表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
水色桔梗ノ末裔   作者: げきお
群雄争覇 死闘
210/267

209話 羽徳密約

 天正十一年一月十二日 遠州灘からの寒風吹き付ける浜松城に徳川三河守家康はいた。家康にとっては春の到来が待ち遠しいのだ。関東の覇者、北条家との攻守同盟が成立し万全の体勢となったのである。

 先の『本能寺の変』において、家康は数多の有力家臣を失った。だが、尾張・美濃を我が物とし、大幅に勢力を拡大した。織田旧臣を取り込み、実質的には信長の後継者となっていたのである。


「お前様……春の到来とともに日向守を攻めるのですか?」


「市……嬉しそうじゃな?」

家康は後添えとなったお市の方に微笑み返した。


「無論嬉しくないはずがありませぬ。ですが、お前様にはもっと上を目指して貰わねば。兄の遺志を継ぎ、日ノ本を統べて貰わねばなりませぬ」


「ハッハッハ……そうであったな?だが信長公のように事を急いては足下を掬われ兼ねぬ。万全の状態で日向守を追い込まねばの」


「ねず公と結ぶと?」


「市は羽柴殿が嫌いなのじゃな?」


「あの鼠は好かぬ」


「鼠……じゃが、鼠はしぶとい生き物ぞ。好きでなくともその力を利用せねばの。尤も、向こうでもそう考えておるであろうの」


「殿……本多様がお見えでございます。羽柴方からの密使が来たとの事」

小姓がそう伝えてきた。


「市……早速来たようじゃ。要件など聞かずともわかるがの。織田家と同盟を……という事であろうよ」


「お前様……ねず公など織田家に従えと命じてやれば良いではないか?」


「ハッハッハ……行って来る」

家康は笑いながら、お市の居室から歩み出したのだ。




              ◇




 本多弥八郎正信は、家康を見咎めると無表情に問いかけた。


「殿……客人は離れに通しておりまする」


「密使ではないのか?」


「先方より、内々に殿にお会いしたいとの事」


「弥八郎……羽柴殿も一筋縄ではいかぬな。官兵衛の策かの?」


「心して掛らねばなりませぬ。その使者とやら、某が見るに掴み処がありませぬ」


「わかった。わしが見極めてやろうぞ」


こうして家康と正信は気を引き締めた。建物の周りは万一に備え、多数の伊賀者に警護させている。

家康が現れると、その使者は平伏したまま口上を述べた。


「お初に御意を得ます。某、羽柴筑前守が臣、石田佐吉三成と申しまする。このような礼儀を弁えぬ申し出を汲んで頂き、有難く……」

三成はどう見ても使者には見えなかった。風采の上がらない丁稚奉公の商人にしか見えなかったのだ。


「徳川三河守にござる。面を上がられよ。羽柴殿からの書状なり在れば拝見致そう」


「生憎、書状を無くしました。内容は某からお伝え致したく……」

三成はそう言って顔を上げた。


「殿……この者は今井殿からの声掛かりにて、素性は間違いござらぬ」

正信が横から口を出した。


「して、羽柴殿から何かあるのかの?密使として来られたは何か含みがござるのかな?」

家康はこの若者の物怖じしない態度に興味を持った。


「されば……羽柴家は今春、三月上旬に逆賊に対して一斉に攻め入りまする。その事のみ伝えよと申し付かりました」


「ワッハッハッハ……如何にも羽柴殿らしいわぃ。試みに問うが、石田殿は羽柴殿の意図をどう汲み取られたのかな?少なくとも織田家は信長公が亡くなられたとは言え、羽柴殿の主筋であろう?些か説明を要するのではないか?」


「失礼を承知で申し上げまするが、羽柴家は織田信長公の家臣でありました。その織田家が実質的には滅び、その同盟者たる三河守様が乗っ取られました。わが殿が主筋であると頭を下げる必要などありませぬ」


