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水色桔梗ノ末裔   作者: げきお
畿内統一へ駆ける
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152話 松ケ島沖海戦 壱

天正十年七月十一日

もうすぐ正午になろうとしている。此処、伊勢松ケ島では津田七兵衛信澄の率いる明智軍一万が城を囲んでいた。志摩水軍を警戒し、遠巻きに野戦陣地を築いている。

伊勢松ケ島城は伊勢湾の面した城である。三渡川が伊勢湾に注ぐ地点に築かれ、壮麗な五層の天守が聳えている。此処に、津川玄蕃允義冬を総大将に、木造左衛門尉長政、長野左京亮他の織田軍が四千の兵で籠城していた。だが実際に戦端は開かれてはいない。

伊勢湾には心地よい風が吹きわたり、夏の海の蒼さに白波が立ち、絶妙なコントラストを描いていた。だが……その風景はすぐに一変した。

水平線から黒い影がせり上がり、今度はその黒い影が海を覆い尽くしたのである。



「殿……ついに来ましたな……」

津田与三郎は物見からの知らせを受け、七兵衛に語り掛けた。


「如何ほどの数かの?」


「さて……海上は埋め尽くされておりまする。大小二百はおるかと……」


「九鬼右馬允か……全軍で来たと見える。相手にしたくはないの?」


「ははっ……念のため遮蔽物に隠れる様指示致しまする。届かぬとは思いまするが……」


「うむ……雑兵たちが怯えよう。各陣大将には心配は要らぬと兵達に諭すよう厳命せよ。早ければ今日明日にも長宗我部水軍が来着する故、討ち払われよう……とな?」






九鬼右馬允嘉隆率いる志摩水軍は、昨日鳥羽を出港し此処に着到した。

松ケ島城内からは割れんばかりの大歓声が沸き起こっている。

嘉隆は堂々と接岸すると、鉄張船四隻を縦列に並べ、大筒を発砲した。


「ドドォーーーン……ドォンドォン……」

砲弾は弧を描いて飛翔し、内陸部の明智軍の方角に飛んでいく。

そして、小早が何十隻も城に接岸し、弾薬や兵糧を積み込んでいく。

嘉隆は旗艦『鬼宿丸』の櫓からその光景を眺めていた。


「頼母……敵の大将は津田七兵衛か?

大筒が届かぬ場所に野戦陣地を築いておる。

臆病とも取れるが、存外知恵者やもしれぬな?」


「殿……おかでも今日には決戦が行われましょう。

三介殿は勝てましょうや?」


「勝てぬであろうよ……滝川殿ならば勝つよりも戦場を膠着させるよう仕向けるであろうな?三介の下で働くなど気の毒な事じゃ……」


「松ケ島の兵達は我等を見て大変な喜び様にござるが……」


「さてさて……糠喜びになるかもしれぬがな?

早ければ長宗我部水軍が今日明日にも押し寄せる。

勝てぬやも知れぬな……」


「殿らしくありませぬな?」


「わしは己惚れてはおらぬ。戦力が互角であれば船戦で後れを取るとは思わぬが、敵は我らが知らぬ相手じゃ……恐らくは火力では圧倒的に不利であろう?唯一の強みは数だけじゃ」


「殿は今後どう処されるおつもりですかな?」


「前にも申したが、勝てぬとわかれば旗色を変える……

この鬼宿丸も今日明日の運命やも知れぬな。

わしは此度はこの船を下り、関船で指揮を執る」


「何と……鉄張船をどう使うおつもりです?」


「うむ……囮に使う。鉄張船の強みは火力と防御力のみじゃ。

あのような足の遅い船は今後は無用の長物かもしれぬ。

鬼宿丸を先頭に全軍で突撃し、混戦に持ち込めば勝機はあるやも……

まあ、そういう事よ……」


「では、某が鬼宿丸に……一矢報いて御覧に入れまする」


「死ぬ気か?」


「ハッハッハ……某は殿の幼いころからお仕え申し上げておりまする。

もう老い先の短い老兵なれば、ここ等で一花咲かせるのも……」


「海の男としてか?」


「陸の上で死ぬるのは本意ではありませぬ故……」


「任せよう……」


「では……作戦を詰めて参りまする……」


こうして志摩水軍は来るべき海戦に備えていたのである。





一方、長宗我部弥三郎信親率いる水軍は二日前に淡路島を出港し、十一日早暁には伊勢志摩を通過した。物見の小早から、志摩水軍の船団がほとんど居らず、全軍が松ケ島に出払っているとの報告が来ていた。


「いよいよですな……志摩水軍は全軍が総力戦の構えにござる。

敵に不足はありませぬな」

池四郎左衛門頼和は語る。


「松ケ島沖へは未の刻を過ぎようか?」


「今の風の状態であれば……」


「九鬼右馬允はどうでるかの?先般の我等の戦振りは知れておろう?」


「若殿……敵は数に任せて攻めるより他はありますまい。

混戦になるまでの間に、この海王丸以下の新鋭艦でどれだけ敵を沈められるかが鍵にござります。あとは塩飽水軍衆も操船では引けを取りませぬ。勝負はどう転ぶか運次第……」


「なるだけ死人手負いを出したくはないが……」


「それは些か虫が良過ぎるというもの……戦にござれば……」


「すまぬ……忘れてくれ。海戦の指揮は任せる故、頼み入るぞ」


そう言って弥三郎は海王丸の櫓から水平線を見つめ直した。






松ケ島では志摩水軍の城への補給が一段落している

夏の午後も日差しは少しだけ弱まり、風が若干強くなってきていた。


「申し上げます……長宗我部水軍が迫っておりまする。その数、約百五十……」


「相分かった。頼母……手筈通り出るぞ。

一世一代の決戦じゃの?」


「承知……では、ご武運を……」


志摩水軍の戦術は、鉄張船四隻を含む前衛部隊が横一線に並び突撃し、長宗我部水軍の火力を分散させ、その間に九鬼義隆率いる本隊が敵に肉薄する……言わば、相討ち覚悟の戦術である。逆にそこにしか勝機を見いだせない火力的な不利を読んでいた。

そこで、沿岸部ではなく少し沖に出て、広範囲に展開できる戦場を先に設定する事に決していた。

志摩水軍は意気揚々と出撃していく。松ケ島城からは再び大歓声が沸き起こり、勝ち鬨が上がった。しかし、嘉隆にはそれが心地よく響きはしなかった。

せめて一矢報い、意地を見せたい……根っからの海賊ではあるが、同時に自分自身と配下の将来を嘉隆は慮っていたのだ。

志摩水軍は海風を受けて帆走で沖へ漕ぎ出す。速度の遅い鉄張船に合わせて隊列を組み直しながら進んだ。そしてすぐに前方に長宗我部水軍を見咎めた。

中井頼母は遠眼鏡でそれを確認する。

なんと……あのような船は南蛮船でも見た事が無い。

巨大な帆を翻しながら、海王丸の巨体が水平線から現れ、そして他の四隻の船も……

しかし、他には見当たらない……

なぜだ?頼母は疑心暗鬼に襲われた。

だが、今更考えても始まらぬ……


「全軍突撃の合図を……横一線に並び、敵に肉薄するぞーーー」


こうして松ケ島沖海戦の火蓋は切って落とされたのである。



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