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水色桔梗ノ末裔   作者: げきお
畿内統一へ駆ける
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171話 滅びゆく者達の選択

天正十年七月十五日

江北の地における戦いに転機が訪れた。ちょうど日没を迎えたが、山の端に隠れた日輪も未だ僅かにその光を放ってはいる。


「殿……明智勢に割り込まれたようにございます。右翼の明智左馬助かと……

河尻殿が敗れたのやもしれませぬ」

毛受勝介がそう告げた。辺りは白兵戦の様相を呈しているが、勝家の周りはその喧騒とはうって変わり静寂であった。勝家はその静寂の中から号令を掛け続けていたのだ。


「そうか……河尻殿が抜かれる事などあるまい?何か考えがあったのであろうよ?」


「申し上げます……蒲生勢、後方より押し寄せて参りまする。このままでは我が方の総大将が危のうございます」


「申し上げまーーっす 柴田勝政様、勝豊様、討ち死に為されました。敵左翼部隊、此方に攻め寄せて参りまする」


次々と注進が訪れる。


「相分かった。どうやらこの辺りがわしの天運の限界のようじゃな?

織田家の命運も尽きたか……この上は武士の意地を通すまでよ」

誰にでもなく勝家は語った。


「殿……何を仰せか?」

間髪入れずに勝介が答える。


「勝介……死ぬるべき時に死なぬは恥さらしなだけよ。

わしの天運は尽きた。もう十分じゃ……」


「何を申されるのです……殿は織田家の筆頭家老にござります。

戦は総大将である三七殿が健在である限り、負けではございませぬ。

わが柴田軍も殿が生きておられる限り何度でも蘇りましょうぞ?

