サイバーファントム「Link2レイ」
僕は目をパッと開けて天井をガン見した。
こんな寝覚めの良い朝は何年ぶりだったかな?
もしかしたら人生史上最高の寝覚めかもしれない……かなりウソをついた。
ここで『ご主人様、朝食を運んでまいりました』とか言って、メイドさんが部屋に入って来たら90点なんだけどなぁ。平凡な寝覚めなんてなんの幸せでもない。ぶっちゃけ、寝てるほうが人生幸せだと思う。
そして、枕元にあった置き時計を見て、最低の寝覚めに急落下した。
これは認めてはいけない現実だ。まさか学校に遅刻しそうなんて、ギャグ漫画の王道でもあるまいし、そんな朝はイヤだ。
そうだ、ここは現実的な解釈で乗り切ろう。この時計は二十分ほど進んでいるんだ。僕が寝ている間に、小人さんが時計の針を進めたに違いない。
お茶目なイタズラだなぁ、あはは。ってぜんぜん現実的じゃないし!
バカなこと考えてないで早く着替えよう。
僕はパジャマの上から制服を着るという裏技を使い、ネクタイを締めながら等身大の鏡に自分の姿を映した。
さすがにそろそろ髪の毛を切ろうと思う。
僕の両眼は全部前髪で隠れ、口の辺りまで髪の先が伸びている。
猫背だし、幸薄そうだし、見るからにネクラっぽい。
でも僕はネクラなんかじゃない。
たしかに学校でひと言もしゃべらずに家に帰ってくることがあるけど、それでも僕はネクラなんかじゃない!
ちょっと面と向かってしゃべるのが苦手なシャイボーイなだけで、ネットの世界では明るい自分が出せている。
だから僕はネクラなんかじゃないんだ。
ネットの世界でコミュニケーションが取れてるんだから、まったく問題ないと思う。
こんなこと考えてないで早く高校にいかなきゃ。
僕は家をダッシュで飛び出した。
学校までの距離は近い。徒歩で十分通える距離にある。
僕は前髪が乱れないように走り、一〇メートルもしないうちに息が切れた。
疲れてしまった僕の歩く速度は普段の50パーセントOFF。これじゃ走った意味がない。最初から走らなきゃよかった、損した。
……んっ?
前方五メートル先に黒いナマモノ発見!
うはっ、黒猫に目の前を横切られた。縁起が悪い。
僕は見て見ぬフリをして曲がり角を曲がろうとした瞬間だった。
衝突音が聴こえて間もなく、
「キャーッ!!」
女の子の甲高い叫び声が聴こえた。
放物線を描いて巨大な何かが、僕の足元へ鈍い音を立てて落ちた。
ナース服を着た美少女が、頭から血を流してアスファルトに横たわっていた。
フロントガラスが割れた車が目に入った。
身動き一つしないナース服の美少女。
頭から流れた血が僕の靴を浸す。
……ありえない!
僕の人生は順風満帆じゃないことは認めるけど、目の前でこんな悲劇に遭うなんて認めない。
そもそもナースがなんで町中にいるんだ?
しかも美少女。
そうだ、これは夢だ。
夢以外にこんな展開あるわけないじゃないか!
「僕は認めないぞ!」
僕は腹の底から叫んだ。
――そして目が覚めた。
頭を乗せていた腕が痺れている。
どうやらパソコンの前で寝落ちしてたらしい。毎日こんな感じだ。
学校から帰って来てまずやることは、パソコンの電源を入れること。それからずっとパソコンの前で過す。休みの日なんかは、ずっと家に引きこもってパソコンをやっている。
学校に行かなくなったら、絶対ヒッキーになると思う。ついでに今流行のニートにもなりそうだ。
そんな未来予想図を展開しながらも、僕はパソコンなしじゃ生きていけない。
今ここでこうしている僕は本当の僕じゃない。ネット世界のほうが生き生きしてて、あれが本来の僕だと思う。だからパソコンがなくなってしまったら、本当の僕も消えてしまうんだ。
昨日も遅くまでパソコンをやっていた……せいで遅刻しそうだし!
