187話 因果応報
天正十年八月十七日、織田家の跡目問題は意外な形で決着した。信長の後継者たる地位は織田三介信雄が継承したが、実体を伴うものでなく、名目上の事となった。そして婚姻を通じて織田徳川は結ばれたのである。これを以て織田徳川は一体となり、光秀に次ぐ領土と戦力を持つに至ったのだ。だが問題が無い訳ではなかった。信雄は尾張を召し上げられたことにより根無し草である。そこで、領土の問題を解決すべく話し合いの場が持たれたのである。
「さて、三介殿……わが主は織田家の惣領となられた三介殿の事を気に掛けておられ申す。尾張美濃の事は斯様な形になりましたが、元より織田旧臣共や国衆等に求められての事。上様の仇を討ちたい心根は同じにござる。我が徳川家は先の変により大層な痛手を蒙りました……宿老であった酒井殿、石川殿までが討ち死にしたのでござる」
本多弥八郎正信が語りだした。
信雄は心此処にあらずで聞いている。
「三介殿?某の顔を見られませ……明智の忍び衆に襲われ隻眼と相成り申した。今まで合戦にて傷を受けた事などない某がこの有様。我等徳川の家臣たちは皆、明智を討ち果たす覚悟を決めておりまする。そのためには、最大限の力を結集せねばならぬです。家中に乱れがあってはなりませぬ。含む処もございましょうが、我が主の志を汲んで下され」
此度は同行していた本多平八郎忠勝も語った。
「徳川様の志は、我等も有難く思うておりまする。ましてや、お市の方様が嫁がれるとあっては、名実ともに一心同体。ですが、我が殿の領地がなければ『飾り人形』ではありませぬか?その辺りもご考慮頂きたい。我が家にも家臣やその身内がおるのです」
信雄の宿老たる滝川三郎兵衛雄利が問いかけた。
「それは御尤もにござる。先程も申し上げたが、領地については考えござる」
「如何様なものでござりましょうや?」
雄利は先走りながら問いかけた。
「されば……北伊勢をお治め頂きたく。かの地は重要な拠点にござる」
「飲み込めませぬ。かの地は我が義父たる滝川左近将監の治める処」
「左様……三介殿の宿老として左近将監殿、三郎兵衛殿が支えられませ。これで心強いと言うものにござる。左近将監殿であればその気になれば伊勢の明智勢も打払われましょうな?」
「そんな無体な……在り得ませぬ。滝川様の領地を明け渡せと申されるのか?」
「左近将監殿は上様の宿老であらせられた。そして上様亡き後は三介殿の宿老になられたのでござろう?織田家の惣領となられた三介殿が治められるのじゃ。何も不都合などござるまい?」
「しかし、北伊勢は亡き上様が滝川様に下されたもの……」
「そう……確か左近将監殿は上野を与えられ、関東に号令をかけるお立場でしたな?それが領地を失われ、北伊勢に逃げ帰られたとお聞きしております。先の鈴鹿川でも三介殿の傍らにおられながら、後れを取られた。上様であればお許しにはなられますまい」
正信は皮肉を込めて言い放った。
「聞き捨てなりませぬぞ?我が義父に対して何たる言い草かーーーっ」
雄利は激高した。
「弥八郎殿も口が過ぎた様じゃ。某から詫びよう。だが、領地を失陥したは事実であろう?三介殿が惣領となられたからにはその指図を受けねば道理が通らぬ。三介殿もよく聞かれよ……我が殿はその気になれば織田家を後継しても誰も異議など唱えまい。だが、上様のように功無き者を追放したりはせぬ。佐久間殿や林殿のようにな?我等も本音を申さば、ここ迄織田家に義理立てする殿を歯痒く思うておる。されど、それを為さぬのは我が殿の為人にござる。三介殿……徳川に従われよ。それが御身の為でもある。言葉を変えれば、織田徳川が縁戚となった以上、三介殿が居らずとも織田家の血筋は絶えぬのですぞ?」
忠勝は威厳を蓄えて滔々と語った。その忠勝の居住まいに信雄は顔を強張らせる。
