193話 大胆不敵
天正十年九月五日、俺は峯城に到着し、津田七兵衛信澄率いる伊勢衆、根来衆も合流した。そこで今後の策を話す事となっていた。俺は道中、源七や真田兄弟と話しながら今後の策を話していた。即ち、長島城を通過し、木曽川を遡り尾張へ侵入する動きを見せる。此処で徳川勢がどう反応するか……相手は王手飛車取りにならざるを得ない。そして、軍議となった。
「各々方……戦い続けて疲労もあるでしょうが、状況がそれを許しませぬ。某はすでに策を決めておりまする。伊勢長島を素通りし、木曽川沿いを遡りまする」
俺の発言に伊勢衆他の諸将がどよめいた。皆がお互いに顔を見合わせている。
「十五郎殿……長島の抑えは如何なさる?滝川殿の去就も定かでない以上、放置はできますまい?」
津田七兵衛信澄が皆を代弁して問いかけた。
「抑えは一切残しませぬ。全軍を尾張へ向けまする」
諸将の表情には戸惑いに支配された。
「十五郎殿は総大将でござる。ですが、その存念をお聞かせ下さい?」
信澄は一歩引いた物言いをした。
「叔父上……これから説明いたしまする。某は滝川殿を味方に引き入れたいと思うておるのです。徳川殿との敵対を態度に現した以上、我等に味方する事もありましょう。ですが、滝川殿は信長公の宿老であり、一癖ある御仁とお見受けいたします。此方が囲んだところで従わぬでしょう。されば、言葉ではなく行動で我等が示せば靡いてくれますまいか?
我等が全軍を向ければ、徳川勢は長島の囲みを解き、同じく木曽川を遡って布陣致しましょう。そして、我等に仕掛けるか、撤退するかの選択肢となりまする。ですが、徳川勢は我等に挑みますまい。兵力的に圧倒的に不利ですし、何より岐阜から撤退を命じられましょう?そろそろ上杉が信濃に侵攻する頃合いにございます」
「確かに策としては正しいかと思いまする。ですが、滝川殿に背後を突かれる可能性も否定できますまい。その担保はおありでございましょうや?」
信澄が問いかけた。
「ありませぬ……唯一の担保は……そう呼べるかどうかわかりませぬが、六文銭の旗印にございます。我が軍中に真田勢が居る事を示しまする。源次郎殿や安房守殿と滝川殿は浅からぬ縁がございます。某には滝川殿がその軍勢に対して後ろから仕掛けるような真似をする御仁には思えぬのです」
「若殿の策は承知いたしましたが、実際に戦う兵達は不安に思われるのではありますまいか?ご一考下さいませ」
関万鉄斎盛信もそう語った。
「某は滝川殿に問いかけたいのです。我等の行動をもって……意に添わぬやもしれませぬが、お願い致しまする」
「まあ、仕方ないやろ。十五郎さんが総大将や。それに滝川殿も城に籠ってたら強いやろうが、四千程の兵で我等に仕掛ける事はないと思うがな。どうしても不安やったら、わしらが最後尾を固めるわ。此処は従うとしましょ」
津田杉之坊照算が同意した。
「万一の折は我等真田が後ろを守りまする。何卒……」
真田源次郎信繁も追従してくれた。
「仕方ありませぬな……では十五郎殿の賭けに乗ってみるとしますかな?」
信澄も最後は笑って同意した。
◇
九月六日、木曽川対岸から長島城を囲む徳川勢にも明智勢の動向が知らされた。本多忠勝はこれあるを予測はしていたが、予測以上の大兵力と、長島に背を晒し全軍で尾張へ進軍する様子を見て動揺した。
「弥八郎殿?如何いたす?此処に至っては我等も長島の囲みを解き、木曽川を上って尾張への侵入を阻むしかないと思うが……」
「平八郎殿、明智の弱兵など恐るるに足らず。一息に葬る好機にござる。兵力の過多など問題ではありませぬ。総大将は明智の小倅にござろう?上様の御前にその首を供えましょうぞ」
