129話 悲運の幼君
天正十年六月二十九日
岐阜からの早馬が三河へ走った。
徳川三河守家康は、岐阜における織田家中の跡目の顛末と今後の織田家の方針の情報を受け取ったのである。そして真夜中にもかかわらず、本多弥八郎正信が駆けつけた。
蝋燭の微かな明かりのみに照らされた部屋で、家康は瞑目している。
家康はずっと回想していた。今川家の人質時代……田楽狭間……金ヶ崎……三方が原……
信長とはずっと共に夢を見続けた。同盟国にもかかわらず、臣下同様の扱いを受けていたが、それでも信長に賭け続けた……それも三河の領民達、家臣達を守るため……純粋にそう思えた時もあった。
しかし、時代は巡ったのだ……もう耐える必要などない。
覇王信長の死により、家康は解き放たれたのだ……
「殿……夢から覚められたようですな……」
「弥八郎か? ずっとな……信長公と話しておった」
「未来へ……踏み出せそうですかな?」
「うむ……わしがすべての恨み、痛み……受け止めねばなるまい。
死んでいった家臣達……信康……瀬名……
妻子まで死に追いやったわしが血に汚れずに真っ当な道を歩ける道理があろうか……」
家康は誰にでもなく心情をそう吐露した。
信長と織田家の為に数多の家臣を失った事、幾度も……
そして、嫡男と正室までも涙を呑んで死に追いやっている。
家康は今更、善人たろうとは思えなかった。
「殿……某も一蓮托生にござる。人目にもわかる恨み、嫉み、痛み……
家臣として某が引き受けましょう。
殿は我等家臣達を鼓舞して下さればよいのです」
「わかった……もう後戻りも迷いもせぬ」
「では……左様計らいまする」
こうして、三河からは再度の早馬が朝靄の中を駆け抜けていった。
それは日ノ本の歴史を大きく変えるや否や……
七月朔日 正信からの書状を受け取った服部半蔵正成は、配下の伊賀衆を集めた。
蜜命を帯び、これから困難な任務をこなさねばならない。
「警護の状況はどうか?」
「はっ……驚くほど手薄にて。織田家中は元々草の者を使いませぬ」
「しかし甲賀者の気配は感じたが……滝川殿の手の者だな?
上手く殺れるか?」
「ここ数日はあまり気配を感じませぬ。頃合いかと……」
「絶対に気取られてはならぬ。毒を盛るのじゃ……
万一気取られた場合は斬り捨てよ。そして……
自らを灰にしてすべての痕跡を消し去らねばならぬ。
良いな?明智の者と思わせるのじゃ……」
「承知……必ずや」
「見届けた後は、我等は数名を残し一度三河に戻る。
何としても成し遂げよ……良いな?」
明けて七月二日
岐阜城内は騒然となった。三法師の寝所に刺客が入り込んだというのである。
さすがに宿老たちも滞在してるとあって、警護の兵がいた。
そして、忍びと思しき者を発見し戦闘となったのである。
その賊は鉄砲傷を受け、逃走が不可能とわかると二名ともその場で自身に火を放ったのである。元々装束に油を染み込ませてあり、点火したのであった。明らかに身元を隠すための、忍びならではの方法であったのだ。
そして前後して、幼子である三法師が昏倒して伏せってしまったのだ。
織田家の宿老たちはすぐに三法師のところまで参じたが、哀れ……間もなく息を引き取ったのである。
滝川左近将監一益は一連の動きから、すぐに忍びの仕業であることを見抜いた。
「許せぬ……幼き三法師君まで手をかけるとは……」
河尻与兵衛秀隆は、その場に泣き崩れた。長年仕えてきた信長、そして三位中将信忠……さらには織田家の惣領となったばかりの三法師……まさにこれからと言う時に、すべての希望が潰えた事を意味したからである。
「明智の者共……決して生かしてはおかぬぞ……」
森勝蔵長可も感情をむき出しにし、そう息巻いた。
「兎に角、起こってしまったことは致し方ない。
今後の事こそ肝要でござろう」
丹羽五郎左衛門長秀は冷静にそう答えた。
