206話 甲賀の悲哀
天正十年十一月十日 俺は安土に居た。今月の二十日に婚儀を控えており、その準備や父光秀との打ち合わせもあったからだ。日ノ本で最大勢力となった明智家ではあったが、嫡男の婚儀とは言え状況が状況だけに諸手でお祝いムードという訳ではない。当然ではあるが家中の有力武将の列席もあるため、警備も怠る訳にはいかない。婚儀の準備については俺がやる事は少ないが、どうにも気持ちは落ち着かなかった。
俺は久方ぶりに安土城の天守から比良の山々を眺めた。光秀と並んでこうしていると少し感傷に囚われた。
「十五郎……浮かぬ顔ではないか?信長公の事でも思い出しておったか?」
「やはり父上には隠し事はできませぬ。信長公とこの同じ場所で琵琶湖の景色を眺めた事を思い出しました」
「であろうの……わしも同じじゃ。並んで景色を眺めた訳ではないが、幾度となく此処に呼び出されてな。そういえばお前は女婿になるはずであったな?」
「はい……」
「わしはお前の嫁取り……まことに嬉しく思うておる。この時代にあって惚れた女子と連れ添えるのは、それだけでも果報者じゃ。わしも熙子と連れ添うて、お前や玉子や倫子、立派な子らを授かった。如何様な地位や名誉よりも喜ばしい事じゃ」
「源七にございます……」
そうしていると源七から声がかかった。
「入れ……」
「ご報告致します。羽柴殿の領内では、やはり手榴弾を作っておりまするな」
「さすがに抜け目のない事よな。次の戦いがあれば実戦投入して来ような」
「見た限りでは我等程の組織的運用な無理でしょうが……」
「やはり軍事的技術は漏えいしてしまいますな?できれば銃火器の軍事的優位は常に確保したいところです」
「うむ……急がねばならぬ」
「大殿……我が頭領も隠れ里を出て、此方に居を移しまする。若殿の晴れ姿を一目見たいと申しておりました。お許し頂けましょうや?」
源七が遠慮がちに言い出した。
「ハッハッハ……そのような事聞くまでも無かろう?宴には家臣団と共に列席するよう伝えてくれ。左源太殿とは長らく会っておらぬしの……久方ぶりに杯を傾けたいと光秀が申して居ったと伝えてくれ」
「有難き幸せ……早速、我等が隠れ里に迎えにあがります」
「うむ。気を付けて行ってまいれ」
こうして俺の婚儀の準備は進んでいたのだった。
◇
甲賀組の面々は隠れ里に向かっていた。山々には冬の気配が近づき、空っ風に混じり粉雪が舞っていた。
「源七……そろそろ雪になるやもしれぬな?早めに来てよかったわぃ」
「源五兄……本降りになる前に里を出ねば立ち往生するかもしれんなぁ。急がねば……」
「我等は久方ぶりの里でございます。この土の匂いが懐かしく思いまする」
以蔵や蛍たちも笑いかけた。
「そろそろ滝の入り口でございますな。あそこだけは荷を運ぶのが難儀でございます。某にお任せあれ」
猪吉がそう言って胸を張った。猪吉は源五配下の大兵の忍びで巨漢の力自慢である。
「任せたぞーーーわしらが楽できるしの?」
源五も笑いかける。猪吉の飄々とした仕草が可愛げがあるのだ。
「ん……どういう事じゃ?」
源七の嗅覚が危険を感じ取った。隠れ里の滝の入り口を覆っている草木の位置が不自然で、源七は咄嗟に言葉を発した。
「散れーーーっ」
そしてそこへ焙烙玉と手裏剣が襲ったのである。間一髪で明智忍軍はそれを躱した。源七と源五は忍びの合図を使い即座に配下に指示を出す。そして始まった……忍び同士の戦いが。
各人が四方に散り、敵を探す。源五が身に着けていた羽織を放り投げた。そこへ手裏剣が突き刺さる。
「敵は四人じゃ。二人一組で討ち取れ」
源五はその様子から敵の人数を判断し指示を送る。敵は追い詰められた。
棒手裏剣が飛び交い、森と木々の間を身軽な忍び達が躍動し、金属音が響き渡る。そして僅かな断末魔の叫びとともに敵の忍びは簡単に討ち取られた。
