149話 鈴鹿川の戦い 弐
天正十年七月十一日
明智、織田両軍は鈴鹿川において対峙し、戦端が開かれていた。
織田軍は先に戦場に到着し、野戦陣地を築いてはいた。
松ヶ島城への後詰であったが、明智軍が急速に北上したため急ぎ対応したものだった。無論、近江方面で攻勢に出ている以上、明智軍を伊勢にできるだけ長く留めておく事……それも主要な目的である。
だが、明智左馬助秀満はそれを許さなかった。
通常の野戦の常道を無視し、いきなり全軍で攻めかかったのである。
開戦から一刻余りが経過し、戦場は一進一退の攻防となっている。
一益は全軍に徹底した防御態勢を厳命し、陣形を崩さす明智軍に出血を強いる戦術を試みてはいた。だが、軍の質の意味で明らかに織田軍が不利である……実際に戦意の然程高くはない尾張衆は押され気味であった。
特に雑賀衆の火力により、思うように自軍の飛び道具が機能しないのである。
「叔父上……そろそろではありませぬか?」
「うむ。良かろう……右翼の尾張衆に側面攻撃をしかけよ。
敵右翼が崩れたら、わしが敵本陣目掛け攻勢に出る。
頼むぞ?」
「はい……必ずや……」
「十五郎殿?そう気負いせずとも良い。見たところ尾張衆はやはり戦意が低い。
意外と簡単やもしれぬぞ……まあ、お手並み拝見しよう」
そう言って、秀満は破願した。
俺は一千の遊撃軍を率い、自軍左翼部隊の更に左側から鈴鹿川を渡り仕掛けるつもりであった。実際に敵右翼部隊は混戦状態になりつつあり、側面攻撃が効果的であるとも思っていたのだ。
だが……その思惑は敵にも読まれていたのである。
敵右翼部隊への攻撃を開始したが、すぐに少数の一団が立ちはだかったのだ。
数にして三百程の小勢ではあるが、たちまち行く手を阻まれてしまった……
騎馬主体のその軍は明智軍の中を縦横無尽に駆け回り翻弄したのである。
俺は呆気にとられた……
「わしの前にそのような小勢で出てくるとは笑止千万よーーーっ
とっとと川を渡って退散するがよいぞーーー
でなければ、この槍の錆にしてくれる」
その男は白銀に輝く南蛮胴具足に真っ赤な陣羽織を着込み、長大な朱槍を振り回している。明智軍の徒武者が挑みかかるが、槍の柄で強かに強打され倒れこんだ。
「敵の大将は何処にありやーーーっ?」
俺は歴史の記憶を手繰り、すぐに思い当たった。
水野六左衛門勝成……まだ齢十八ほどの若武者のはず……
だが、俺などとは違い十六の時に参加した高天神攻めで十五の首級を挙げた強者だ。しかし余りに破天荒であったため父忠重に勘当され、諸国を渡り歩いた戦国最強のフリーランスだ。
「若殿……相手にしてはなりませぬ」
源七がそう意見した。俺としても当然勝てるはずもなく、避けるつもりである。
そして勝成の騎馬隊は雑賀衆目掛けて一直線に突っ込んだ。
遊撃軍の要である鉄砲衆三百を見抜き、其処に突撃したのである。無論、雑賀衆も鉄砲を撃ちかけるが、混戦模様になりつつあり、一斉射撃はできない。一度騎馬で突っ込まれると、鉄砲衆はなす術がないのだ。せいぜい狙撃するくらいしか方法がない。
「パパパパァーーーン」
二発の銃声が聞こえ、勝成は落馬した。
しかし平然と立ち上がったのだ。
「やってくれるのぉ……」
そう言うと、勝成は咥えていた煙管を口元から飛ばした。
弾丸は一発が胴具足に命中したが凹みを作っただけで、もう1発は勝成が咥えていた煙管に命中したのである。
「悪運の強いヤツやのーーー?相手したる。但し二人でやで」
鈴木孫三郎と善之助である。
二人は太刀を抜き放ち、左右から斬りかかった。
「うぉりゃぁーーーっ」
勝成の朱槍が音を立てて旋回する。
善之助は咄嗟に飛び退き、孫三郎は太刀で弾く。
だが、その豪槍によって太刀を弾き飛ばされてしまった。
そして、孫三郎は単筒をすぐに抜き放つ。
しかし不幸にも発砲できなかったのだ。
「覚悟ーーーっ」
勝成が槍を繰り出そうとしたとき、善之助がその槍に食らいついた。
「ちっ……お主らは戦場を知らんのか?