僕はパソコンの時計を見て焦った。
すぐにパジャマの上から制服を着替え、僕は家を飛び出した。
家を飛び出した時点で息が切れ、ゼーハーしながら歩いていると、黒いナマモノ発見!
うはっ、黒猫に目の前を横切られた……デジャブ?
悪い予感がした瞬間だった。
衝突音とガラスの割れる音、そして――。
「ぐぎゃ!」
カエルを握りつぶしたような短い叫び声が聴こえた。
僕の足元に落ちてきた中肉中背の男。
僕は血の気が引いて顔面蒼白になった。
首を一八〇度回転させた男は嘔吐をして、頭からは血を流していた。ひと目で死んでいるとわかった。
男を撥ねた車がバックして逃げて行く。
僕も怖くなって逃げた。
……ありえない!
まさか正夢になるなんて、信じてたまるか。これはきっと夢の続きなんだ。
僕は自宅に逃げ込み、自分の部屋に入るとドアのカギを閉めて、ベッドの上に乗って布団を被った。
冷や汗をかいて異常に寒い。
急に部屋がノックされた。僕はビビって心臓が止まるかと思った。
「どうしたの?」
ドアの向こうから母親の声が聴こえた。
「体調悪いから学校休む」
そう言うと、母親の足音が遠ざかっていった。
それなりに心配されているみたいだけど、一線を越えてまで僕に関わろうとしない母親。
……母親の対応がリアルだ。
これって夢なのだろうか?
なにひとつリアルと違うところがない。非日常な現象は男が僕の前で死んだことくらいだ。
やっぱり夢だ。ここで認めてしまったら負けになる。何に負けなのかわからないけど、とにかく負けになる。
全身に鳥肌が立った。何か音がした。耳を澄ますと、その声がよく聞こえた。
猫の鳴き声。
寒い、背筋が寒い。寒くて猫背になる。
潜った布団の隙間から、僕はベランダの方を見た。
猫だ、黒猫が窓の外にいる。
ホラーか?
ホラーなのか?
いや、ホラーの展開にするもんか、絶対コメディに持っていってやる。
あれは黒猫と見せかけて宇宙刑事なんだ。どこかの星から凶悪な怪人を追って、地球の平凡な住宅街に来たんだ。
「ここを開けてくださらない?」
……幻聴?
なんか少女の声が聴こえた。部屋に少女の霊でもいるのか、今までパソコンをやっていてそんな気配感じたことないぞ。
「開けて頂戴」
少女の声と窓を叩く音。
黒猫が前脚で窓を叩いていた。
……やっぱり宇宙刑事だ!
違う、これは夢だ。
確信した。猫が人語をしゃべる=夢だ。
よかった、安心した。車に轢かれた男も特殊メイクか何かで、血はケチャップだったに違いない。この際、豆板醤でもいいや。
僕は呼吸を整えながら、布団を被ったままベランダの前に立ち、窓をゆっくりと開けた。
黒猫は小さくお辞儀をすると、しなやかに僕の部屋に入って来た。家宅捜索の令状は?
僕は布団を被ったまま黒猫と向き合った。
「どこのどなたですか?」
猫に向かって尋ねるような質問じゃないけど、相手は宇宙刑事だ。
「わたしの名前はメアよ。貴方にお頼みしたいことがあって参りましたの」
宇宙刑事のスカウトか?