「伊賀者じゃな……急ぐぞ」
源七はすぐにそう指示を送り隠れ里に向かった。そして里で見た光景に皆が打ち拉がれた。源七にはわかっていた。このような事態は異変を感じた時に予見していた。一縷の望みを持っていたが、それは空しかった。
「頭領ーーーっ お頭ーーー」
源七は物言わぬ左源太の骸に相対した。
「あざみ……殿? あざみ殿ーーー」
その横にはあざみの遺体も横たわっていた。
「源七……誰も生きてはおらぬ。伊賀者の骸が二十以上ある。手榴弾を使って戦ったのであろうな。まだ若い子等も必死じゃったのであろうよ……」
源五はそういって咽び泣いた。他の者らも辺りを警戒しながら涙ぐんでいる。
「お頭は最後まであざみ殿を守ろうとして戦ったのであろうな……あのお体で」
「ああ……見事なものじゃ。三人も葬っておる。だが、あまりに惨い。年端の行かぬ子等や、若い巫女まで。兎に角、隈なく探すぞ。皆の者も里の隅々まで探すのじゃ。警戒も怠るでない」
源五がそう指示を出した。時間が緩慢に過ぎていく。
「源七……これが忍びの定めじゃ。襲ったのは間違いなく服部半蔵配下の伊賀者であろう。先の襲撃への報復であろうな」
本能寺の変の後、明智忍軍は逃亡を図る家康一行を襲い、その家臣十数名を討ち取っている。酒井忠次や石川数正など、名のある重臣も討ち取っていたのだ。その報復を受けても致し方ない事である。ましてや、明智忍軍は徳川方にとっても大いなる脅威なのだ。
「頭……源十郎が……」
猪吉が年若い子を連れてきた。
「源十郎……無事であったのか?」
「源五兄……申し訳……ありませぬ」
その子は手傷を負ってもいなかった。隠れ里のあばら家の隠し部屋にいたのである。
「お爺様が……部屋で息を潜めよと……某は戦いたかった。あのような奴等……何人かは討ち取れたはずなのに……」
「己惚れるでない。お爺様のお気持ちを無駄にするは不幸者ぞ」
「でも……許せませぬ。伊賀者……必ずや皆葬ってやられば……」
「源十郎……今は戦の世じゃ。お前はお爺様がこの隠れ里を継ぐべきと目をかけておった者ぞ?忍びは情に任せて動く者に非ず。憎しみは隙を産み、己を滅ぼす。しかと心得、命あったを喜べ。そして、使命を全うするのじゃ。それが頭領への孝行であるぞ」
源七はそう諭した。
「お頭……隈なく探しましたが、生きている者はおりませぬ」
「そうか……敵の気配も感じられぬか?」
「はい。敵の骸を確認致しましたが、確実に息をしておりませぬ」
以蔵がそう報告した。
「以蔵たちは里の入り口を見張り警戒するのじゃ。猪吉たちは遺骸を集めて並べてくれ。蛍はすまぬが、あざみ殿や巫女達の体を清めてやってくれ。そして遺髪をな。荼毘に付した後、この里を焼き払う」
源七は冷静を装いながらそう命じた。
「源十郎……お爺様の刀はお前が引き継ぐのじゃ。良いな?」
最後に源七は唯一の生き残りである源十郎にそう諭した。源十郎と呼ばれるこの子供は所謂戦災孤児ではなかった。歴とした武家の子息である。波多野秀治の弟である秀尚の子息であるのだ。秀尚が信長の命によって刑場の露と消えた時、光秀は秀尚の幼子とわかっておりながら左源太に託し、忍びとして生き永らえるよう計らったのだ。
日も暮れ、伊賀の山間には寒気が入り込んだ。源七達は討ち死にした者は、敵である伊賀衆も含めて荼毘に付した。燃え盛る炎を見上げながら、最早帰るべき里が失われたことを悟った。闇夜の中に赤々とした炎が揺らめき、それに混じりあうように舞い出した粉雪は、いつからか大粒の雪に変わった。
「我等甲賀衆は今後、惟任右府様の『家臣』として働く。そしてこの隠れ里の事を語り継いでいこうではないか……」
源七は皆に向かって滔々と語った……




