99話 羽柴軍帰還
天正十年六月五日
羽柴筑前守秀吉は、備中高松から引き上げを開始した。
この日の朝、毛利方との和睦が成り、準備の後、夜半に帰還との途に就いたのである。家中には毛利方の寝返りを不安視した者もあったが、秀吉、官兵衛ともに毛利が背後を突く可能性はないと読んだのだ。この変事を見越して官兵衛が山陽道の整備をさせたこともあり、まさに神速で駆け抜けたのである。
そして、六月七日には騎馬兵を含む先頭集団が姫路に帰還した。
此処で秀吉は全兵が帰還するのを待ちながら、今後の方策を検討していたのだ。各地に放った物見や、伊賀衆によって畿内の動静などは時間的ずれがあるのせよ、ほとんど把握できていた。しかし、その内容は喜ばしいものはほとんどなかった。というより不利な状況と言えた。
「官兵衛……如何する?畿内はほとんどが光秀に与力するであろうな?
何か方策はあるか?」
さすがの秀吉でも妙案が思いつかない。
「正直に申せば、戦略的に後れをとっておりまする。
あとは局地的な戦術にて補うしかありませぬ。
柴田殿や、徳川殿と合力出来れば良いですが、時間がありませぬ」
官兵衛は冷静にそう分析した。
「しかし、池田殿に後詰せねば畿内は光秀に制圧されよう?
昔、姉川で戦った時と同じく後詰の計を仕掛けられておる。
それに、淡路に長宗我部がおるしの……」
「淡路の長宗我部勢は三千ですな?恐らくは上陸する意図はありますまい?
念のため各城に守備兵を置けば気にする必要はないものと……
それよりも池田殿との繋ぎです。上手く立ち回ってくれれば、勝機はありましょう。兵力差はさほど大きくはありませぬ。あとは軍勢の気力かと……」
「何とか序盤だけでも押せば、光秀に与力して居る者も本気では戦うまいな?」
「確かに……摂津衆や大和衆は取り敢えず日向守殿に味方したまで。
戦意旺盛とは言えますまい。
そこで、今一歩彼等に好待遇での寝返りを持ち掛けましょう。
三左の配下であれば、上手く近づけましょう。
殿……早速書状をお願い致しまする」
官兵衛は此処でやって損はない策を手抜かりなく進めた。
「他にも何か腹案はないかの?細川にも揺さ振りを仕掛けるか?
やつが丹後から攻める気配を見せれば、光秀も落ち着くまい?」
「左様ですな……やって損はないかと。
丹波一国を進上する旨、持ち掛けましょうぞ。
少なくとも兵部大輔殿が日向守に与力する事はなくなりましょう」
「三七や三介はどうか?動かぬかの?」
秀吉は僅かな希望を込めて言ってみた。
「無理でしょうな……丹羽殿が突き上げておられるでしょうが、期待せぬ事です。それは殿が一番ご存知ではありませぬか?」
「ハハハッ……確かにな……逆に足手纏いかものう?
よし、まずは明石城を経て兵庫城まで軍勢を進める。
明日には兵も揃うであろう。一日休息いたし、九日早朝に出陣する。
一方、秀吉の軍勢が怒涛の勢いで帰還するのを密かに見ていたものがいた。
管平右衛門達長である。達長は小早で密かに瀬戸内の海岸に上陸し、物見していたのである。この様子を見て、急ぎ淡路に戻り報告した。
「弥三郎殿、秀吉は七日には姫路に帰還いたしました。追っ付、軍勢も戻るでありましょう。恐らくは休息した後、山陽道を東上するものかと……」
「成程……ということは九日に出陣し、明石を経て、その日のうちに兵庫城に向かうか……どこで攻撃を仕掛けるかであるな?」
「某は、明石城近辺がよろしいかと……海から近く、あの大軍では野営するものも多いでしょう。砲撃の効果が高いかと思われますが……」
「わしも同意見じゃ。十五郎殿は如何ですか?」
一応弥三郎が尋ねてきた。
「某は海の戦がよくわかりませぬ。お任せいたしまする」
俺はそう答えた。
「伝太夫殿は何か意見はござりませぬか?」
弥三郎は問いかけた。
「いえ、某もその方針で良いかと……一つの案として、別動隊を出し、姫路方面に向かうと見せかけるのも良いかもしれませぬな」
「成程……別に上陸する必要はありませぬ。それを企図するだけで、相手は疑心暗鬼に陥りましょう。やって損はないかと……上手くすれば摂津面に向ける兵が更に削減されるやもしれませぬ」
俺は、宮本伝太夫の策が良策に思えた。そして、その戦略眼に驚いた。
「では、その方策で参りましょう。岩屋から明石は海峡を隔ててすぐにござります。
随時小早を出し、動きに注力致そう」
こうして、弥三郎は締めくくった。
一方、近江方面では様々な動きが出ていた。横山城には美濃から逃れてきた者達が居たのだ。西美濃三人衆の一角であった、安藤伊賀守守就である。
歴史上では、本能寺の変の後、北方城を奪うも、稲葉一鉄に攻められ敗死している。しかし、今回は違った。変の後の情勢が違ったからである。
守就は一族と共に滅亡する道を選ばず、逃亡して光秀の力を利用し、再起する事に賭けたのだった。自身は齢80近い老齢であるが、一族のためにと奮起していた。
一族と共に決死の逃避行をしたため窶れてはいたが、その眼光は鋭く精気がみなぎっていた。守就は横山城にたどり着くと城将である荒木行重に面会した。
「山城守殿……情けない話ですが、我等安藤一族、美濃にて再興を賭け立ち上がりましたが、力及ばず、この有様でござる。最早、美濃に居場所はありませぬ。この老いぼれに使い道があるかどうかわかりませぬが、息子や一族の者達の事を思えば不憫にて……
日向守殿を頼るべく、恥を忍んで落ち延びた次第にござる。
家の再興が叶うのであれば、この命捧げます故、何卒、日向守殿にお取次ぎ願いたく……この通りでござる」
そう言って守就は平伏した。
「伊賀守殿、頭を上げてくだされ。伊賀守殿のお気持ち、某も同情を禁じ得ませぬ。日向守が織田前右府殿を生害せしめたのは、言わば義挙にござる。きっと今後を戦い抜き、天下に覇を唱えましょう。元々伊賀守殿が追放されたは、謂れのないご不幸……日向守はそう思っておるはず。
某が請け負いましょう程に……まずはこの城にて休息された後、安土の左馬助殿のところにお送りいたしましょう。某が書状を添えますので、ご安心を……悪いようにはされぬはず」
行重は快くそう回答した。
「有難や……お礼の申し様もござらぬ。
この上は何なりと申し付けくだされ。我等一同忠誠をお誓い申し上げる」
守就もそう答え、平伏した。
そして、安藤一族は生き延びることになったのである。この事は美濃への調略等において、手札が増えたことを意味した。同時に、美濃では反明智勢力を鮮明にしている事も明らかになったのである。




