165話 江北合戦 伍
天正十年七月十五日
申の刻を過ぎ、戦端が開かれてから二刻が経過している。
戦局は大きく動き出していた。俺は直卒部隊一千を率い、織田勢の左側面からの攻撃を続行していた。柴田勢は一斉に突撃を開始しているが、統率の取れた精鋭部隊は強く、まったく崩れる様子などない。むしろ細川勢は突破され、先鋒の森、佐久間勢は光秀の本軍に突撃を開始していた。
突破を許した細川勢は幽斎が残存兵力を糾合した後、更に光秀の本陣側面に展開し、守りを固めている。
「良いかーーーっ?逆賊明智は本隊を残すのみぞ。我等が一番槍を頂く。
皆の者ーーーっ 励めやーーーーっ」
森勝蔵長可は配下にそう激励すると突撃を開始した。
「皆の者ーーー 森勢に負けてはならぬ。一番槍に勇めやーーーっ」
佐久間玄蕃允盛政も森勢と同時に突撃を開始した。
先鋒の両勢は戦い続けて疲労も激しいはずではあった。加えて死人手負いも多く出している。しかし、猛将と呼ばれる彼らは、配下にも精強な将が多く意気盛んであった。
部隊の外縁には数は少ないが盾を押し立てて進撃する。
「パパパッパァーーーン」
驀進する森、佐久間勢の左右斜め前方から猛烈な弾幕が張られた。
外縁部に位置する足軽たちが倒れ込む。そして更に二斉射目が……
加速していた部隊は勢いを止められた。
進士作左衛門、比田帯刀率いる明智鉄砲衆の一斉射撃であった。
「おっのれーーっ 決して退くでないぞーーー
わしが斃れても足を止めることなく突き進むのじゃ」
森長可の周囲でも銃弾が弾け、馬廻りの数名が打ち倒された。
明智鉄砲衆は間断なく斉射を続けた後、後方に下がった。
そして待ち構えたかのように光秀の精鋭部隊が立ちふさがった。
溝尾庄兵衛茂朝を総大将に、伊勢貞興、諏訪盛直、御牧景重・御牧景則兄弟らの旧幕府奉行衆の面々である。そして細川勢と光秀の馬廻り衆が本陣守りを固める。
森、佐久間両勢は精強ではあるが、疲労もあった。しかし光秀の本隊は精鋭かつ疲労も少ない。此処までは来れたが、さすがに両勢の勢いは止められた。
「さすがにいかぬなぁ……」
佐久間玄蕃允盛政は呟いた。だが今更堅実な攻めなどに変えようもない。
それに後に続く柴田勢との距離が開きすぎ、孤立の恐れもあった。
「馬廻り衆おるかーーー?
徒に突撃しても破れまい。敵が攻勢に出る事はあり得ぬ。
陣形の乱れを少しでも整えようぞ?
鬼武蔵殿にも遣いを出せ」
こうして歴戦の両将は一旦攻勢を緩め、陣形を再編する動きをしようとした。
◇
俺は織田勢の先鋒の足が止まったのを見た。当然俺は合戦の駆け引き等は素人ではある。だが、森、佐久間勢が足止めされた状況を好機と捕らえた。両勢は戦い続けて疲労の極みにあるはずだ……足背から突撃すれば崩せるはず……そう思った。
「皆の者……織田勢の勢いは鈍った。好機ぞーーー森勢の足背から突撃せよ」
俺はそう命を下した。
「オォーーーッ」掛け声と共に俺の部隊は進撃した。
作戦は図に当たったようであった。森勢は右足背からの突撃で怯み、崩れかけた。勿論陣形を整えつつあった時に突撃を受けたのだから当然である。しかし森長可は俺の部隊の攻撃を受けても全く動じる事は無かったのだ。
「明智の小倅が小癪な事よの……我等の勢いが止まったと見て出てきおったか?
鬼兵庫に申し伝えよ。小倅は任せるとな?わしは前しか見ぬわ……
修理殿であればこれを好機と見るであろうよ」
長可は腹心の各務兵庫介元正に命じた。
「若殿……森勢の後衛に一隊が立ちふさがっておりまする。中々に精強にて、早期に突き崩すのは困難やもしれませぬ」
「孫三郎の鉄砲衆に頼めぬか?」
「承知……すぐに……」
俺は孫三郎の雑賀鉄砲衆により森勢後衛を討ち払い、殲滅するつもりであった。
しかし、そう甘くは無かったのだ。森勢を攻撃する意図が読まれ、柴田隊の一隊が急進し、今度は俺の隊の後方から襲い掛かったのである。毛受茂左衛門率いる別動隊七百余りが突撃し雑賀衆に斬りかかったのだ。そして平仄を合わせるように前方からは森勢が突撃してくる。
柴田勝家はほくそ笑んでいた。
「勝介……小倅を討ち取れば日向守も手痛かろう?下手をすれば全軍が瓦解する。
何としても討ち取るよう包囲の輪を縮めよ」
俺は動転した。前後から挟み撃ちされた上、さらにその後方から柴田勢が包囲するよう進撃するのを見咎めたからだ。
「堪えよ……敵の攻勢も長くは続かぬ」
「皆の者良いかーーーっ?何としても若殿をお守りせよ。
直に加勢が駆け付ける。円陣を組み、敵を寄せ付けるでないぞーーーっ」
源七が大声で指図した。
しかし、あっという間に半包囲体勢を整えられてしまった。
俺の部隊は精鋭揃いであるが、さすがに死人手負いを出しつつあった。
「源七……わしの手落ちじゃ。わしも戦う……」
「大将たる者、自らが白刃の中で戦うものではありませぬ。
それは死を覚悟した時……それまでは我等の後ろに……配下は身命を賭して戦うのが勤めにござる。ご安心為されませ……若殿には指一本触れさせませぬ」
源七はそう言って微笑んだ。だが、源七は忍びである。冷静に彼我の戦力と状況を見極めたに違いない。故に俺に目立たぬようにせよと進言したのだ。
そして、織田勢の喊声が段々近くなる。状況が不利なのは明らかであった。それが証拠に、俺の周りにも敵の矢が飛び交うようになってきていた。
「申し上げます……古川九兵衛様、討ち死に……」
「何と……」
俺は二の句が継げなかった。新しく配下に加わった勇将がまたもや命を落としてしまったのだ。
「若殿……気を落されますな。前を向き、我等をお信じ下され」
しかし、状況は一向に好転する気配はない。
ついには源七始め、俺の護衛達にまで敵兵が迫ってきていた……




