますわぃ。さらばじゃ……」
孫市郎も馬上筒を担いで出て行った。
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四半刻ばかりの時間が経過した。孫市は己が死に行く様を笑いながら噛みしめていた。聞こえていた銃声も今や止み、敵兵と思わしき喧騒が辺りに近づく。そして意識が薄れて行った。
「もし……目覚められたか?雑賀の孫市殿とお見受け致すが……如何に?」
孫市は薄目を開ける。
「お前は誰じゃ?名乗れぃ」
「黒田官兵衛が臣、母里太兵衛友信と申す。配下の方々は討ち死になされた。孫市殿に相違ござらぬか?」
「如何にも……雑賀の孫市よ。どうやらゆっくり死ねんらしいのぅ」
「お腹を召されるか?」
太兵衛は問いかけた。
「いやあ……似合わんことはせん。それよりこの首、あんたにやろうやないか」
「言い残すことがござれば承ろう」
「特にないけど……黒田官兵衛殿はどうなった?わしの最後の鉄砲放ちや。教えてくれんか?」
「某が介錯致した……」
太兵衛は偽りを述べた。戦乱の世に生きる武士としての最後の情であったのだ。
「ほうか……ハッハッハ……太兵衛殿……わしの首、晒すんやったら男前に設えてくれや。女共が悲しむよってな」
「然らば……御免」
太兵衛の太刀が一閃した。
雑賀孫市(鈴木重秀)は、本来の歴史上では波乱の人生を全うしたと伝わる。だが改竄された歴史において、戦いの中でその生き様を貫いたのであった。
◇
二月二十八日も暮れようとしている。明智治右衛門光忠は、戦場を離脱し高槻城まで撤退した。茨木の戦場から繰り引きしながら見事に撤兵したのだ。羽柴勢が追い打ちするも、根来衆の狙撃に苦しみ、追撃が鈍ったことも幸いした。
高槻城では中川清秀の一族が素早く茨木城を焼き払い先に入城し、高山右近の一族と共に出迎えた。この戦いで明智勢は三千の死人手負いを出し、別動隊である雑賀衆は半数の一千の討ち死にを出している。無論、羽柴勢も同等の損害を出し、何より軍師たる黒田官兵衛が負傷し重篤となっていた。そして羽柴勢は高槻城を囲んだのである。
城を囲んだ羽柴勢は、『雑賀孫市の首』を城の大手の目前に曝したのだった……




