130話 安土軍議
天正十年七月三日
各方面に放っていた明智忍軍が情報を持ち帰り復命した。
安土には明智軍の首脳が集まっている。
また、光秀は山城衆、近江衆、丹波衆、雑賀根来衆にも動員をかけ、かなりの軍勢が集まりつつあった。
俺はこの時をずっと待っていたのだ。
光秀の他に、津田七兵衛信澄、明智左馬助秀満、溝尾庄兵衛茂朝、大蔵長安そして、武士身分になったばかりの明智源七郎慶秀……全員が安土城内の一室で報告を待っている。
そして、美濃から新たに組頭となった夕霧が帰還し報告した。
「只今美濃より戻りました。ご報告致します。
まずは尾張にあった織田三法師は徳川軍、尾張衆と共に岐阜に帰還致しました。
更には、三七殿、三介殿も岐阜に上り、宿老達も集まりました。
そこで、三法師を跡目とする体制が出来上がりましてございます。
ですが昨日、三法師は何者に毒を盛られたようでございます。
憶測ですが、伊賀衆の手により暗殺されたものと……
どうやら、織田家中は連帯して近江に攻め入る手筈だったようです。
しかし、跡目の三法師暗殺という事態に動揺して居る様子……」
夕霧は装飾することなく事実だけを簡潔に述べた。
「夕霧……ご苦労であった。疲れたであろう?ゆっくり休むがよい」
光秀はそう労った。
「いえ、服部半蔵配下の伊賀衆が近江にかなり入り込んだ様子……
こちらも徳川の動きをさらに探るべきかと……」
「わかった。だがまずは休むのだ。その後三河を探ってくれ」
源七がそう命じた。
「父上……徳川殿の動き……何やら遠大な謀略を感じまする。
本多正信でしょうか?幼子の三法師を暗殺するという手段は明確に天下を争うという意思の表れでしょうか?」
「十五郎……其方もそう思うか?
ついに徳川殿が牙を剥いたという事じゃな?」
光秀はそう言ってため息を漏らした。
幼君を暗殺するという手段が、有効とわかっていても光秀には出来そうもなかった。
「しかし、織田家中は三法師君暗殺は我等の仕業と思うでしょう。
この謀略の狡猾たる所以です。さすがと言わざるを得ませぬ。
徳川殿は水面下で策謀を巡らせておりましょう」
大蔵長安が答える。
「織田家中の結束を弱めれば、徳川殿はどのような利益を得るのでしょうか?
某には解せませぬが……」
庄兵衛が疑問を呈した。
「何を考えての事か、理解に苦しみますな?
我等明智にとっては好都合と言えなくはありませぬが……」
秀満もわかり兼ねる様子である。
「徳川殿の思惑はわかりませぬが、我等にとっては好機。
三介殿や三七殿が岐阜におるとなれば、それも利用すべきかと……
万鉄斎殿も動くはずにござれば、伊賀、伊勢に軍を進めるのも一手にござる」
津田七兵衛が出兵論を唱える。
「七兵衛の申す通り、万鉄斎殿が動けば後詰せねばならぬ。
この機会に伊勢を切り取るべきであろうな?
神速の用兵が必要であるが、近江を手薄にする訳には参らぬ。
どうしたものかの?十五郎はどう思うか?」
光秀が興味ありげに俺に尋ねた。
「某も伊勢へ出兵すべきかと思いまする。
ですが、織田軍が近江に出てくれば兵力に不安がござります。
順慶殿と細川殿には軍役を命じるべきかと……
総勢一万近く動員できるはず。
羽柴筑前はすぐに摂津へ攻め入る事はござりますまい。
それと、弥三郎殿に依頼し、長宗我部水軍を伊勢方面に向けて頂きまする。
滝川殿が敵におるとなれば、手強き相手……水軍が心強い味方となりましょう」
俺は思いつく戦略を披歴した。
「成程の……他に意見はあるかの?わしは概ね十五郎の策に同意じゃ。
手抜かりがあってはならぬ故、遠慮なく申せ」
光秀に合格点が貰えたようで、俺は少し安堵した。
「不確定要素があるとすれば……順慶入道は軍役に応じましょうか?