でも、そういうことに巻き込まれるのはごめんだ。
「断ります。僕は何もしたくない。危険なことに巻き込まれるのは嫌です」
例え夢だとしても、嫌なものは嫌だ。
黒猫が僕に一歩近づいた。
「人が車に轢かれて死ぬのを二度、貴方は目撃されましたわね?」
この言葉にちょっとビビったけど、二度とも夢の中なんだから、何か繋がりがあっても可笑しくない。そして、僕の目の前を二度も横切ったのは、この黒猫に間違いない。
「見たけど何か?」
「一度目は向こうの世界。二度目はこちらの世界。向こうでの出来事が影響して、彼は死にましたのよ」
「何を言っているのかよくわからない。もっと詳しく説明してくれませんか?」
「ナースが死んだのはサイバーワールド、オタクの男が死んだのがこの世界なのよ。つまり二人は同一自分だったということなの」
うっそだー。美少女ナースと中肉中背男が同一人物なんて想像もしたくない。テーマパークのマスコットの中に、どんな人が入っているのか想像しちゃいけないのと同じだ。
「だって同じ人間が二度も死ぬわけないじゃないか」
「彼はナースマニアだったの。それがサイバーワールドで投影され、彼はナースの姿をしていた。本来なら向こう側で死んでも、こちらに影響することはなかったのだけれど、世界のバランスが崩れはじめているせいで、向こうの想いがこちらの現実となったのよ」
「はぁ?」
さすが夢だ。荒唐無稽で理解しがたい。
こっちとか、向こうとか、サイバーワールドとか、ナースマニアとか、よくわからない。
どこから質問するべきか、やっぱりナース……いや、サイバーワールドかな?
「そのサイバーワールドって言うのを、まず僕は知らないんだけど?」
「俗に多くの人間が現実と呼ぶ世界の名がホームワールド。世界は今このときも生まれ、そして消えて逝くのよ」
「で?」
「中には強く想われて生き残る世界もあるわ。夢から生まれたドリームワールドは数ある世界の中でも、揺ぎない強固な存在で歴史も古く、いくつもの階層に分かれている。他にも確立された世界は鏡の世界、ミラーワールドなどがあるわ。そして、ごく最近、急速に存在を確立しつつあるのがサイバーワールドよ」
理解できそうでできない。わからない単語が二つも増えた。僕に理解力がないんじゃなくて、このメアとかいう猫が説明ベタなんだ、絶対。
このまま説明を聞いても、時間がかかりそうだから、別のことを聞こう。
「それで僕にどんな頼みがあるの?」
「サイバーワールドで捕れられてしまった姉を助けて欲しいのよ」
宇宙刑事の任務に違いない。
「でもなんで僕に頼むの?」
「貴方がこちらとサイバーワールドを行き来できる選ばれた存在だからよ」
選ばれた存在って響きがいい感じだ。まるで伝説の勇者の響き。
でもやっぱりメンドウなことに巻き込まれるのはごめんだ。
「危険そうだし、僕が君のお姉さんを助けてあげる義理もないし、お断りします」
「駄目よ、これは定めなの。貴方はわたしと一緒に来なければならない」
「ヤダ、絶対ヤダ」
「さあ行きましょう、サイバーワールドへ」
黒猫が僕の身体に触れた瞬間、貧血のように意識が遠退いた。
目を開けると……もう僕の部屋じゃなかった。
どこか荒んだ雰囲気を受けるビル街。
僕の目の前には少女がひとり立っていた。
「……誰?」
「メアよ。向こうの世界ではわたしの力が弱められ、黒猫の姿を取らざるを得なかったの」
つまり黒猫=少女。
ネコミミ少女かッ!
残念ながら、目の前の少女にネコミミはなかった。
メアは僕のことを見ながら、流し目でクスクス笑っている。
「アタシの何が可笑しいの?」
僕は自分の胸に手を当てて、メアに尋ねた瞬間、物凄い違和感に襲われた。
「……マジでっ!?」
思わず僕は自分の胸をモミモミしてしまった。
「胸だ……胸がある……なんでアタシ、スカート穿いてるの!?」
女の子の胸が僕の身体についている。それだけじゃない、どうやらメイド服を着用しているようだし、声も女の子だ!
メアは悪戯に笑いながら僕を見つめた。
「貴方ネカマだったのね」
「えっ?」
「サイバーワールドの法則はドリームランドに近いのよ。なりたいモノになれる世界。貴方が普段ネットで演じているキャラが投影されたようね」
そうだ、そう言えば、中肉中背の男が美少女ナースと同一人物だったって……。
こういうことだったのか!
