128話 岐阜会議
天正十年六月二十九日
滝川左近将監一益はその日開かれる会議に出席するための準備していた。
越前からは筆頭家老、柴田修理亮勝家も来訪し、後継者と宿老がすべて参集する事となっているのだ。
この会合により織田家の行く末が決まるのである。
一益は拳を握りしめ、三度床を叩いた。
「殿……お呼びでござりましょうか?」
「うむ……入って参れ」
すると僧体の人物が物音ひとつ立てず片膝をついた。
「鬼火よ……岐阜城下の様子はどうか?」
「はい……数多の忍びの気配がござります。炙り出しますか?」
「いや構わぬ。いずれ知れる事じゃ……泳がせておけばよい。
やはり明智の手の者か?」
「明智の忍び衆も潜んでおりましょうが、伊賀者も多くおりまする。
服部半蔵の手の者かと……」
「成程の……徳川殿としては織田家の内情が気になると見える」
「しかし、相当数が入り込んでおりまする。我が手の者だけでは対応能いませぬ」
「何やら企みがあると申すか?」
「わかりませぬが……手出しするのも藪蛇かと思い放置しておりまする。
明智の者だけでも始末致しますか?」
「いや……それよりも近江に配下を向け、動きを探らせよ。
日向守の次の動きを見極めたい。美濃に来るか……それとも……」
「ははっ……では早速。ですが身辺が手薄になりますが宜しいので?」
「構わぬ……それよりも情報が欲しい。手遅れにならぬうちにな……」
そう言うと、その男は無言で姿を消した。
かの者は滝川一益配下の甲賀忍びである。一益の影働きをしていた一団であった。だが、規模の大きい集団でない。一益の出身地である甲賀からの縁者でもあった。
此処は岐阜城である。信長、信忠と織田家二代にわたる持ち城であったが、主の居なくなった城は物悲しげに映った。かつては織田政権の中枢でもあったのだ。
参集した諸将は織田家の宿老達である。
滝川左近将監一益、河尻与兵衛秀隆、丹羽五郎左衛門長秀、森勝蔵長可、そして筆頭家老である柴田修理亮勝家である。勝家以外は自身の領地の多くを失い、失意の中にある。そして四名が着席した後、勝家が最後に上座に座った。
「早速であるが、織田家の跡目の件……各々方の率直な意見を伺いたい」
勝家がまずそう切り出した。その部屋は襖が締め切られ、誰も中を覗くことはできない。まさに宿老達だけの極秘の会議である。公平を期すべく連枝衆の面々も外されている。
「三位中将様の遺児、三法師君を跡目として推挙いたす。
これ以外の選択肢はないと存ずる……」
河尻与兵衛秀隆がまず答えた。
「某も異義ありませぬ」
一益もすぐにそう返答する。
「某も異義ありませぬが、ご後見役は三介殿、三七殿で宜しいですかな?」
長秀も同じくそう答えた。
「跡目の件は異議ござらぬが、一刻も早く上様の仇討ちを……」
長可が意見を付け加えた。
「何と……皆の考えは一致しておるのか?
なれば話は早い。わしも異論などありはせぬ。
三法師君が跡目となるのは筋から言っても当然……
なれば、これで織田家は一致団結できようもの……
で、領地の相続であるが如何する?」
「尾張、美濃をそれぞれが相続するという格好しかありますまい。
ですが、某は恥ずかしながら若狭を失いましてござる。
我等は皆根無し草も同然……その辺りも考慮頂きたい」
長秀がまずそう要求した。宿老達の領地が少なければ兵力と権威が伴わない。当然の要求とも言えた。
「それは道理じゃ。では三七殿に美濃を相続してもらい、五郎左殿、与兵衛殿への配分を……また同様に三介殿に尾張を相続してもらい左近将監殿、勝蔵殿へ配分する……これで宜しいかな?わしは幸いにして領地は削減されておらぬ故、辞退致そう。三法師君の後見役をお二方のお願いし、それぞれが補佐するという格好では如何か?その上で、我等宿老が合議にて方針を決定する。
これで異論はござるまい?」
そう勝家が意見を取りまとめた。
「異議ござらぬ……」
皆がそう唱和し、すぐに意見の一致を見たのだった。
「で、日向守への対応は如何される?家中の問題が解決した以上、すぐにでも討って出るべきではありませぬか?」
長可がここぞとばかりに切り出した。
「そう簡単ではない。相手の出方を見てからでなくてはの……
柴田様には腹案がおありですかな?」
一益がそう問いかけた。
「残念だが、若狭が切り取られた以上、わしも容易には近江に出られぬ。
一致して当たらねばなるまいて……」
勝家はそう答えるしかなかった。
「されば……越前、美濃、伊勢の三方面から同時に攻める手は如何でござるか?
日向守も対応に窮する事疑いなく思いまするが……
無論、万全の準備を致してからにございますが、これしかござりますまい」
一益が大まかな戦略を提示した。
「それは良い……しかし、信濃や越中方面からの対応は如何される?
そろそろ動きそうな気もするが……」
秀隆がそう懸念を表明した。
「越中は内蔵助を富山に置く故心配は要らぬ。上杉が富山を素通りされれば別義であるが、そのような策を採るとも思えぬ。武田とて家を再興したばかりなれば、他国まで攻める余裕があろうかの?」
勝家がそう答える。
「与兵衛殿の懸念は御尤もなれど、日向守を捨て置いて後手に回れば戦機を逸しましょう。此処は最速にて軍備を整え、討ち入れるべきでござりましょう」
長可はあくまでも討って出るつもりなのだ。
「うむ……それしかあるまいな?
では、越前からわしが攻め上がるとしよう。
美濃からは三七殿、与兵衛殿、五郎左殿、勝蔵殿お願い申す。
伊勢からは三介殿、左近将監殿……
この陣割りで如何か?
七月中旬であれば準備能おう?そして一気に攻め上がる。
三万は動員できよう?」
「異議ござらぬ……」
こうして、織田家の反攻作戦が決定を見たのである。
翌日には大々的に三法師の織田家家督相続と神戸三七、北畠信意の後見役への就任が発表された。そしてすぐに両名は織田姓に復して名を改めたのである。
神戸三七は織田三七信孝、北畠信意は織田三介信雄と……
また、両名付きの宿老として合議に参加した四名が割り当てられ、柴田勝家が引き続き織田家筆頭家老として差配するという仕組みが出来上がった。
それから諸将は岐阜において諸手続きと反攻作戦の準備に入る事となったのである。
だが、その様子はすぐに周辺勢力へも知らされ、思いもよらぬ事件が勃発する事となるのである。
それも誰もが予想しえない展開であった……