友を守るために己の命を散らすのか?」
勝成はそう言って、朱槍を手放してしまった。
「減らず口を叩きおって……」
善之助がそのまま組み付こうと突進する。
だが、勝成は太刀を抜くでもなく、善之助に拳を叩き込んだ。
善之助はそのまま蹲ってしまった。
「次に会う時には覚悟するんじゃのぉ?
どうやらこの辺りが潮時じゃ……さらばじゃ」
「おい、クソガキ?勝負せんのかい?」
孫三郎はそう言って向き合った。
「けっ……この戦はお主らの勝ちよ……勝ち戦で命を散らす必要もあるまいが……次に会うた時がわしの勝ち戦ならば、遠慮なくその命を貰おうぞ」
そう言うや、勝成はあっという間に愛馬に跨り駆け去ろうとした。
雑賀衆が狙撃しようとしたが、孫三郎は制止した。
「おもろい奴がおるもんや……未来で知ってた水野勝成よりも、かなりぶっ飛んでるな……おい善之助?大丈夫か?」
「孫……痛ってぇーーー。どんだけ馬鹿力なんや。具足の上からでも腹に入ったらこの有様や。しかし、鉄砲で弾くのは憚られるのぉ?堂々としたもんや」
「そやな……やけど、あの性格やったらさぞ敵も多いやろな?」
「孫?大丈夫か?」
「十五郎か?わかるやろ?あれ……水野勝成や。勝てるのに、負け戦やから命を取らんとか言いよったで。天晴なヤツやけど相当変わっとるな?敵ながらちょっと惚れたで」
「ああ……なんせ無事でよかった」
此処は水野藤十郎忠重の持ち場である。明智軍の側面攻撃により苦戦を強いられ、徐々に戦線が瓦解しつつあった。
「六左衛門?ご苦労であった。お前の判断は正しかったの?
だが、そろそろ潮時かもしれぬな?」
「兵を退くのであれば某が殿を……織田様が逃げる時間くらいは稼げまするが……」
「その必要はない。何故お前を危険に晒さねばならぬ。
我等は十分過ぎるほど戦ったのじゃ」
「しかし、総大将が無事撤退できれば捲土重来もありましょう?
万一があれば未来永劫負けにござる」
「お前の言う総大将とは三介殿であろう?」
「無論の事……この戦場において他に誰がおるのです?」
「わしはな?ずっと三介殿に従うつもりなどありはせぬ。
水野の家の為じゃ……暫くすれば時機を見て一斉に兵を退く」
「合点が参りませぬ。一時とは言え総大将と仰がれたお方を、舌の根も乾かぬうちにお見捨てになりまするか?」
「お前は若いな?三介殿で織田の家が立ち行くと思うておるのか?
時代が巡っておるのじゃ。もう十二分に義理は果たした。
この上の異見は許さぬ。指示があるまで防御の徹するのじゃ」
こうして勝成は渋々引き下がったのだ。
すでに日輪は傾きつつある。織田軍右翼は明智軍の側面攻撃により不利になりつつあった。それは左翼も同様で、唯一互角に戦っていたのは滝川勢のみである。
この状況を秀満は見て取り、いよいよ自身が戦場に躍り出ようとしていた……




