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水色桔梗ノ末裔   作者: げきお
群雄争覇 黎明
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195話 赤鬼襲来

 天正十年九月七日、明智勢全軍が揖斐川を渡河して布陣した事が徳川方の知るところとなった。同時に長島城からも使者が帰還し、軍議となっていたのである。忠勝としては明智勢が敵前渡河を敢行し布陣するとは予測してはいなかった。しかも此処は美濃国であり、織田方の勢力圏である。


「明智の小倅は斯様に大胆なものかの?我等の性根を見透かしたかのような動きじゃ。彼奴等は戦うつもりかの?」

忠勝は軍議の席で嘆息した。


「確かに解せませぬな……如何な大軍とて此処は敵地にござる。本気で我が方に攻める気があるなら近江からも攻めて当然。小倅の独断にござろう」

石川玄蕃頭康長が答える。


「明智の考えなど埒外にござる。美濃まで小倅如きに踏み込まれては我が家の沽券にかかわりますぞ」

牧野康成が突きあげた。


「新次郎殿の言や尤もじゃ。断固一戦仕るべし」

ここぞとばかりに井伊万千代直政も同調した。


「事はそう簡単ではない。此方から攻めるなどあってはならぬ」

忠勝はそう諭す。


「平八郎様ともあろうお方が臆されたかーーーっ 兵力差など一万に満たぬ。我等が負ける事などござらぬ。亡き上様や左衛門尉様等、伊賀越えで討ち死した者達の仇討ちをする好機にござる。一戦も交えぬとは我慢がなりませぬ」

直政は引きさがる様子もない。


「万千代殿……言葉が過ぎようぞ。某とて父の仇を討ちたい気持ちはある。だが、感情に任せて動く時ではござらぬぞ。平八郎殿とて戦いたいのじゃ。そのお気持ちを与力として汲まねばならぬぞ」

石川康長が見かねて間に入った。


「方々にお願い致す。軽挙妄動だけはせぬようにな?今後如何致すかは殿の意向もある。それに現状では明智方の出方が読めぬのじゃ。わしは彼奴等が攻めかかってくるとは思うておらぬが、この状況では容易に兵を退く事もできぬ。警戒だけは怠らず、此処に踏み止まるしかあるまい」

忠勝はそう結論したが、本多弥八郎正信は終始無言で目を閉じていた。軍師として判断に迷うところも多かったためだ。そして正信はその沈黙を破った。


「平八郎殿……一つ提案がござるが……」


「拝聴しよう」


「万千代殿が申すように、何もせぬまま撤兵するは確かに我が殿の沽券にかかわり申す。さりとて、全面的な戦に及べば我が方の損害も甚大となりましょう。無論、明智方もそれは望まぬはず。全て丸く収める方法は無いに等しい。そこで、我が方から少数の部隊を木曽川上流に迂回させ、夜討ちをかけまする。この夜討ちは一撃必殺を旨とする事。上手くすれば我が方の名分も立ちましょう。それに、明智方もおいそれと仕掛けは致しますまい。明智方も当然警戒はしておるでしょうから、四半刻のみの攻撃とする事。兵数は一千にて、万千代殿と新次郎殿では如何か?」


「それは良い。必ずや一矢報いて御覧に入れる」

直政はそう意気込んだ。


「弥八郎殿……夜討ちするは良いとして、その後はどう収められる?」


「和睦致しまする。某が直に出向き折衝いたしましょう」


「和睦ですと?何故でござる?」

直政がまた噛み付いた。


「双方の利害が一致するからでござる。明智方の思惑は伊勢の併呑であると見ました。敢えて我が方に兵を退かせる為に強気に出ておるのです。今ならそれが叶いまする。尻に火が付いてからでは遅きに失する。敵にも我が方を舐めると痛い目に遭う……そう思わせるための夜討ちにて。如何でございましょう?」


「弥八郎殿の策に乗ってみよう。万千代殿?くれぐれも深追いすまいぞ。すぐに兵を退くのじゃぞ。良いな?」


「承知……」


こうして徳川方では井伊直政、牧野康成率いる軍勢が夜陰に紛れて離脱した。




               ◇




 夜も更けようとしていた。藤堂与右衛門高虎は野戦陣地を張り、寝ずの番をするつもりで酒を煽っていた。昼間の出来事で慶次郎に言われた言葉が胸中にこだまし、何ともやり切れない気持であったのだ。十五郎からは絶大な信頼は勝ち得ている。だが、本当にそれだけでいいのか?いや、わしの夢は一国一城の主。その夢は叶えられつつある。だが、高虎は十五郎を立派な天下人にするという夢を見つけていた。


