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水色桔梗ノ末裔   作者: げきお
群雄争覇 黎明
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191話 長島への使者

 天正十年八月二十二日、徳川勢一万五千は伊勢長島城を囲んだ。率いるのは隻眼の闘将本多平八郎忠勝である。名目上は織田三介信雄を立て、本多弥八郎正信始め、徳川家の諸将の顔触れも見えた。

そして、城を遠巻きにした上で軍議が催された。


「さて、此処まではさしたる抵抗もなく来れた訳でござるが、物見からの知らせでは長島城には滝川勢が詰めておる。事の次第によっては……でござるな?

三介殿?そして太郎右衛門殿?是が非でも説得して下され。頼みましたぞ?」

忠勝は両名に睨みを利かせた。一益に対して信雄が直に出向くわけにもいかず、織田家の重鎮として、信孝の宿老であった岡本太郎右衛門良勝が使者を務めるため同行していたのである。


「平八郎殿……左近将監殿は我が父の宿老であった織田家の重鎮じゃ。わしの宿老になっておったと言うても日も浅い。それに、わしの事を認めて等おらぬ。織田家の傀儡の当主であるわしが命じたとて唯々諾々として従うとも思えぬがな?」

信雄は半ば投げやりに言い捨てた。


「三介殿?説得能わねば弓矢の沙汰になるやもしれませぬぞ?それに三介殿の領地は如何されるおつもりかな?」


「ふんっ……もう領地などどうでも良いわ……傀儡として生きると決めたのじゃ」


「三介殿……そう皮肉をおっしゃいますな?上様の仇を討ちたいのは我等も同じ。そのご子息である三介殿が捨て鉢になられては上様が嘆かれましょう」

横から本多正信が語り掛けた。


「本多様……某が微力ながら説得いたしまする。織田家中で相争うなど、日向守を喜ばすばかり……滝川様もおわかりでしょう。ですが、お願いの儀がございます。明智を討滅致した暁には、どうかそれなりの待遇をお約束頂きたい。頭ごなしでは滝川様も臍を曲げられましょう」


「我が殿も決して粗略に扱わぬ旨、誓っておりますぞ?」


「お言葉ながら、空手形では使者の務め……相務まりませぬ。どうか具体的な土産を持たせて貰えませぬか?」

良勝は縋るように言葉を継いだ。


「承知した。では申し上げましょう……

明智を討滅致した後、伊勢、紀伊、志摩、伊賀の四か国を三介殿に治めて頂きまする。滝川殿への配分は三介殿の御心次第で分け与えられては如何かな?この通り、起請文もござる」

正信はそういって手渡した。


「確かに……ではこれを手土産に長島城に向かいまする」

こうして岡本太郎右衛門良勝が使者として赴く事となったのである。




               ◇




 八月二十二日の夕刻、良勝は数名の護衛兵と共に長島城の門をくぐった。城では多くの兵が詰めてはいるが、これあるを予測していた一益は素直に良勝を出迎えたのである。

城内の兵達は不安と期待の入り混じった様子で眺めていた。


「しばらくでござる。某が峯城から落ち延びて以来でござろうか?織田家の立場は斯くも変わってしまったのが心残り……三位中将様の宿老として慙愧に耐えませぬ」

良勝は言葉の端々に無念を滲ませた。己に向けられた慙愧の念と徳川に対する不満がちらついている。


「太郎右衛門殿も息災のようじゃの?斯様な形で相対するとは思わなんだが……」

一益も同じ心根であった。


「ですが、これも時代の求めたところ……今の織田家は徳川様の力を借りねば何もできませぬ。つきましては、左近将監殿?含むところもありましょうが、我等に従い長島城を明け渡して頂けませぬか?織田家には、そして三介殿には御身が必要にござる」


「太郎右衛門殿?今の織田家の凋落は誰が導いたものですかな?薄々気づいておられよう?」


「某の口からは……」


「では申し上げよう。三七殿や三法師君を討ったは徳川殿でござるぞ?確証はないが、わしはそうとしか考えられぬ。そして織田家を乗っ取るや、前田玄以殿と我が婿である三郎兵衛を誅したのも徳川殿じゃ。わかっておるのであろう?」


「……」

太郎右衛門は答えない。


「太郎右衛門殿?戦国の世の習い……上様の仕打ちを思えば徳川殿のやり様もわからぬではない。織田家中が保身のため徳川殿に阿るのも詮無き事。じゃが、わしには斯様な真似はできぬ。折角御足労頂いたが、お引き取り下され」


「暫く……左近将監殿……そこを曲げてお願い致す。どうか三介殿と織田家の為に……」


「できぬな……わしは己の信条を曲げはせぬ。だが、織田家に戻りたい者を引き留めるつもりもない。一旦お引き取りを……城内にはわしと考えを異にする者も多い故、談合致す」


「では、せめてこれを御目通しを……」


「言わずともわかる。明智を討ち滅ぼした後は数か国の所領を遣わすと徳川殿が約したのであろう?そのような事はどうでも良いのじゃ」


「織田家の為……そして滝川の家の為にも何卒」


「太郎右衛門殿?わしが徳川殿に従わぬのは何故と思われるか?」


「左近将監殿の意地?でござるか?」


「それもあるが、わしは徳川殿の大儀を信じておらぬし、明智に勝てるとは思うておらぬのじゃ。三介殿は傀儡と申しても徳川殿に遇されよう。だが、織田家中には厳しい未来しか待っておらぬ。わしの家臣達がそのように扱われるのは御免蒙る。太郎右衛門殿もわしの言葉を心の片隅に残しておいて貰いたい」


「左近将監殿……何卒……」


「すまぬな……兎に角今は引き取ってもらいたい。後日必ず何らかの返事をいたす故……」


こうして短い会談は終わったのだった。

太郎右衛門もこの結果は予測出来てはいた。だが、一益の言った『明智に勝てるとは思うておらぬ』という台詞だけがずっと頭から離れはしなかった。そして徳川勢の陣中に帰って行ったのである。

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