僕はネットで女の子のフリをしている。つまりネカマってやつだ。今ここにいる僕は、ネットで演じている女の子そのものなんだ。
「てゆか、スカートってこんなに股がスースーするものだったのね」
「嫌なら別の姿になればいいわ。ただし、想いが強くなければ別の姿にはなれないわ。ほら、あそこを見て頂戴」
メアの指さした方向を見ると、人影のようなモノが行き来していた。まるで幽霊みたいだ。いつから僕は霊能力が開眼したのだろうか?
「それにしても幽霊たくさんいすぎ」
「あれは幽霊ではないわ。似たようなものだから『ゴースト』とこの世界では呼ばれているの」
「ゴーストってデスクトップアクセサリじゃないの?」
「それはこの世界では『プログラム』や『擬人化』の種族に分類されるわね。今そこにいるゴーストは、顔がなく、存在があやふやで確立した存在ではない種族。ホームワールドのネット社会に対応させると、捨てハンや名無しなどがなりやすい種族かしらね」
『ゴースト』の中にもいろいろいるらしく、影が濃いものから薄いもの、口にジッパーがついているモノまでいた。
「なんでアイツ口にチャックが付いているの?」
「あれは『傍観者』。ネットを見ているだけの種族ね」
「だんだんこの世界のことがわかってきたかもー」
「この世界の法則は創想と創言によって成り立っているの。なりたいモノになれる世界。ただし、それには周りをある程度信じ込ませることが大切なのよ。貴方が周りに自分が女だと信じ込ませているように」
つまりキャラ設定が甘いと化けの皮が剥がれるってことかな?
その点に関して僕は完璧だ。
ツインテールで脚が長い、出かけるときはいつも厚底ブーツの、メイド喫茶でバイトしている十六歳の女子高生だ。
他にもいろいろ設定があるぞ、一日一パック納豆を食べるとか……。
そうそう、名前は――。
「そう言えばアタシ名前言ってなかったよね? レイって言うのよろしくね♪」
もちろん本名じゃなくてハンネだけど、こっちのほうがリアルネームより愛着がある。
営業スマイルで僕が握手を求めると、見事にスルーされた。ショックだ!
メアは僕のことを放置でさっさと歩きはじめている。勝手に僕をこの世界に連れて来て、もう少し僕に気を使うとかなんとかすればいいと思う。
そう言えば、姉を助けるのを手伝って欲しいとかなんとか……?
「ねえ、お姉さんを助けに行くんでしょ?」
「そうよ、姉を攫った奴等はわかっているわ」
「どこのどいつ? アタシがコテンパンにやっつけてやるわ!」
いつもの僕だったら、そんなメンドクサイことしたくないけど、このキャラを演じてると積極的になれる。
「姉を攫ったのはハッカーやクラッカーの集団――黒い狼団よ」
「なんで攫われたの?」
「それは追々話していくわ」
「アタシに協力しろって言って、そんなことも教えてくれないわけ?」
前を向いて歩いていたメアが、急に鋭い眼つきで僕を見た。違う、僕の後ろを見ている。
僕もすぐに振り返った。
目に飛び込んで来たのは、黒いロングコートを靡かせ走ってくる美青年だ。しかも、両手に刀を持っている。立派な銃刀法違反だ。
美青年っていうのは僕の主観だけど、他の人が見てもきっと美青年だと思う。
なぜならば!
