176話 敗軍の将
天正十年七月十六日が明けた。手筒山城からは琵琶湖ではなく日本海が遠望される。勝家は敗軍の将としてこの景色を眺めたくは無かった。だが、時勢の赴く処を認めざるを得なかった。そして織田家が最早、威勢を取り戻す事が出来ない事も理解していた。僅か一月余りで覇王信長の築き上げた秩序が崩れ去ったのである。
「皆の者……すまぬ……わしが不甲斐ないばかりに斯様な事態を招いた。許せ……」
勝家は諸将の前で頭を下げた。毛受勝介や茂左衛門も涙を堪えている。
「柴田様、何を申されます?戦は時の運。まだまだわかりませぬぞ?」
不破直光が語り掛ける。
「とにかく修理亮殿がご無事で良かった。旗頭が居らぬでは、北国軍団は立ち行きませぬかな?」
金森長近も気遣いを見せた。
「で、今後どうするかだが……忌憚ない意見を聞かせてくれぬか?」
勝家が問いかける。
だが、誰も口火を切ろうとはしなかった。
「又左殿?思う処もあろう?この際じゃ、言うてくれぬか?皆が押し黙ったままであることが、わしにとって耐え難い事なのじゃ……」
勝家はそう促した。誰もが腹に抱えている不安を勝家はわかっているのだ。
「されば……柴田様は今後どう処されるおつもりか?明智は追討の軍を発しましょうし、越前国内では離反、一揆も起こりましょう。此度の敗報が伝われば、上杉勢が越前に攻め入るやも知れませぬ。某は、各将が本貫の地に戻るしかないと存じまするが」
皆が固唾をのんで見守っている。
「ならばそうするが良い。咎め立てなどせぬ。我が軍はこの地にて解散と致す。後は皆が思い思いに処してくれ……わしは明智に降るを良しとせぬ故、北ノ庄に戻り一戦するつもりじゃ。だが、与力衆がわしに従う必要などない。預かっておる質は北ノ庄に戻り次第解放しよう。皆には今までよく従ってくれた。礼を申す」
勝家はそう言って頭を下げた。
誰もが沈黙したままである。与力衆は勝家の為人を知ってはいるが、このような清々しい勝家の態度を目の当たりにするとは予測していなかった。
「柴田様、頭をお上げ下され。天が明智に微笑んだのは……我等が不甲斐なかったからでござる」
利家はそう言って涙した。
「では善は急げと申す。今生の別れになるかもしれぬが、早速出立するとしようか?堂々と我等が威容をもって行軍致そうぞ」
「柴田様……某は領地にある程度兵力を残しており申す。手筒山には某が最後まで残りましょう。蒲生が仕掛けるとは思えませぬが、念のために牽制致しまする」
利家が殿軍を申し出た。
「又左殿……命を惜しんでくれよ?決して無理をするでないぞ」
「心得ておりまする。道中、お気を付け下され。ご武運を……」
そう言って利家は勝家に頭を下げた。
そして、前田勢だけを残し、柴田勢は手筒山を後にした。各将はやはり本貫の地へ戻ることを選択し、勝家は敗残兵二千弱を率いて、北ノ庄に落ち延びたのである。
◇
この日の夕刻近くになって、俺は一万二千の軍勢を率いて手筒山に着到した。蒲生勢三千は城と睨み合ったまま動かず、俺を迎え入れた。
「十五郎殿……此度は織田家の残党を打ち破られ、おめでとうござります。手筒山には前田勢一千が陣取り、柴田勢は越前へ撤退致しました。某も判断に迷うところもあり、お持ちしておりました」
賢秀は殊更気を使い、俺に報告した。
「左兵衛大夫殿?我等が勝を得たは忠三郎殿の加勢があったればこそ。感謝いたします。ですが、今後の方策です。一刻も早く手筒山を抜かねばなりませぬ」
「御尤もにござる。力攻めも能うでしょうが、後々を考えれば良策とも思えませぬ。まずは開城の使者を立てまするか?」
「是非……いや何としても某にその役目、お願い致しまする」
前田孫四郎利長が、すぐさまそう訴えた。その眼は決意に満ちている。
「しかし、又左衛門殿には酷な条件になるやもしれぬ。能うるでしょうか?」
「何としても父を翻意させまする。何卒……某をお信じ下され」
利長は必死に訴え続ける。
「承知した。孫四郎殿に任せよう。頼み入る」
俺は決断し、諸条件を利長に伝え送り出した。利長は悲壮な決意をもって使者として赴いたのである。
