178話 北ノ庄落城
天正十年七月二十日。俺は一万三千の軍勢で、越前北ノ庄城を囲んでいる。すでに三日目となっているが、此処が戦場とは思えぬほどの静寂である。城内には一千五百程の柴田勢が籠城しているが、城外に討って出る事も無く、また明智勢もまったく攻撃もしないためであった。
この日の午後からは雨が降り出し、夕刻にはその雨足が強まった。俺は只管待ち続けていた。前田又左衛門利家と四王天又兵衛を別動隊として送り出し、金森長近や不破直光らの主だった柴田与力衆を調略させていたのである。
そしてその雷雨の中、待ちわびた知らせが届いた。曰く、金森、不破の両名は説得に応じ、我が軍に与力を申し出てきたというのだ。利家は自ら両名の元に乗り込み、時勢の流れを説き、導いたのである。そして一刻後、八千の軍勢が北ノ庄に駆け付けた。利家は本国に残した二千の軍勢を、家老の奥村助右衛門永福に率いさせ合流させたのである。
「十五郎殿……我等は今後、日向守様に忠誠を尽くすことをお誓い申し上げる。本領を安堵して頂いた事は感謝に耐えませぬ」
利家がそう言って頭を下げ、両名をそれに倣った。
「又左衛門殿……此方こそ感謝いたします。そして金森殿、不破殿も……此度の戦いの帰趨を決定づけたと思っております。方々の事、決して粗略には致しませぬ。父、日向守に代わりお誓い申し上げる」
「では、某にはまだ仕事が残っております故……今宵、北ノ庄に参りまする」
「又左衛門殿、本当に大丈夫でしょうか?某も一抹の不安がござります」
「御安心を……柴田様の為人は重々理解しておるつもり。それに、柴田様は質を開放すると申された。その義に対しては、某も応えねばなりませぬ」
「わかった……必ず戻って来てほしい」
「無論、そのつもりでござる」
こう言って利家は退出した。そして配下を呼び、城内に矢文を打ち込んだ。
◇
「前田又左衛門利家にござーーーる。柴田様に御目通り願いたい」
利家は城門の前で声を張り上げた。雨足は弱まってはいるが、未だ小雨が降り続いていた。だが、利家は小具足姿のまま濡れながら待っている。そして、城門が開かれた。
「お待ちしておりました。どうぞ此方へ……」
小姓頭の毛受勝介が出迎えた。
「殿は天守におられまする。ずっと又左殿をお待ちでございました」
「そうか……すでにお心を決められておろうな?」
「殿とお話し下され。某は従うばかりにございます……西方浄土まで……」
勝介は決意の眼差しで答えた。
そして、天守最上階の間に通された。
「では、ごゆるりと」
勝介はそう言って立ち去った。
勝家は雨に濡れながら外に出て篝火の群れを見つめていた。その姿は、在りし日の信長のようである。利家はそんな感覚を覚えた。
「又左殿か?来る頃だと思うておった。外に見える旗幟を見れば、彦三殿や兵部大輔殿も説得できたようじゃな?」
「某が手引き致しました」
「そうか……よくぞ説得してくれた。沈みゆく船から降りようとする者が案外少なくての?わしも往生しておる。だが、あれを見れば心を入れ替えてくれる者もおろうな……」
「柴田様……どうか……お斬り下され……何卒……」
利家は涙ながらに告げた。
「わかった……」
勝家は太刀を抜き放つ。そして利家は目を閉じる
「前田又左衛門利家……さらばじゃ」
勝家の太刀が一閃する。そして、その音と風圧が利家の頬を叩く。
「柴田様……」
利家はこのような結果を何故か予測していた。
「上様……これで良いのでござろう?織田信長が家臣、前田又左衛門利家は成敗致しました」
勝家は虚空を見上げ、今は亡き信長に問いかけた。
「何故……生きよと……」
「上様が目指された日ノ本の在り様……又左殿が必要じゃ。又左殿だけでなく前途ある若者も同じ……わしのような老いぼれと命運を共にするは間違うておる。まだ城内には千五百からの聞き分けの無い者共が居る。その者達と預かっておった質を連れて出てくれぬか?」
「しかし……説得能いましょうや?」
「今からわしが言うて聞かせる。これが最後じゃ。それでも残る者にはそうさせてやってくれ。そして最後は存分に戦おうぞ?」
「承知致しました。某が先鋒を承りましょう。他の下郎には討たせませぬ」
「うむ……わしとて鬼柴田よ。最後の相手が又左殿とは望むところよ。存分に戦おうではないか?」
「では、某はお待ちしておりまする」
こうして、利家と勝家の語らいは終わりを告げた。
勝家は城内の残った兵達を前に語った。
「皆の者……たった今明智方と話し合うた。わしのような者に最後まで付き合ってくれた事、礼を申す。だが、もう十分じゃ……皆は城を出て、家名を存続させて貰いたい。明智方は、今城を出る者には寛大な処分を約束した。今宵が最後となろう……頼む……」
勝家のこの言葉に家臣たちは皆涙した。そして城内に残った兵達の内、一千二百程の兵達が利家と共に城から出たのである。それでも三百近くが退去を拒否し、勝家の元に残った。
「案外馬鹿が多いよの……そこまで武士の意地を通したいか?
