198話 諸勢力の胎動
天正十年九月十日、長宗我部宮内少輔元親は讃岐虎丸城を囲む陣幕の中にいた。この年の六月、元親は二万の軍勢を率い阿波に攻め入り、勝瑞城に籠る三好一族を退去させた。三好一族の将たる十河存保、三好康長は七千の軍勢を率い讃岐に落ち、長宗我部方とは一時的に休戦したのである。だが、尼崎の戦いによって羽柴秀吉が敗北し、その後の情勢の変化が元親の攻勢を後押しした。
元親は阿波に集結させていた二万の軍勢で一気に讃岐に侵攻したのであった。讃岐国内の城は瞬く間に陥落した。元々三好方の守備兵力が微小だったのもあるが、畿内の情勢を見た国衆の多くが三好方を見限ったことも手伝った。そして、いよいよ両将の籠る虎丸城を囲んだのである。
城を囲む大軍勢を見た三好方では、存保と康長が語らっていた。
「三郎殿……見渡す限りこの山は取り巻かれてしもうたの。潮時かもしれぬ……」
康長は嘆息した。
「笑岩殿……まだ城には精鋭の三千がおりまする。この城は容易には落ちませぬぞ?」
「確かにな……だが、延命できるだけであろう?畿内の動静は定まった。羽柴殿が来援するなど絵空事じゃ。もう良いではないか……この上は家名の存続を考えるべきぞ?」
「しかし……」
「良いか三郎殿……我が甥、日本の副王と呼ばれた三好長慶も、そしてその後畿内を制した織田信長も斃れておる。栄枯盛衰とは儚きものよ。生きてさえおれば捲土重来は叶おうというものじゃ。何としても生きられよ。わしはこの通り老い先短いが、三郎殿には先がある。元親はこの城を囲んでおるが、一向に攻める気配はない。何故と思うか?」
「それは……我等が開城するのを……」
「左様じゃ。元親は戦のその先を見ておる。そして、三好一族を味方にしたいのじゃ」
「しかし、我等が元親の足元に平伏すなど我慢がなりませぬ。何故……」
「三郎ーーーっ 甘ったれるでない。お前は実質的には三好の当主であるぞーーー
付き従ってくれた家臣達のため、涙を呑むのじゃ」
「笑岩殿……」
「わしが直々に元親と話を付けよう。決して悪いようにはせぬ。もし元親が我等を貶めるような対応をするならば、わしが差し違えようぞ」
笑岩はそう言って存保の肩を叩いた。存保は涙を流して頷いたのであった。
九月十一日、三好康長は元親の陣中に赴いた。康長が降伏するにあたり出した条件は、城兵の総赦免と存保の身上の確保だけであった。自分自身の命は差し出すと言うのである。その康長に対し、元親はこう応じた。
「笑岩殿……某は四国平定に力を尽くすのが悲願。だが、小さき事でござる。惟任右府殿は日ノ本の一統し、日ノ本すべての民草に安寧をもたらすことを悲願とされておる。我が息子は大船を作り、日ノ本の外に出たいと申しておりまする。今、日ノ本は戦乱に明け暮れておりまするが、あと十年……某の話し相手をして下され。三郎殿には我が息子を助けて頂きたい。日ノ本に住まう者同士が争う事無き世を作ろうではありませぬか……」
こうして、元親による讃岐平定が成ったのである。
◇
天正十年九月二十日、此処は紅葉に色付く山々に囲まれた場所である。肌寒さを感じる季節になり、久方ぶりに親子は互いに木刀を持ち立会稽古をしていた。紅葉が舞い散る中、汗を拭った男は息子に話しかけた。
「藤次郎……腕を上げたではないか?切先も心眼で見切れるか?」
「いえ、まだまだでございます」
「謙虚なのは良い事じゃ。周りが何と言おうと、わしはお前に家督を譲るつもりじゃ。そのためには励めよ?」
「父上は何故某を……」
「お前の器量を見切っておるからよ。わしには無い器量をな……」
「買い被りでございます」
「爪は隠しておくに限るぞ。武士とは己の力を誇示したくなる生き物じゃ」
