180話 長閑なる一日
お待たせしました。第3章開始です。
今後とも宜しくお願いします。
天正十年八月十五日、季節は秋の気配を振りまきつつあった。新暦で言うと九月二十四日に該当する。地球の気候で言えば寒冷期ゆえに肌寒く感じるのも当然と言えた。京の都から此処、安土まで来る道すがら、俺は今後の事をずっと考えていた……
この二月というもの、戦いに明け暮れ、じっくり考える心の余裕はなかった。畿内を平定し、日ノ本でも最大勢力となった明智家ではあったが、領内の整備、他国との外交、朝廷との折衝そして、今後どのように情勢が変化し、どう対応するのか……考えは尽きなかった。
三日後には他の転生者達が一堂に会し、相談する事となっていた。それぞれが未来知識から導き出される考え、見通しを意見交換するのである。全員が集まって語らうのが実は初めてであった。
安土に戻ると、俺はすぐに京姉の元を訪れた。江北合戦の傷病兵を治療するため、京姉を始め、医療技術の覚えのある巫女達が多数呼ばれていたのだ。
「千代殿……只今戻りました。如何にござりましょうか?」
城下に設けられた救護所では数多の傷病兵が集まられていたのだ。
「十五郎様……御無事で何よりです。皆も精進してくれてはいるのですが、やはり限界がござります。感染症に対する薬が確立されておりませぬ故、使える量が限られるのです。今しばらくは時間が必要です」
「丹羽殿のご様子は如何でしょうか?」
俺は辺りを気にしながら小声で問いかけた。
「一命は取り留めました。床から起き上がれるようにはなられました」
「そうですか……忝く思います。三日後には弥三郎殿や源三郎殿も集まります。それに、明日には父上が京から戻られるので、一度会ってくれませぬか?」
「はい……喜んで……少し緊張しますが……」
京姉は少し顔を赤らめた。
◇
その夜、俺は日本地図を広げ沈思に耽った。外征はひとまずは様子見する事になるであろう。暫くは内政と外交だ……これは確定している。秀吉は先の敗戦から立ち直っておらず、今はその回復と遠大な謀略に勤しんでいるであろう。
家康はどうか?織田家を巻き込んだ勢力拡大の動きに出るだろう……そうすると、すぐに此方に仕掛けてくる可能性は低い。どちらにせよ、具体的な動きがあるのは来年の春であろうか?
今しかない……領内の整備を能うるのは。少なくともその道筋だけは付けておきたい。
俺は考え得る策を箇条書きにしてみた。
一、学校の建設と育成する人材の確保
二、自然災害に対する備え
三、政権の中枢となる城の建設と城下町の整備
四、明智政権の家臣団の秩序構築
五、技術開発の優先順位付け
六、領土内の統一した法整備
七、日本海側の海上戦力の構築
八、各城下を結ぶ街道の整備
九、遠隔地の大名家への外交戦略
十、食料事情の充実化と多様化
色々と考えてはみたが、まだまだ足りない気もした。やはり他の転生者達の知恵を借りて煮詰めなければならない。俺は廊下を踏み歩くかすかな音で筆を止めた。
「源七にござりまする。若殿……宜しいでしょうか?」
「おぉ……入ってくれ」
「若殿……改めて官位の沙汰、おめでとうござりまする」
源七がそう挨拶した。まったく頭からは消えてはいたが、光秀の右大臣任官に伴い、その嫡子たる俺にも朝廷は官位を授けていた。『従四位下左近衛中将』……消息宣下で行われたのだが、何の実感も感じずにいた。それに形だけであり具体的に何か仕事をする訳ではない。だが、この人事は異例な事であり、朝廷の光秀に対する並々ならぬ期待の表れでもあった。
「いや……大きな声では言えぬが、然程の感動もないぞ?」
「滅多なことを申されますな?某も家臣として鼻が高いというものです」
そう言って源七は微笑んだ。
「で、新たに配下の者が増えたと聞いたが?」
「その事で本日は参りました。某の兄弟子にあたる源五と、隠れ里の者が二十余名。源五が若殿にご挨拶をと申しておりまする。此方に呼んでも宜しゅうございますか?」
「そうか……わしも是非会いたい」
そして、源五が現れた。年の頃は二十台半ばといったところか?スラリとした長身で源七よりも若く見える。それに21世紀の感覚で言えば、かなりのイケメンだった。
「お初に御意を得ます。源五にござります。隠れ里では後進の育成を担っておりました。千代殿等の警護を兼ねて此方に参りました。頭からは今後は十五郎様の手足となるよう申し遣っておりまする」
「明智十五郎光慶にござる。以後良しなに頼む。しかし、源五までが此方に来て隠れ里は大事ないのか?左源太殿も御高齢にござろう?」
「本日はその事で御相談致したく……」
「どういった事か?遠慮のう申してみよ」
「実は忍びの者二十余名の他に、未だ年端もいかぬ者を十余名伴っておりまする。この者達を建設されるという学校で学ばせて頂きたく思いまする。我が頭領も同意の事にござれば是非に……」
「しかし、忍びの修行をしていた者達ではないのか?」
「左様です。未だ忍びとしては半人前にござりますが、それなりの武芸は身に付けておりまする。ですが皆、並々ならぬ精神力がござります。学ぶことさえできれば、必ずやお役に立ち申す。何卒……」
「若殿……実は大殿からも申し付かり、甲賀衆を束ねる役目、某が微力ながら……地侍達も今後我等に協力を惜しまぬはず。そこで、隠れ里の子らには学びの道を目指したい者には左様計らいたく思いまする。身元も確かで、信も置けまする」
「しかし、隠れ里はどうするのじゃ?」
「頭が申されるには引き払って此方に居を移すと……今もすでに大多数が此方に来ておりまする。里に残るはまだ若い子らばかり」
「そうか……左源太殿が決断為されたならわしから言う事はない。ならば父上に話し、此方に場所を確保しよう」
「有難き仕合せ……」
二人は同時に声を上げた。
学校において学ばせる人材確保はかなりの目途がついた。しかし、考えてみれば誰が何を教えるのか……そこが難題だ。やはり長安殿の手を借りるしかないか?俺はそう考えながら深い眠りに落ちた。