逃げる美青年を男が追っているからだ。やっぱり美青年っていうのは、一部の同姓にも好かれるんだなぁ。
メアが身構えた。
「黒い狼団の戦闘員よ」
「あれが?」
美青年を追っていたのは全身黒タイツの男たちだった。ただの変態かと思った。
逃げられないと思ったのか、美青年は急に立ち止まって振り返った。
美青年の背中に傷があるのを僕は見た。鉤爪で引っ掻いたような、服に三本の線が走っていた。でも、どうやら血は出てないみたいだ。
刀を構える美青年の傍らにメアが駆け寄った。
「わたしも加勢するわ」
「手助けは無用だ」
冷たい声で美青年は切り捨て、二刀流で戦闘員に突っ込んで行った。
一方メアは手助け無用と釘を打たれたので、冷笑を浮かべながら美青年の戦いを見守っている。
で、僕はというと、戦闘員がすぐそこまで迫っていた。
「なんでアタシまで戦いに巻き込まれなきゃいけないのよ!」
きっとメアが加勢するなんか言ったせいだ。僕まで美青年の仲間に思われたに違いない。最悪だ。
でも大丈夫、ネットの世界では誰にも負ける気がしない!
僕は厚底ブーツを振り上げて回し蹴りを放った。
「きゃっ」
僕の声から可愛らしい声が漏れた。恥ずかしい。
しかも見事に蹴りは外れて、反動で僕は尻餅をついていた。かなり恥ずかしい。
たとえ姿かたちが変わっても、実践の蹴りのイメージがない僕には、回し蹴りなんてことはできないんだ……たぶん。
卑劣な戦闘員は僕が転んだ隙に、飛び掛って来ようとしている。仮にも僕は美少女だぞ、襲うなんて痴漢のすることだ。
「この全身タイツの変態!」
この言葉は心で思ったことだったんだけど、気付いたら思わず口から吐いていた。
襲いくる戦闘員に僕は尻餅をついたまま足を振り上げた。
「これでも喰らえ!」
「ぎゃっ!」
厚底ブーツは見事股間を抉り、戦闘員は股間を押さえながら、アスファルトの上でのた打ち回った。
僕にすぐに立ち上がってメアに助けを求める。
「突っ立てないで手を貸してよ」
「だってわたしのところには誰も来ていないもの」
全部で四人いた戦闘員のうち一人は僕のところへ、残りの三人は謎の美青年がまとめて相手をしていた。
だからって、突っ立てないで僕のことを助けてくれてもいいと思う。
股間を押さえていた戦闘員が持ち直して立ち上がった。
「キーッ!」
なんか怒ったような奇声を上げたぞ。
さっきはまぐれで蹴りが当たったけど、今度はどうにもいかない気がする。
ここは逃げるしかないと思った僕は、ダッシュでメアの後ろに回って彼女を盾にした。僕より幼い少女を盾にするなんて、汚い奴だと思われるかもしれない。けど、さっき美青年の加勢を申し入れたくらいだから、きっとメアは強いに違いない。だって宇宙刑事だし。
「こんな下っ端戦闘員なんてやっちゃってメア!」
「この世界の仕組みを覚えるためにも、レイが戦うべきだと思うわ」
そう言ってメアは僕にリボルバーを手渡した。
「アタシ銃なんて撃ったことない!」
遠い昔にゲーセンで撃ったくらいで、本物の銃なんて見たことも触ったこともなかった。
渡されたリボルバーはズッシリと重く、シリンダーには六発の銃弾が込められていた。
「なんでオートマじゃないの?」
「何か不満でもあるのかしら?」
「弾込めるのも大変だし、いちいちハンマーだって下ろさなきゃいけないじゃない?」
「特別な弾を使うから、リボルバーのほうが使い勝手がいいのよ。さあ、敵が目の前まで迫っているわよ、撃ちなさい」
メアの言ったとおり、戦闘員はすぐそこまで迫っていた。けど、銃なんて人に向けて撃てるハズないじゃないか。急所に当たったら人殺しだ。
僕が躊躇しているうちに、戦闘員はロッドを高く振り上げていた。当てられたら痛そうだ。痛いのは嫌だ。
大丈夫、ここは現実じゃないんだから、銃弾が人に当たっても死にはしない……と思う。
僕は無我夢中で引き金を引いた。
銃声が耳に届いたけど、目をつぶって撃ったから、弾丸が当たったのかわからない。
でも、僕が殴られてないってことは当たったのだろうか?