「確かにそうじゃな。逆賊を葬った後は羽柴殿も覇を争うか……」


「さて……羽柴家の意向は、室町幕府の復興……と考えておりまするが」

三成はそう言って笑みを返した。


「足利義昭公が掌で転がせると?かの信長公でさえ手を焼かれた御仁じゃ」


「左様ですな。ですが、未だ征夷大将軍でござる。謂わば、玉にございますな」


「将軍御教書を以って、諸大名に号令を?」


「利用価値のある者は使いまする。武家であれば建前を無視はできますまい」


「話は変わるが、石田殿は今後の天下をどう見る?日向守は難敵であろう。万一、羽柴殿が敗れることあらば、御身はどうなされるのかな?」


「某は元々は寺に預けられた茶坊主にござる。天下の行く末をこの目で見てみたい……と思いまする。できれば、日ノ本に住まう者同士が争わぬ時代を見てみたい。そう思いまする」


「羽柴殿が天下を統べればそうなると思われるかな?」


「そう思いまする。我が殿は元は百姓の出自。皆が笑いあえる世を作りたいと常々申されておりまする。少なくとも民百姓から搾取ばかりを繰り返すような事はないと信じたい。そう思いまする」


「石田殿……日ノ本を統べるには力が必要とは思われぬか?民百姓が笑いあえる世は絵空事ぞ。それには何十年何百年という歳月が必要じゃ。天下を統治する者が世襲によって継承を繰り返し、争い事が起きぬような政治体制が要る」


「民百姓が覚醒すれば可能でござりましょう。上から与えられるばかりの安寧でなく、民百姓が学び、自らがより良き日ノ本を創らんとすれば変わりましょう」


「成程の……今日は良い話を聞けたわぃ。石田殿はその叡智で羽柴殿を助けられよ。我等も今春には行動する。その旨、羽柴殿にも伝えられよ」


こうして、暗黙のうちに羽柴・徳川の攻勢が進行する事となったのである。三成が退出すると、家康は正信に語った。


「あの者……些か変わり者じゃが、手強いの……羽柴殿の強みは人にある」


「確かに……譜代の家臣を数多抱える我が家にはない強さを感じまするな。仮に日向守を打倒できたとしても、羽柴殿は我が家の最大の敵となりましょう」


「石田三成……黒田官兵衛……今は亡き竹中半兵衛も。弥八郎、わしには羽柴殿ほどの人間的魅力はないようじゃの?」


「お言葉ですが、殿には羽柴殿には無い魅力がござります。家臣達は皆、殿に惚れておるのです。天下をお取り下されませ。それが我が徳川家臣一同の願い。後戻りなどできませぬ」


「上方へ兵を向けるは良いとして、何か方策はあるか?」


「北条が上野・甲斐へ出兵致さば、信濃の抑えさえできれば可能でございます。領内に一万から一万五千と見積もれば三万五千は動員能いましょう」


「日向守の動員兵力は十万……羽柴殿と挟撃できれば勝機はあるな。伊勢方面に一隊を振り向け、本隊が美濃から近江へ……それしかあるまいな?伊勢衆や旧織田家中は調略能うか?」


「恐らくは難しゅうござる。此度は日向守への忠義が試されましょう。純粋な軍事力と戦略の勝負となりまするな。それよりも大和の蝙蝠殿の方が靡きやすかと」


「羽柴殿から調略の手が伸びておろう?」


「ですが、敢えて我等からも……蝙蝠殿の懈怠の後押しとなりましょう」


「わかった任せよう。精々餌を撒いてやれ。それと、伊賀衆には明智勢の動き、具に調べ差せよ。相手の布陣を可能な限り知らねばならぬ」


「承知致しました」


こうして、徳川方でも反抗作戦が開始されつつあったのである。

春の到来と共に、全土を巻き込んだ戦乱が幕開けようとしていた……

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