「で……それで、わしは三河守殿の傀儡として生きれば良いのか?」
信雄は半ば投げやりに、震えながら答えた。
「そう皮肉を申されますな?三介殿を蔑ろにすれば我が殿も陰では誹りを受けましょう。故に我が殿も決して粗略には扱いませぬ。そのお立場を弁えて振舞いなされ。三郎兵衛殿もしっかりと支えられよ。無論、日向守を討滅した暁には三介殿にも相応の待遇を約束いたしましょう程に」
雄利は睨みつけるだけで返答しない。
「そうそう……わが手の者が調べた限りでは、左近将監殿は真田と繋がりがあるとか……今となっては敵国でござろう? 三介殿も足元を掬われぬよう気をつけて下され。まずは長島城を明け渡し、恭順するよう三介殿からお命じになるべきでしょうな?」
最後に正信が具体的な指示を与えた。横にいた雄利を歯噛みしながら耐え続けていた。
◇
同じ日の夜半、信雄はお市の方からの呼び出しを受けた。内密に話があると言う事で、信雄は護衛の兵と共に岐阜城に登城した。信雄は夜空に浮かぶ上弦の月を憂いながら見た。
「これが織田家の……最後の夜か?父上……申し訳ござりませぬ。ですが、某は織田家を潰す訳には行かぬのです。これも父上の業の報いでありましょうや?」
そして、お市の方の元に足を踏み入れたのである。
「三介殿……言いたい事は山ほどあったであろうが、よく耐えられた。改めて礼を申すぞ?これで兄信長の嫡流は絶えずに済む」
「叔母上はこれで宜しいのですか?悔しくはないのですか?」
「何故じゃ?徳川家には織田家の血が入る事となる。茶々が男子を産めば徳川家の嫡子。わらわの血脈が耐える事は無い。それに、三介殿も織田家を守られたではないか?
三介殿?其方も道理がわかろう?この戦国の世では実力がモノを言うのじゃ。兄信長も元は尾張の守護代の分家の家柄でしかなかった。それが実力で天下に覇を唱えるまでになった。だが、今の織田家と三介殿にその力があろうか?誰もが皆、柱となる力を求め頼りとする。それが徳川殿であることは自明であろう?さればこそ、わらわが再嫁し、徳川の跡継ぎと娶せるのであろうが?」
「某が何を申してもすでに後の祭り。もう良いのです……」
「そうか……分かってくれればよい。だが、今後が肝要であるぞ?実は弥八郎殿と平八郎殿から頼まれてな?実は控えの間におる。其方に内密に話したい事があるようじゃ。呼んでもよいな?」
こうして、両名は信雄に相対して座った。
「三介殿?昼間は某も口が過ぎました。改めてお詫びいたしましょう」
まずは正信が切り出した。
「もう過ぎた事でござる。某は傀儡でござろう?お気に召されるな」
信雄は無表情で答える。
「三介殿……先程も申し上げましたが、此処に至っては家中の結束こそ大事にござる。三介殿の身近に不忠者がおっては、上様の仇討ちも覚束きませぬ。今後はすべて我が徳川を頼りとなされよ。さすれば悪いようには致しませぬ」
「三郎兵衛の事を言っておるのか?」
「如何にも……それに左近将監殿も我等に唯々諾々と従いは致しますまい」
「何を考えておる?まさか……」
「某は織田徳川の結束の為ならば鬼になり申す。上様もそうでありましたな?綺麗事ではいつ寝首を掻かれるか知れませぬ。大人になりなされ」
「……」
信雄はその場で涙した。そして心で詫びた……三郎兵衛……すまぬ。
「三介殿……左近将監殿への城の明け渡し……頼みましたぞ?不肖、某が徳川の軍勢を率い、三介殿の脇を固めまする。あとは従ってくれるのを望むしかありますまい。場合によっては弓矢の沙汰も覚悟召されよ」
忠勝が威圧的に申し述べた。
翌日、滝川三郎兵衛雄利が誅された事が公表された。一体となった織田徳川家に対し叛意を抱いたと、半ば言いがかりに近い理由であった。この事により織田旧臣達は震えあがった。徳川が力ずくでも邪魔者を排除すると宣言したようなものだからである。