「はい……心得ておりまする」
「さて、我が家は選択を迫られておる。包み隠さず申す故、次期当主としてお前の考えを言うてみよ」
「如何様な事でござりまするか?」
「徳川殿が織田家を実質的に乗っ取った話は前に伝えたであろう?此度、新発田を後援し、越後に軍を進めて貰いたいと言って来おった。同様の話を、芦名や義兄上にも督促しておる。お前ならば如何に処す?」
「叔父上や芦名にも?我が家に何の得がありまするか?」
「越後を切り取り次第。そして、北へ領土を広げるならば織田徳川が力を貸すそうじゃ」
「あり得ませぬな。理由は二つございます。まずは新発田を後援し越後を攻めたとて、我が家の得るものは僅かばかりの領土にございます。そして、畿内を制した惟任右府殿や再興された武田を敵に回すことになりまする」
「ほぅ……叔父上や芦名は乗り気なようであるがの」
「であれば尚更でござる。転び様によっては得るもの少なく、失うものが多ございます」
「無視するかの?」
「そうされるべきでございましょう」
「そうか……さすがのお前でもそこまでしか考えが及ばぬか?」
「某は間違っておりましょうや?」
「実は義兄上に合力するよう義からも言うてきておる」
「母上から?成程……某の不明を恥じるのみにございます」
その少年の隻眼は火花を散らすように煌めいた。
まだ若き頃の『伊達藤次郎政宗』の姿である。『義』とは政宗の母、義姫の事で、兄である最上左京大夫義光から義姫を通じて越後への出兵依頼も来ていたのだ。
「で、策を言うてみよ」
「はい……我が家からは当たり障りのない数の軍勢を越後に。但し、戦は出来得る限り避けるのが得策かと。此処は叔父上に華を持たせましょうぞ」
「良く出来たわぃ。その呼吸を忘れぬ事じゃ。米沢は畿内から遠く情報に疎くなる。が、家を守って行くならば外と内、何方にも目配り出来ねばならぬぞ。何度も言うが、わしはお前に家督を譲る気持ちに変わりはない。だが、家中にはそれを良しとせぬ空気もある。今は爪を隠せ……良いな?」
「はい……しかし、何故母は某を疎まれるのでしょう?」
「お前の隠した爪を見極めておるからじゃ。女子とは従順な者を愛でたくなる者なのよの……小次郎が哀れじゃ。義は伊達と最上が一体となるを望んでおる。国盗りは武士たる男の所業であるが、女子の情はそれを許さぬらしい。女傑といわれる義ならば致し方あるまい。母を恨むでないぞ」
「父上のそのお言葉で藤次郎は救われます」
「うむ……蔵人はおるか」
輝宗は虚空を見上げながら声を張り上げた。
「これに……」
何処からともなく、修験僧の出で立ちの男が現れた。伊達家の影働きを担う『黒脛巾組』を束ねる、世瀬蔵人である。
「新発田の周辺、そして甲斐武田の動向を探らせよ。それと……分かる限りで良い。惟任右府殿の嫡子を探れ。今後の日ノ本の動静は内裏の後ろ盾を得た、惟任殿を見極めねばならぬ。そしてその後継ぎもな」
「父上……右府殿の跡継ぎとは確か……」
「うむ。明智十五郎光慶殿と言うらしい。すでに明智の軍勢を率いて戦果を挙げておる。織田前右府殿には神童などと言われておったらしいの。確か藤次郎と同じ年であったはずじゃ」
「某と同年で一軍を率いておるのですか?」
「そうじゃ。お前と同じよ……新発田への軍はお前に預けるのであるからな」
「荷が重すぎまする……」
「上手く立ち回れよ?越後兵は手強い。蔵人……それに小十郎も藤次郎を助けてやってくれよ」
輝宗は藤次郎の傍らに控える青年にも声をかけた。若き日の片倉小十郎景綱である。
「お任せくだされ」
小十郎は勢いよく答えた。
秋の色が濃くなりつつある奥州でも戦雲が忍びつつあった……




