134話 左近の決意
天正十年七月六日、すでに日付は変わっている。
土橋守重率いる雑賀衆の夜討ちにあった峯城では、岡本太郎右衛門良勝がそれを逆に利用し、城を放棄して逃げ去っていた。初戦を無血開城に近い状況で勝利した明智軍であったが、すぐに伊勢攻略に動かねばならない。そこで再度軍議をし、南伊勢への軍勢を増員する事となった。
接収した峯城には関盛信が入り、雑賀衆から土橋守重の二千が津田七兵衛の南伊勢方面軍に合流する事となった。それにより、一万四千となったのである。
そして俺は、明智左馬助秀満等と共に中伊勢方面を攻略する事となった。
また、神戸具盛、国府盛種が新たに傘下に加わり、八千となったのである。
俺は中伊勢方面の上野城を攻略する手筈となっていた。
早暁、津田七兵衛信澄は一万四千の軍勢を率いて、峯城より出陣しようとしていた。
「左馬助殿、十五郎殿……我らが進軍すれば、恐らくだが織田三十郎殿は戦わずして撤退するように思う。峯城への援軍の意味は無くなったからのぉ。野戦にて一気に片を付けるつもりであったが、思い通りにはいかぬものよ。まずは手土産に共に雲林院城を攻略し、そこで別れることに致しましょうぞ。と申しても、恐らくは無血開城するであろうが……」
「某もそのように思いまする。問題は戸木城から木造城でせめぎ合いになりましょうな?木造具政、長政父子は剛の者にて、侮れませぬな。味方になれば心強いでしょうが、織田家に対する忠義は厚いやもしれませぬ。力攻めすれば此方も相応の被害を負いましょう」
左馬助がそう懸念した。
「囲めば三十郎殿は後詰せぬ訳には行かぬはず。そこで出てきてくれれば重畳でござるが……」
「こればかりは読めませぬな……」
こうして、関勢を残して、明智軍は峯城より進発したのだった。
そして雲林院城を囲んだが、予想通り城兵の姿はなく無血での占領となった。
織田方としては、戦線を縮小し、枢要な城に集め抵抗し、岐阜からの援軍を待つ方針と考えられた。当然であるが出陣してきていた六千の軍勢もすでに撤退している。
「さて此処までは順調に来たわけだが、これからじゃ。
左馬助殿……上野城は頼みましたぞ。早期に片付けば安濃津城攻めに力を貸してくだされ。某はこれから戸木城を囲みまする」
「心得ました。ご武運を……」
こうして俺は、明智左馬助秀満と共に、上野城へ向けて出陣した。
一方、此処は大和郡山城である。光秀からの早馬が到着し、筒井家中では早速議論が交わされていた。島左近清興には正式の物とは別に俺からの書状を送り、根回ししていたのだった。
「光秀め……真っ向から織田方と対決すると見える。勝負の行方はわからぬな?伊賀を切り取り次第とは良い条件じゃが、実際に攻め入れば旗色を鮮明にすることとなる。
両名はどう思うか?」
順慶はそう問いかけた。
「殿……伊賀は三十郎殿も在番しておらず、容易に切り取れましょう。
此処は日向守殿の心象を良くするためにも早速出陣すべきかと。
全軍で進撃し、伊勢への囲みに加われば感謝されましょう。
過去の汚名を雪ぐためにも、是非とも……」
左近は間髪入れずに答えた。
「それは承知しておる。しかし、判断を誤れば家を滅ぼすこととなろう。
全軍で出陣するのは……のぉ?」
「左様。伊賀さえ切り取れれば問題ござらぬはず。何も伊勢まで殿が出向く必要もござるまい。万一この状態で日向守殿が敗れるか、西で羽柴殿が動けば取り返しが付きませぬ。
此処は形だけ伊賀へ出兵し、お茶を濁すべきではありませぬか?
そこで、日向守殿が勝てば伊賀は自然と手に入りまする」
松倉右近はそう答えた。
「殿……恐らくですが、三十郎殿では明智勢に勝てませぬ。また、羽柴殿は先の敗戦の傷も癒えぬ今は仕掛ける事はございますまい。此度も懈怠する事はお家の為になりませぬ。
一刻も早く全軍で出陣なさいます様……平にお願い申し上げる」
「左近……其方は誰の家臣であるのか?」
「勿論、殿の家臣にござる。成ればこそ意見しておるのです。
そのような策を弄したところで見抜かれまする。何卒……」
「要は出兵すれば軍役を懈怠した事にはならぬのでござろう?
此処は、殿は臥せっておるので、全軍の出陣は叶わぬと言えばよいではありませぬか?」
右近はそう献策した。
「左近殿が軍を纏め、出陣さえすれば日向守殿の顔も立つのでござろう?」
「確かにそうでござるが、求められておるのは伊勢攻めへの加勢にござる。
遅滞すれば伊賀を切り取れたとて、無駄になるやもしれませぬ。
日向守殿がそれほど甘いお方と思われるか?
先般から下手に出ておられるのは、畿内が平定できておらず、筒井家の力が必要であったからにござる。万一、伊勢まで平定されたとなれば日向守殿の有利は動きませぬ。
某はお家の為にも、今、行動せねばならぬと心得まする」
左近は必死に訴え続けた。しかし、書状にもあったように、順慶が期待通りに動くはずもない事も感じていた。
「では左近、兵四千を預ける故、伊賀を攻略するのじゃ。そして、状況を見極めながら動けばよい。もし日向守の有利が確定すれば、すぐに伊勢の囲みに加われば良かろう?
だがもし状況が混沌とするようならば、伊賀から動く事罷りならぬ」
「しかし左様な事は見抜かれまするぞ。繰り返し申しますが、我が家は尼崎においても不手際を晒しておりまする。此度も懈怠するようなことがあれば……」
左近は必死に訴えた。
「もう良い。わしが決めた事じゃ。左近……よきに計らえ。
兎に角、わし自身は出陣せぬ。よいな?」
「ははっ……致し方ござらぬ。某が出陣致しましょう」
左近は、十五郎からの書状にあった通りの展開に落胆していた。
すべてが光秀の手の内にあることを理解したからである。そして、そう遠くない将来、筒井の家は立ち行かなくなる事を予感していた。まさに左近の心が決まった瞬間でもあったのだ。
「必ずや伊賀を平定し、伊勢へ駆けつける」そう心に誓ったのだった。