僕が恐る恐る目を開けると、戦闘員に恐るべき現象が起きていた。
根本から戦闘員が崩れようとしている。
戦闘員を構成していたプログラム言語が浮き彫りになり、それが弾け飛んで崩壊をはじめているのだ。
目の前にいる戦闘員は人間ではなかった。戦闘員だけじゃない、この世界に存在する全てのモノがそうなんだと思う。全部プログラムで構成され、言語によって形作っているんだ。
僕の傍らに立っているメアが補足をする。
「弾丸にはウイルスが仕込んであったのよ」
パソコンなどを破壊するウイルスと同質のものだと思う。この世界では効果的な攻撃方法なのだろう。
ところで美青年はどうなったんだろう?
自分のことで精一杯で他人のことまで気が回ってなかった。
美青年は軽やかに舞いながら、二刀流を趨らせていた。
煌く一刀が戦闘員の腹を斬ったが、まだプログラムは崩壊していない。空かさずニ撃目が首を刎ねた。
噴き出る血飛沫。血もちゃんと出るんだぁ……グロイ。
首を刎ねられた戦闘員は致命的な損傷を受けたことにより、修復不可能に陥ったプログラムが崩壊した。
戦闘員の数はさっきより増えているようだった。これって加勢したほうがいいのかな?
銃で加勢したいけど、外して美青年に当たった大変だから、もっと近づこう。
僕はカッコよく加勢するべく走った。
そこへちょうど、美青年の背後に迫る戦闘員の影。このピンチを救ったら、僕は絶対カッコイイ!
「危ない避けて美青年!」
僕は叫びながら戦闘員に飛び掛ろうとした。
が、こんな展開、想定外だ。
美青年を背後から殴ろうとしていた戦闘員が急に振り向き、電流の走る棍棒を僕に振りかざしたのだ。
バットスイングのようにロッドは僕の腹を抉った。
殴られた痛みは感じなかった。けど、身体中に電流が走り、意識が遠退くのを感じた。
まさか……死ぬの……?
僕はちゃんと目を覚ました。
自分の部屋じゃないのはわかった。
コンクリートの壁に囲まれた冷たい部屋。
ベッドから上半身を起こすと、あの美青年が壁に寄り掛って立っていた。
「目を覚ましたようだな」
「アナタがアタシをここに?」
「そうだ」
美青年は決して僕と顔を合わせようとしなかった。すぐ近くにメアもいて、クスクス僕を見て笑っている。
「……変態」
ボソッとメアが呟いた。言葉に毒とトゲがあった。
明らかに僕を見て、変態って言った。侵害だ。人間誰しも、少しくらいは変態の要素を持ってると思う。でも、少なくとも僕は人前じゃ変態要素を見せないように努力している。
「アタシのどこが変態なのよ!」
怒った僕はここでハッとした。
言葉使いは女の子のままなのに、声が僕だ。
……ま、まさか。
僕は慌てて胸を両手で鷲掴みにした。鷲掴めるほども胸はなかった。股間にも手を当てみたら、こっちはちゃんとあった。
男に戻ってる。
これは変態だ!!
違った、大変だ。いや、やっぱり変態だ。
メイド服を着た男なんて変態だ。しかも、僕は自分のビジュアルくらい心得てる。ネクラの猫背で、前髪なんて口の辺りまである。こんなキモイ男がメイド服なんて着て、似合うはずがない。
美青年が僕と顔を合わせてくれないのも、美しくないモノを見たら目が腐るとでも思ってるんだコンチキショー!
「でも、どうして元の姿に?」
戦闘員に殴られて電流が身体に走ったような気がする。
「電磁ロッドによってプログラムが破壊されたんだ」
美青年はそう言った。
そこにメアが付け加える。
「この世界の大半はネット世界の幻影でしかないわ。だからウイルスや電気によって破壊が可能なの。けれど、貴方は別世界の住人だから、外装だけの破壊で済んだのよ」
口調は真面目なのに、顔が笑ってる。
笑いたければ笑うがいいさ!