井伊万千代直政は意気揚々と答えた。
「平八郎殿……某は『あの大胆な用兵』が気掛かりにござる。もしや滝川殿と何らかの示し合わせの有や無やと……」
「同感じゃ。もし滝川殿が寝返りでもすれば大事じゃ」
「此処は探りをかねて長島に使者を立てるが上策かと。此方に従わせる必要はござりませぬ。ただ、明智勢の側背を突き小倅を葬れば、伊勢、伊賀を進呈する……これくらい吹っ掛けてみるしかありますまい。従うとは思えませぬがやってみるべきでしょうな?その反応で滝川殿の性根が知れましょう」
「それしかあるまいな?滝川殿だけでなく、城中におるであろう佐久間や長野にも書状を送ろうぞ。利で動く輩も居らぬとは限らぬ」
「本多様……斯様な逃げ腰では我が殿の沽券にかかわり申す。一戦あるのみ」
直政は引き下がらない。
「万千代殿……この出兵の目的は滝川殿を従わせることにあった。元より明智と戦う事は意図しておらぬ。わしとて戦いたい気持ちはある。だが、今はその時に非ず。明智が大兵力で出陣してきたは尾張への侵攻が目的ではなかろう?我等に兵を退かせる為じゃ。無駄な戦はせぬ。上手く撤兵できれば良しとするしかあるまい。それに殿からは遅かれ信濃への転戦を命じられようぞ。それまで英気を養う事じゃ」
こうして、徳川勢は長島に使者を送るや、明智勢の動きに合わせて北上した。
◇
滝川左近将監一益はこの動きを具に観察していた。そこへ、本多正信からの使者が訪れたのである。一益は大凡の内容は予測していたが引見した。
「この書状をお改め下さりませ」
使者は恭しく忍ばせた書状を渡す。一益はそれを一読するなり答えた。
「本多殿に伝えられよ。某も武士の端くれなれば、徳川様や三介殿に弓を引いたりはせぬ。だが、明智勢を攻める事もまた信条に反する。おわかりであろう?明智勢の出兵が結果として我等の窮地を救った格好になる。無論、わしが働きかけた訳ではないがな……本多殿もわしが意趣返しするを期待などしておられぬであろう?」
「……承知いたしました。斯様伝えまする」
使者は早々に引き上げた。
「方々……徳川方からは、明智勢を後ろから攻めよと知らせて来た。伊勢、伊賀を進呈するとな。だが、わしはそのつもりはない。宜しいかな?」
一益は諸将に語り掛けた。
「当然でござろう。徳川からの申し出など拒否して当然でござる。それよりも、明智方に我等が同道しては如何か?我等から申し出れば惟任右府殿も喜ばれよう」
長野左京亮がここぞと提案した。旧北畠衆も頷いている。彼らは自身の為、明智に鞍替えしたいという腹を持っているのだ。
「それはできぬな……否、せぬ方が良い。わしが思うに明智方の総大将は十五郎光慶殿であろう?これまで何度か戦ってきた感想だが、凡そこの時代の武将の考えでは測れぬ御仁じゃ。わしも含めて戦国の世に生きる者とは価値観が異なろう。わしは此度の用兵を見て、わしへの問い掛けではないかと思うておる。それに物見からの知らせでは、六文銭の旗が大仰に掲げられていたそうな……恐らく源次郎が軍中におるのであろうな?わしとの縁を誇示する事で、この左近将監一益を量っておるのであろうな。
わしは総大将の明智の小倅を戦国の世で生きるには甘い人物と見た。だが、磨かれれば末恐ろしい大器やもしれぬな。故に、今は動かぬ。いずれ相手方から何か言ってこよう。今は待つ時じゃ」
「さすがは叔父御じゃ。伊達に年は食っておりませぬな……実に面白い。だが、某は待ちきれませぬな。単騎で追いかけてその差配ぶりを見て参りまする。宜しいですな?」
前田慶次郎利益が口を出した。
「引き留めても聞くまい?好きにせよ。必ず戻るのじゃぞ」
一益はそう微笑み返した。