「おぉーーー此処に居られたか?寝ずの番とは感心感心。どうじゃ?一杯馳走させて貰おうかの?」

そこには前田慶次郎利益が酒樽を抱えて立っていた。高虎は思わず睨み付ける。


「そう睨みなさるな。まだまだお若いのぉ」


「某は寝ずの番をしておるところ。何用でござるか?」


「酒を煽りながらの寝ずの番でござろう?ご相伴に預かろう。この酒は伏見の逸品よ。どうじゃ?これで昼間の無礼は許されよ」


「ふんっ……ハッハッハッ……」


「まあまあ一ついこう。それでこそ武士よ」


「某、実は昼間の貴殿の言葉を噛みしめておったところでござる」


「ああ……あれか……某は言葉を飾るのが苦手でしてな。相手が何者であろうと言いたい事は言い申す。出世の夢などありはせぬし、自由に生きるのが武士の本懐と心得ておる」


「お気楽な身の上でござるな?某は没落した藤堂の家名を天下に届かせたいと思うて生きて来たのでござる。ですが、十五郎様の天下の名将に育てたい。その思いに突き動かされており申す」


「確かに可愛げのある小童じゃな。わしもそう思うたわ……言葉にできぬがな」


「貴殿が言われるように、十五郎様は甘い処がある。わかっておるのです。ですが、その人柄に絆されるのも事実。まだ齢十五の若武者にござれば、今後数多の試練を乗り越えながら成長して行かれるのでしょうな?それを見守って行く所存」


「余程小童に惚れておられるのよな?羨ましい事よ。武士とは惚れた男に尽くせることこそ本懐よ」


「返杯……受けて下され。慶次郎殿の言葉は身に染みてござる。改めて気づかされ申した」


「うむうむ。中々酒が強いの。それでこそ漢じゃ。今宵は飲み明かそうぞ」


こうして夜は深けていったのだ。




               ◇




 すでに一刻が経過しようとしていた。与右衛門、慶次郎共に酔いつぶれる事はない。ただ、秋風が冷たくなりつつあり、すでに陣中も静かになってきている。そして、その時は訪れた。夜の闇を切り裂いて、いきなり鬨の声が響き渡ったのだ。


「ウォオオオオオオーーーーー」


井伊直政、牧野康成率いる決死隊一千は木曽川のかなり上流で渡河を終え、宵闇に紛れて接近するや、いきなり攻めかかったのである。標的となったのは最も外縁に野営していた藤堂高虎と前田利長の陣であった。徳川勢は陣幕の明かりを目掛けて鉄砲を釣瓶撃ちさせた後、突撃を開始した。

両名の陣も警戒していただけあって混乱はなかったが、夜討ちの効果もあり、対応は一歩遅れた。そして其処かしこで白兵戦が展開される。


「与右衛門殿……助太刀致す。久々に槍を振えそうじゃわい。共に行かん」


「ありがたや……暴れて見せましょうぞ」


こうして両名は白兵戦に身を投じていった。


「進めーーーーーっ 明智の弱兵など蹴散らすのじゃーーーー」

井伊万千代直政は重厚な甲冑に身を包み先頭に立って槍を振う。


「雑兵に構うなーーー 徒歩武者を討ち取るのじゃーーー」

井伊勢は火の玉となって突撃する。だが、高虎の部隊は守りを固め崩れる様子はない。


「慶次郎殿?此方は大丈夫でござる。ですが、孫四郎殿の陣の旗色が悪い」


「承知した。少しばかり兵をお借りする。よろしいですな?」

そう言うや、慶次郎は五十人ばかりを引き連れ、隣の前田利長の陣に駆け付けた。

確かに牧野勢によって、本陣の周辺でも白兵戦が展開されている。

利長自身が護衛に囲まれながらも槍を振う状況になっていた。


「じきに加勢が来る。持ち堪えよーーー敵の攻勢は長続きせぬ」

利長も声を張り上げていた。


「前田慶次郎見参ーーーーーっ」

慶次郎は朱槍を振い、牧野勢の側面に突撃した。その槍さばきは軽妙であり、瞬く間に徳川勢の徒歩武者が二名串刺しにされた。


「孫四郎ーーーっ 不甲斐ないぞーーー押し返せーーー」

慶次郎はそう声を張り上げた。


「慶次郎殿か?助太刀感謝いたーーす」


「横槍か……そろそろ潮時かの……退けの合図をせよ」

牧野康成は早々に見切りを付け、自ら殿しながら撤退にかかる。


「新次郎殿はもう退くか……口惜しいが仕方あるまい」

それを見て井伊万千代直政も撤退していった。

まさに、明智勢が周囲から集まり出さんとした瞬間であったのだ。この両名とも若いが戦の駆け引きでは人後に落ちない。徳川勢の底力が垣間見えた瞬間であったのだ。四半刻ほどの激戦で、徳川勢には八十名程、そして明智勢には百名以上の死人手負いが出たのだった。


「申し上げます……徳川勢は撤退した模様。与右衛門様、孫四郎様はご無事にござる。ですが、百名以上の死人手負いが……」


「そうか……警戒していたとはいえ、やはり徳川勢は侮れぬな」

俺の胸中は穏やかではなかった。

さてどうするか……俺は次の一手を打つべく沈思に耽った。

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