しかし、もう何も言うまい……明日は皆と共に最後まで戦わん!」
勝家は晴れやかに宣言した。そして最後の宴を城内で催したのである。
「勝介?茂左衛門まで……お前たちは若い、前途ある武士じゃ。今からでも遅くはない。城を出ぬか?お前達ほどの才覚があれば、日向守も重く用いてくれようぞ?考え直さぬか?」
勝家は他の家臣達に聞こえぬ様、両名を呼び出した語り掛けた。
「もう決めた事にござる。某の主は殿一人と決めており申す」
「左様……某は日向守が気に入らぬのでござる。何故仕えねばなりませぬ?」
兄弟は口々に返答する。
「ならば、又左殿ではいかぬか?決して無下にすることは無かろうぞ?」
「殿……某は先の戦いで殿がお腹を召されるのを翻意頂きました。戦場で下郎に討たれぬなど恥辱と思うたからでございます。明日は我等が生涯最後の戦を……華を咲かせることが出来申す。器用になど生きられぬのです。それが織田家筆頭家老、柴田勝家の家臣たる者……」
「そうか……ならばもう言うまい。残った兵は三百程じゃ。そこで本丸に皆を集めて戦おうぞ?勝介と茂左衛門には、天守入口と大手の守備を任せる。存分に暴れてまいれ。わしも後から続こうぞ?」
「承知……」
兄弟は声を揃えて微笑んだ。
◇
翌早暁、城攻めが始まった。先鋒は前田利家、金森長近、不破直光である。利家は事の経緯を話し、自ら先鋒を務め戦う事を志願した。それは利家にとって、勝家に対する最後の情と、新たな時代を生きる決意ための禊であったのだ。
前田勢は一斉に攻めかかる。軍勢は容易に城内まで通過し、天守へと繋がる城門で最初の戦闘が行われた。守将、毛受茂左衛門は百の寡兵引き連れて暴れまわり、一人で数名の武者を串刺しにしたが、最後は囲まれて討ち取られた。
同じく、天守の入り口を守る毛受勝介も残りの軍勢を指揮して前田勢相手に奮戦した。
「我こそは毛受勝介勝照なりーーー!腕に覚えの者は掛かってまいれーーー!」
勝介は前田勢の前に大音声をあげた。それに応えるように前田勢の武者が名乗りをあげた。
「前田又左衛門が臣、慶次郎利益にござる。尋常に立ち会われぃ!」
両名は距離を置いて槍を扱いた。周囲は固唾を飲んで見守る。
「うりゃぁーーーー」
裂帛の気合と共に、両名が干戈を交えた。そして数瞬の後、慶次郎の朱槍が勝介の大腿に突き刺さった。
「お見事にござる。某の最後に相手が、豪勇、前田慶次郎殿であって良かった……さあ首を討たれよ」
荒く呼吸しながら勝介は促す。
「これも戦国の世の習い……許されよ」
慶次郎はそう言って勝介の首を討ち、手を合わせた。
一刻程の戦闘の後、天守に火が放たれた。城門は固く閉ざされ、利家もそこに踏み込むことはなかった。せめて最後は静かに腹を切らせようとの配慮である。
勝家は最上階まで昇り胡坐を搔いた。傍らには中村文荷斎宗教が控えている。
「殿……その胡坐の搔き方、上様かと思いましたぞ?」
文荷斎は笑いかけた。
「左様か?上様は本能寺の炎の中で何を思われたのであろうか?」
「さて……覇者の心根は凡人にはわかりませぬな」
「わしの生涯も……今となって思えば、そう悪うはなかった。武骨者のわしが此処まで来れたのじゃ。礼を申すぞ?」
「某も、殿と最後までご一緒できるのは望外の喜び……」
「さて……では行くか?上様の如く、炎に包まれての……」
こうして勝家は腹を切り、その後北ノ庄城の天守は炎と共に崩れ落ちた。覇王信長と同様、その首を世に曝す事無く自らを消し去ったのである。
利家は燃えさかる城をずっと見つめていた。他の与力衆も言葉を発することなく、ただ涙したのである。俺もその様子を眺めながら、時代の過酷さに震え続けていたのだった。