「今後でござると?何もせぬから後手に回り、明智の者共を跋扈させるのでござろう?一刻も早く出陣致し、明智を成敗致せば斯様な事はなかったのじゃ。断固出陣すべきでござる」
長可は感情を抑えきれそうもない。
「勝蔵殿のお気持ちはわからぬではないが、そう簡単ではない。
跡目がおらぬ状態で家中が纏まるとお思いか?」
長秀は冷静に答える。
柴田修理亮勝家はずっと瞑目したまま聞き入っている。
そして口を開いた。
「織田家の跡目の件は一旦棚上げする。
重要な課題であるが、すぐには決め難い。いや決まらぬであろう。
よって、まずは団結して明智に対抗するしかない。
三七殿と三介殿を対等な立場の総大将とし、計画通り出陣致す。
これ以外に方法はない。方々にもそう心得て貰いたい。
宜しいかな……」
「致し方ございますまい……」
秀隆と長秀は同時にそう答える。
「不肖某が先陣仕る」
長可は当然とばかりに主張した。
「宜しかろう。美濃方面からは勝蔵殿にお願い致す。
左近将監殿もそれで宜しいかな?」
勝家はそう問いかけた。一益だけが何も発言していなかったからだ。
「方々にお伝えいたしたい事がござる。
某は、事此処に至っては出陣そのものを考え直すべきかと思いまする。
今感情に任せて出陣致したとて団結を欠きましょう。
ならば敵の出陣を待ち、持久戦を致すほうが有利ではありませぬか?
我らが美濃、尾張、伊勢を固めておれば日向守とて簡単には仕掛けられませぬ。その上で羽柴殿が摂津方面から仕掛けた時が勝負処ではありますまいか?
防備を固めておけば、武田上杉からの侵攻も十分対応能いましょう」
一益は根底から方針を覆そうとした。
「何を申される……三方面からの同時侵攻は左近将監殿が立案されたのですぞ?それを翻されるのか?何故でござる?某は納得できませぬぞ」
長可は間髪入れずに反論した。
「三法師君が跡目となられ、家中が纏まっておった時とでは状況が違う。
家中の結束が機能するとお思いか?某はそこを懸念しておるのじゃ」
「左近将監殿の懸念はわかるが、今更取りやめるのは勝機を逃すことになりはせぬか?わしは三方面から討ち入れれば勝てると思うておる。そこで勝を得れば家中も纏まろう?」
勝家も方針変更には難色を示している。
「では……まずは三七殿、三介殿の意向もお聞きすべきではありませぬか?
我等宿老のみで事を決するのは憚られまする。
事情が一変したのです。家中の要となられる御両所の意向を無視できますまい。
それに、三法師君は最早おられぬ。
御両所はまた違った考えを持って居られるやもしれませぬ」
一益はそう道理を説いて説明したが、心中で思っていたのは別の次元の事であった。それはある疑念に基づいての事である。
三法師君を殺めたのは明智であろうか……
一益はその事がずっと気に掛かっていた。
もしそれが家康であったら?あり得ない事ではない……
一益は自身が上州から撤退する際に、真田安房守昌幸から徳川殿を警戒為された方が良い……と警告されている。そして家康の取った行動から、信頼に値するとは思っていない。
尾張に軍を乗り入れ、三法師を岐阜に移し織田家に介入するかのような動きを見せている。偶々、武田家の再興によりその野望は一旦頓挫したかのように見えるが、何を考えているかわかったものではない。
勿論、表面上は織田家との同盟を継続すると言ってはいるが、ずっと守り続けるかはまったく信頼できないのだ。
だが、それを他の宿老達に言うのは時期尚早であるとも理解していた。
表面に現れた事象から見れば、明智以外には動機が無いように思える。
敵対する側としては、相手の要となる人物を亡き者にするのは当然の戦略であるし、明智の間者が岐阜に居たのも明らかだ。
当然誰もがそう考えるであろう……だが、妙な不自然さを感じたのだ。
「確かに、左近将監殿の言にも一理ある。
どちらにせよ、御両所の意見を覗わねばなるまい」
勝家がそう発言し、一度散会したのであった。