それに、殿は『柴田権六』として、一部隊の侍大将として臨まれたはず。

三七殿の撤退を援護し、そして軍勢を一兵でも多く越前に戻す事が勤めのはず。

我等馬廻り衆は健在……何としても殿を落ちさせてご覧に入れまする。

最早日も暮れ、明智勢の追撃も鈍りましょう。何卒……」

勝介は必死に懇願した。


「何故、我に生きよと……そこまで申すのじゃ?」


「某……我等は殿に……惚れておるのです。

腹を切るのは何時でもできまする。今はその時に非ず……」


「フッ……ハッハッハハ……勝介のそのような顔を見るのは初めての事じゃな?」


「殿……某もまだまだ暴れ足りませぬ故……」

そこへ、勝介の兄、毛受茂左衛門が息を切らせながら駆け付けた。


「兄上……」


「勝介?負け戦程、心も踊るというものじゃ。

殿……河尻殿は三七殿の前面まで撤退し援護なさるご様子。

我が方は押されてはおりますが、壊滅した訳ではございませぬ。

一定の秩序を持って行動できておりまする。

今はまだ雑兵共も我先に逃げ出してもおりませぬ故……」


「茂左衛門も大儀じゃ……わかった。其方等にわしの命は預けよう。

全軍に退けの合図を……そして三七殿の軍勢と合流し、敵後衛を打ち破る。

参るぞーーーっ」


こうして織田勢、柴田勢は凄絶な撤退戦を始めたのである。




               ◇




織田勢からは退けの合図の貝が鳴り響いた。

その音色はもの悲しく尾を引いて、琵琶湖を超え比良の山々まで木霊したかもしれない。

織田三七信孝は呆然と立ち尽くしていた。


「天は我等を勝たしむる事、能わず……か……

父上……申し訳ござりませぬ……」

信孝はそう寂しく呟くと涙を流した。


「三七殿……殿……今は我等の業を天が見放したのかもしれませぬ。

ですが、天は気まぐれなものにござる。

この上は総大将として、織田家の惣領として行く道を決めねばなりませぬ。

我が織田家には数多の家臣が未だ健在。

さあ……ご命令を……」

丹羽長秀は動じることなく信孝に語り掛けた。


「そうであるな……今の状況はどうか?」


「河尻殿は兵を退き、こちらに軍勢を寄せつつありまする。

拝郷殿も未だこの戦場に残って居られまする。

明智勢の後衛は蒲生勢を含めても打ち破れぬ数ではありますまい。

すでの日没を迎えました故、明智勢の追い討ちも緩みましょう。

我等、死兵となって退き口を切り拓きます故、殿は一気に美濃まで馬を駆って下され。某と河尻殿で殿軍の指揮を執りまする」


「五郎左衛門?決して死ぬるでないぞ?」


「勿論そのつもりにござる。某も戦場往来が長うござる。悪運だけは強うござる故、心配には及びませぬ。皆の者ーーーっ 明智の兵を一兵たりとも殿に近づけるでないぞーーーっ」

長秀は配下に命じた。




               ◇





光秀は織田勢の退けの合図を本陣で聞いた。

本陣の前面には無数の骸が転がっていた。だが、明智勢は警戒して防御の備えを整え直していた。白兵戦の喧騒は遠ざかっているが、戦いが終わった訳ではなく、撤退する織田勢との間で命の取り合いが続くのだ。


「殿……柴田勢が引き上げる様子。追い首の機会にござる」

池田三左衛門照政が本陣に息を切らせて駆けつけた。


「そのようじゃな?しかし日も暮れた。難儀な事よ……

諸将の動きはどうか?」


「後衛の藤田様、治右衛門様、蒲生様他、織田勢の揉み合っているようでございます。若殿の軍勢も左翼から囲む手筈かと……ですが無理な混戦は避けようと、敵陣に執拗な追い討ちはしておられませぬ」


「それでよい。下手に混戦となれば同士討ちの恐れもある。周囲から囲み、徐々に締め上げればよい。敵の引き上げる方角は決まっておるのじゃ。後衛部隊にも三方から囲み殲滅するを企図するよう申し伝えよ。決して無理な突撃などはせぬようにな?十五郎にも遣いを出せ」


「承知致しました」

照政はそう言うと、自身も馬廻りを率い追撃に身を投じた。

そして右翼の細川勢からも注進が訪れた。


「申し上げます……敵、佐久間勢はわが陣を突き抜け、南側に撤退致しました。討ち取る事能わず、申し訳ないと、我が殿から……必要とあらば追い討ち致したいとの事」


「無用じゃ……死兵に追い詰める必要も無かろう。もう日も暮れたし難儀じゃ。恐らくは甲賀から伊勢に抜けるのであろうよ?幽斎殿、与一郎殿には織田勢の包囲に加わるよう申し伝えよ」


「さすがに鬼玄番でございますな?」

大蔵長安がそう嘆息した。


「うむ……敵ながら天晴じゃ。生き残れば難敵であろうが、今の状況ではやむを得まい。

しかし我が方の損害も無視できぬな?無理に大将首など狙えば逆撃を蒙る。

慎重にならざるを得ぬ。勢いに任せて追い討ちすれば更に死に手負いが増えよう」


「ですが、追い討ちせずに逃がせとも言えませぬ」


「そうは言わぬが……三七殿、柴田殿が囲みから離脱したとわかれば、一度軍勢を再編する」


「如何様なお考えにございますか?」


「うむ……脅威なのはやはり柴田殿じゃ。それに前田勢は先に離脱しておろう?金ヶ崎にも柴田勢三千がおる。敢えて柴田殿の兵力を削いだ上で、越前に攻め寄せればよい。柴田殿の与力衆は調略能うであろう?

前田、金森、不破などは領地に戻り籠城するしかあるまい?柴田殿が北庄に戻る頃には如何ほどの兵も残って居らぬであろう?」


「成程……ですが三七殿は……美濃は捨て置かれるので?」


「我が方にも其処まで手が回らぬわ……それに美濃には徳川殿が触手を伸ばそう。

何も今構える必要などありはせぬ。兎に角、各将には無理な攻めは決して致さぬよう重ねて厳命せよ」


こうして、江北の地では様々な思惑を孕んだ殲滅戦へと移行していったのだ。




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