笑われたら傷付いてやる!
ナイはクスクス、クスクス笑いながら僕にブレスレッドを差し出した。
「それは創想能力と創言能力を高めるブレスレッドよ。免疫化の効果と、使い方によっては全てを可能にするわ」
「どうやって使うの?」
「腕に嵌めて想うのよ。強く強く信じることが大切よ、それで貴方はまた美少女になれるわ」
僕はブレスレッドを腕に嵌め、メイド喫茶でバイトしているレイを思い描いた。
するとどうだ、胸が出た。
頭を振るとツインテールが踊った。
股間の男性オプションもなくなっている。
完璧だ!
美青年は僕の顔を一瞥して、立て掛けてあった二本の刀を持ち、ドアに向かって歩き出した。
「オレはもう行く」
無愛想な態度で出て行こうとした美青年を僕は呼び止めた。
「待って、まだ名前も聞いてない」
「お前たちに名乗る名前などない」
「ちょっと待ってよ、アタシ一緒に戦ってあげたじゃん!」
「ふっ、オレ一人でもどうとでもなった敵を、お前が勝手に割り込んで来てやられたせいで、余計な手間が掛ってしまった」
「ヒッドーイ!」
ムカツク野郎だ。
カッコイイからってなんでも許されると思うなよ。せいぜい夜道に気をつけな、ケッ。
再び出て行こうとする美青年の前にメアが立ちはだかった。
「わたしたちも黒い狼団と戦っているの。どうして貴方は追われていたの?」
「なぜお前たちは奴等と戦う?」
背の高い美青年が厳しい眼差しで、一回りも二回りも小さいメアを見つめた。
「黒い狼団に捕らえられた姉を助けたいの」
「もしかしたら、奴等のアジトで見ているかもしれない……」
「本当なの?」
少しメアは声を大きくしたけど、その顔は静かな月のようだ。
「奴等のアジトに乗り込んだとき、お前にそっくりな少女を見た。おそらく間違いないだろう」
「その少女はどうなったかしら?」
「さて? 返り討ちに遭って逃げるのが精一杯だったのでな、どうなったかまでは知らん」
僕もピンチになったら逃げるけど、カッコイイ奴が逃げるのはカッコ悪すぎ。
「敵のところに突っ込んでおいて、逆にやられて逃げてくるなんてダッサーイ」
悪意を込めて言ってやった。
するとすぐに美青年が睨み返して来た。
「またすぐに奴を倒しに行く」
「わたしたちも行くわ」
メアの申し出に美青年は首を横に振った。
「断る。あのネカマが足手まといだ」
「ネカマじゃなくて、十六歳女子高生、名前はレイ!」
「お前に何ができる? 足手まといの意味を理解できないのか?」
「アタシのことバカにしてるの! こんな奴と一緒に行くことないよ、ねっメア?」
どんどんこいつのこと嫌いになって来た。実はもともと綺麗な男って好きじゃないんだ。
「一緒に行かなくてはアジトの場所がわからないわ」
「オレにはオレの目的がある。お前らと行動を共にするつもりは毛頭ない」
この男には協調性ってやつがないのか?
再び部屋を出て行こうとする野郎の背中に、僕は腹の底の気持ちを吐き掛ける。
「もう正直に言っちゃうけど、アタシ、アンタのことなんかムカツク!」
ドアノブを握った野郎の動きが止まった。
そして、鋭い眼つきで僕を睨んだ。
「オレの名前はナギだ、その心に刻んで置け」
そう言ってあいつは僕に何かを投げ渡した。
強烈に閉められるドア。
あいつが姿を消したあと、僕は受け取った手の平を開いてみた。そこにはメモリーカードがあった。
「なにこれ?」
まさか僕を殺害せんとするウイルスが仕込まれてるとか?
「貸して頂戴」
メアが差し出した手に僕はメモリーカードを乗せた。
メモリーカードにはいったいどんな情報は入っているんだろう?