城中には前田勢の敗残兵が一千程いた。雑兵たちの多くが逃散し、その軍勢は徒歩武者中心になっている。敗残兵ではあるが、利家の人望もあり、この城を抜くには相当の覚悟が必要に思われた。だが、多勢に無勢である。もし明智勢が攻めかかれば勝ち目はない。
「父上……お久しゅうございます。斯様な形で父上に会おうとは、何と皮肉な事でござりましょう。ですが、某も今や一人の武士。此度は開城の使者として罷り越しました」
利長は悲しげに語り掛けた。
「皆の者は退がっておれ。孫四郎と二人で話したい。すまぬな?」
利家は家臣たちを遠ざけた。
「戦場でお前の旗印を見た時から、こうなると思っておった。わしは卑怯にも織田家を見限ったのじゃ。言い逃れなど出来ぬ。だが、柴田様には多大な恩義がある。だからこうしてこの城に残った。この気持ち……お前にはわかるまいな?」
「父上の痛みを共に分かち合いたいと思うておりまする。ですが、時勢は待ってはくれませぬ。どうか開城し、命脈を保って頂けませぬか?」
「日向守殿から色々条件を言われておろう?追討軍の総大将は嫡子殿かな?」
「はい、十五郎光慶様です」
「上様が神童と褒めそやし、婿にまで迎えようとした御仁か?お前や忠三郎殿のように。此度干戈を交えたが、成程利発な御仁のようじゃな?まだ齢十五というのに……」
「十五郎殿は不思議なお方です。まだまだ武将としては未熟かとも思いまするが、誰もが力になりたいと思えてしまうのです。此度の追討も渋られましたが、日向守様は十五郎殿に試練をお与えになられたのでしょう。某が思うに、十五郎殿は甘すぎる。今以って、柴田殿を滅ぼすを悩んでおられまする。口には出されませぬが、日向守様がお命じになったはず」
「そうか……だが、お前はその明智のために此処に来たのであろう?わしに寝返るよう説得せよと?」
「はい。某がどうしてもと懇願し、此処に来たのです。しかし、日向守様のためでも、十五郎殿のためでもござりませぬ。某と前田家、そして日ノ本の民の為に……父上に翻意頂きたく思いまする」
「フフッ……暫し見ぬうちに立派になったの?一人の偉丈夫としてそう決断したか?」
「何卒……」
「わかった。わしもこれ以上の戦いは無意味と思うておる。開城しようではないか?条件を承ろう」
「はい……父上の所領は安堵。そして、柴田様の与力衆に我等に味方するよう説得して頂けませぬか?また、最後は北ノ庄を囲む事となりましょう。その軍に先鋒として従軍して頂きたく」
「待て!与力衆の説得は承ろう。だが、柴田様に直接弓を引くは勘弁願いたい。柴田様はわしの恩人じゃ。多大な恩義を蒙っておる。戦国の倣いで先陣として働かねばならぬは道理なれど、その儀だけは……わしには割り切れぬ。柴田様はわし等与力衆に無理強いはされなんだ。そして、北ノ庄におる質も開放すると申された。そのような柴田様に矢を向けるなど、わしにはできぬ」
「そこを曲げて……曲げて翻意頂きたく……何卒……」
利長は声を絞り出した。
「ならぬ。これだけはわしの矜持が許さぬのじゃ。孫四郎よ……出直して参れ。わしは腹を括る。我が軍勢は寡兵なれど、存分に蹴散らしてくれようぞ」
「父上……」
こうして利長は退き下がらざるを得なかった。
◇
利長は意気消沈して帰陣した。沈痛な面持ちで帰ってきた利長を見て、俺は不首尾を確信したのだ。
「孫四郎殿……」
「十五郎殿、申し訳ございませぬ。父は柴田様に矢を向ける事、どうしてもできぬと。開城と与力衆の調略は納得して頂いたのですが、囲みに加わるのだけはどうしても出来ぬと……」
「又左衛門殿のお気持ちはわかるが、これは譲れぬ条件じゃ。父上からは、それが出来ぬなら討ち滅ぼせと、きつく言われておる。今一度説得できぬであろうか?」
俺は胸が痛んだが、こう言うしかなかった。利長は俯いたままだ。
「若殿……某が参りましょう。某も降将にござる。相通ずるものがあるやもしれませぬ。敗者の心根は人よりわかっておるつもり。それに、某は様々な主君に仕えて参りました。お任せ下され」
藤堂与右衛門高虎がそう申し出た。
「能うるか?」
「わかりませぬ。ですが、胸襟を開いて話すつもりにござる。孫四郎殿は肉親にござる。様々な感情が邪魔をすることもありましょう」
「わかった。何とか頼む」
俺はそう祈るしかなかった。




