232話 戦火繚乱 瀬戸内の血風 激闘
瀬戸内海における毛利水軍と長宗我部連合軍との海戦は、いよいよ新局面へと移行した。長宗我部方の新鋭艦からなる前衛艦隊は、一通りの艦砲射撃を終えて北方に向けて退避し、さらに後方から支援する動きをとりつつあったのである。この一連の集中砲火で毛利水軍は一方的な打撃を受けていた。中核を成す小早軍は100隻余りが転覆し、関船の被害も三十隻以上に及んだ。風が強く、大筒の命中精度が低くてもこの有様であったのだ。そして、本格的な船戦が始まった。近接戦闘は毛利水軍の得意とするところである。巧みな操船によって接近し、大鉄砲と焙烙火矢で攻撃する。だが、長宗我部連合軍も負けてはいない。先鋒の塩飽水軍が斬りこみ、両脇の讃岐水軍、淡路水軍も突撃する。
「怯むなーーー敵の関船にぶち当ててやれーーー」
来島村上水軍の若き総帥、村上通総は熱くなっていた。何もできぬままに、味方の船が多く沈められていた。それ故、怒りの矛先を塩飽水軍にぶつけたのだった。
大鉄砲が唸りを上げ、炮烙火矢が飛び交く。だが、塩飽水軍にはさらに威力の高い手榴弾が装備されている。宮本伝太夫道意は、冷静に距離を取りながら攻撃を躱し、通総の旗艦に集中砲火した。まさに一進一退の攻防である。
これを遠望していた毛利水軍の総帥、乃美宗勝は全軍に突撃を命じた。すでに味方が大きな損害を出しているのはわかっている。だが混戦になった以上、撤退するにしてもこのままでは味方の損害が多大すぎるのだ。味方の援護を含めて、そうするしかなかったのだ。
◇
一方、後衛の部隊を離脱した村上武吉は高速の関船を駆って戦場の北側を驀進していた。長宗我部方の前衛部隊が北方に転進し、迂回して戦場の後方への支援に向かう事を想定し、後ろから接近を図ろうと言うのだ。
「皆の者良いかーーーひたすらに漕ぐのじゃ。敵から視認できるまで近づいたら、大きく我が軍旗を振りまくれーーー」
武吉の乗船した関船はぐんぐん加速する。大船とは段違いの速さだ。そして船首に立った配下が『丸に上の字』の旗を大きく振り続ける。長宗我部水軍の9隻の大船はゆっくりと進んでいたが、最後尾の入江四郎右衛門の乗艦がそれに気づいた。
「大将ーーー関船がものすごい速さで近づいてきますぜーーー何やら旗を振っておりやすが……」
四郎右衛門は少し驚いた。
「1隻か?敵かの?」
「さて……わかりかねますが……」
そして四郎右衛門は船尾に向かい、遠眼鏡で見た。
「あれは……能島の……掃部頭殿か?」
「こちらに攻めかかるようには見えませんなあ」
「とにかくこのまま進撃を続けぃ。追いついてくればその意図もわかろう」
関船はぐんぐんと近づく。船上には兵の姿は無く、派手ないで立ちの武将が一人佇んでいた。
「四郎右衛門殿かーーー?武吉じゃーーー」
武吉は大声を張り上げて名乗りを挙げた。
「おおぉーーーー何用じゃーーーーっ?敵の大将が単身で此処まで来るとは尋常ではないのぅ?」
「わしは手を引く。これ以上の戦は無用に思うがどうかーーー?」
「今はまだ船戦の最中じゃーーー止められんわぃ」
四郎右衛門は当然そう答えるしかない。
「そこを曲げて頼むーーー。乃美殿には手を引かせようぞーーー信じてくれぃ」
「ならば、まずは乃美殿を説得されぃ。この混戦では我等も見物なんぞできんわぃ」
「承知したーーーわしの配下には船戦に加わらんよう言うてある。そっちも手心加えてくれい。できるだけ早う撤退させる。頼むぞーーー」
「わしの一存では決められん。兎に角、早う戻られぃーーー」
「四郎右衛門殿ーーー頼りにしておるぞーーー」
武吉はそう言うと、全速力で戻っていった。
◇
本格的な船戦は佳境を迎えていた。毛利水軍は中核である乃美宗勝の部隊も突撃し、長宗我部方では九鬼嘉隆率いる志摩水軍も参戦している。両軍入り乱れて攻防を繰り広げていたのだった。
毛利方の総大将である乃美宗勝は、この混戦の中で引き際を考えてた。接近戦になってからの戦いでは互角である。だが、序盤の艦砲射撃で手痛い損害を受け、その後も増えてづけているのだ。瀬戸内海の利権が絡むとはいえ、これ程までの損害を出す必要はないのだ。
「後衛の掃部頭はなぜ動かぬ?日和見するつもりか……もう一度合図を送れ」
宗勝は苛立ちながら配下に命じる。
「殿……先鋒の来島衆、被害甚大の模様。助兵衛殿の旗艦も沈んだとの事」
混戦の中、村上通総の乗艦が沈んだというのだ。
「何じゃと……して助兵衛は脱出したのか?」
「わかりませぬ。このままでは……」
「申し上げます……後詰の能島勢、動きませぬ。逆に撤退の合図をしておりまする。如何致しましょうや?」
「何と……最早、能島は戦闘には加わるまい。潮時じゃな……全軍に退けの合図を」
この時になって宗勝は決断したのだった。
◇
四半刻ほどで両軍はお互いに戦場から離脱した。毛利水軍は二百隻近い船が沈没し、長宗我部方も六十隻ほどが沈められた。そして、来島水軍の村上通総、討ち死の報がもたらされたのである。総大将、乃美宗勝は全軍の因島への帰還を命じた。そこへ村上武吉が小早を乗り継いでやってきた。
「兵部丞殿、某を恨まれますかな?」
武吉は問いかけた。
「今更、詮索したとて始まらぬよ。もう過ぎた事じゃ」
宗勝は軍令に背いた武吉を咎めはしなかった。
「実は、某が単身で敵方と話しました。塩飽の入江四郎右衛門殿には手を引かせると言うて来たのです。故に能島は軍令に背き申した。この戦に意義を見出せなんだ故……」
「正直に申すが、わしも迷うた……初戦で大損害を被った時に決断すべきであった。さすれば恥の上塗りをせずとも良かったものを……」
「であれば、長宗我部方と和睦しては如何かな?毛利家は直接、明智方と争うておる訳ではござるまい。やり様はござろう」
「此度は大きな戦略の中のひとつの戦いに過ぎぬ。ちと痛手が大きすぎるが致し方なかろう。左衛門佐殿にはわしから言上する。水軍としての力量に差があり過ぎる。言いにくい事ではあるが、我が方も敵のような大船を建造せねば滅びよう。難しいところじゃ」
「承知した。であれば左衛門佐殿に話が通りましたら、某が長宗我部方に参りましょう。今後の事、談合して参りまする。くれぐれも頼みましたぞ……」
武吉はそう述べて退出したのだった。
此処において、瀬戸内海の覇権を賭けた海戦は幕を閉じたのである。お互いに大きな傷を残して。