またぞろ懈怠されては、具合が悪うござる」
七兵衛がそう懸念を表明した。
「順慶入道の腰は重いやもしれませぬ故、島左近殿を頼ろうかと思いまする。
柳生街道から別動隊として参戦してもらい、伊賀は切り取り次第とすれば如何でござりましょうか?
伊賀四郡は三介殿と三十郎殿の領地ですが、守りは手薄でござりましょう。
順慶入道が従えば良し……本腰を入れずとも、左近殿を出陣させましょう。
切り取れた場合は左近殿に論功行賞にて預ければ良いかと……
更には、河内衆も与力するよう計らうべきかと存じます」
俺はそう献策した。
「西の守りは大丈夫でしょうか?
羽柴筑前がすぐに出兵するとも思えませぬが、手当は必要ではありませぬか?」
大蔵長安がそう述べた。
「他には無いかの?忌憚なく述べて貰いたい」
光秀が更に問いかけた。
しかし、ほとんどの意見は出尽くした感がある。
「では申し渡す……
南伊勢方面へは七兵衛殿を総大将とし、山城衆、丹波衆、根来衆を充てよう。
中伊勢には左馬助を大将に近江衆の一部と雑賀衆、そして十五郎が軍師として一軍を率いよ。
わしが安土に残り、伝五の兵と細川殿の丹後衆、残りの近江衆で守りを固めよう。
長安と庄兵衛はわしの側近として安土に居て貰いたい。
また、念のため摂津衆には尼崎への後詰がいつでもできるよう準備させる。
それと……源七の甲賀衆と藤堂与右衛門を十五郎の指揮下に置き、兵一千を預ける。
此度からは経験と思い一軍を率いてみよ。
良いか……一気に伊勢全域を切り取るのは難しいであろう。
左馬助は難儀ではあるが、万一のためにすぐに近江に戻る算段も考えておくことじゃ」
こうして、光秀が方策を申し渡した。
「七月五日を以って一気に進軍する。
各方面に急ぎ書状せよ。皆の者……精一杯励んでもらいたい」
最後にそう締めくくり、軍議が終了したのだった。
翌四日、俺は藤堂与右衛門高虎の元を訪れた。
「与右衛門殿……我が父からの命により、与右衛門殿は我が与力として一軍を指揮して頂くことになりました。某は何分、戦の駆け引き等は素人でござる。
配下の源七も元は忍びの者にて、軍勢の運用は不得手にござる。
此度の出陣にて、お力添え頂きたい。お頼み申します」
俺はそう言って頭を下げた。
「若殿……頭を上げて下され。某は尼崎の戦場にて若殿に命を預けたからには、精一杯励む所存。それに若殿の下に居れば大名になるという夢も叶いそうに思いまする。
我が力……存分に使ってやって下され」高虎は恐縮しながら逆に低頭した。
そうはいっても体格がデカすぎて滑稽に映ってはいたが……
「いや……どうもこういうのが苦手でして……配下とは言え、周りは皆某より年長者で経験を多く積まれた方々ばかり。正直なところ源七くらいとしか気軽には話せぬのです」
俺は頭を搔きながら苦笑いした。
「ハッハッハッ……成程……では、今後は某を与右衛門とお呼び下され。
某が知り得る事、何でもお話致しましょう程に。
一応諸国を渡り歩き、良し悪しを含めそれなりに見てきておりまする。
若殿と心が通じ合えば、これに勝る喜びはござりませぬ」
「そう言って貰えると嬉しいぞ。
与右衛門……これからも良しなに頼み入るぞ」
俺は早速そう呼んでみたが、やはり違和感があった……