メアは壁にあったディスプレイ付きの端末に、メモリーカードを差し込んだ。
「サイバーワールドでは、いたるところにネットワークに繋げる端末があるのよ」
壁のボタンとタッチパネルを操り、メモリーカードの情報を調べてみると、中身は地図だった。
僕はメアの後ろから地図を覗いた。
赤い印がいくつも付けられ、そこには印を消すようにバツが引かれていた。その中のひとつ、バツ印がつけられていない赤い印の横に、『BW』と文字が書かれていた。
もしかして『BW』ってブラック・ウルフの頭文字?
メアも同じことを考えていたらしい。
「このバツがつけられていない場所が、黒い狼団のアジトに違いないわ」
ってことは、あの美青年が僕たちに敵のアジトを教えてくれたわけ?
でも僕は決してあいつが実はいい奴だなんて思わない。きっと、僕らに恩を押し売りするつもりなんだ。
「行くわよレイ」
メモリーカードを粉々に握りつぶし、メアはさっさと部屋を出て行ってしまった。
……粉々に握りつぶし?
ゴリラがリンゴを握りつぶすんじゃないんだから、メモリーカードがそんな簡単に粉々になるわけがない。少女の姿とは裏腹に、実は怪力の持ち主なのかもしれない。
この世界の人々は目に見える姿が本当だとは限らない、僕のように――。
もしかしたらメアも……?
ナギから貰った地図の情報は、全てメアの脳に刻み込まれているらしい。ちなみに僕はぜんぜん覚えられなかった。
メアを先頭に僕らは先を急いだ。
ビル街の裏路地に入り、マンホールから地下道に下りた。
地下だから下水道かと思ったけど、どうやら古い地下鉄の線路だったらしい。
長いトンネルに薄暗いライトが灯っている。
僕はメアの袖を掴んで、引っ張られるようにして先を進んだ。
メアが静かな口調で呟く。
「ナギが一度侵入したせいで、もっと警戒厳重かと思っていたけれど、まだ人の気配がしないわね」
「本当にアジトなんかあるのかなぁ?」
もしかして罠だったりして。
実はナギが戦闘員に追いかけられていたのも全部、自作自演だったりして……。
全ては僕らを罠にハメるための大いなる悪の陰謀なんだ。そうに違いない。
前を歩こうとしていた僕の身体を、メアが腕を伸ばして制止させた。
「静かに、人の気配がするわ」
物陰に隠れて様子を窺うと、二人組みの人影が地面に倒れた人らしきものを、持ち上げて運んでいるようだった。
トンネル内に強い光が差し込み、ドアらしきものが開いたのを確認できた。その中へさっきの二人組みが人を抱えて入っていった。
メアは静かな足取りで駆けて、すぐにドアがあった場所に向かった。
金属の扉が僕らの前に立ちはだかる。
カードリーダーが扉には付いていて、それがカギになっているっぽい。
「どうやって開ける?」
尋ねるとメアは何も言わずカードリーダーの前に立ち、肘を引いてグーパンチ!
カードリーダーは木っ端微塵。小さい火花を飛ばしながら壊れてしまった。
「開かないわね?」
本当に不思議そうな顔をするメア。
今のギャグじゃなくて、本気で開くと思ってやったみたいだ。
「……開くわけないじゃん。カギを壊したらもう入れないじゃない?」
「なら扉を壊すわ。少し下がっていて頂戴」
壊すって、まさか怪力パンチ?
夜風のような冷たさが背中を撫でた。
メアの髪の毛が重力に反してふわりと持ち上がり、まるで地面からそよ風が上に向かって吹いているみたいだ。
何か独り言をブツブツと呟いたメアの手が扉に向けられた。
「クルデ!」
何その単語と思ったのも束の間、僕は眼を剥いて驚いた。
メアの手から茶色い飛沫が噴射され、扉を腐食させ溶かしてしまったのだ。
「ナニ今の!?」
驚きを隠せない僕にメアはにべもなく、
「魔法よ」
と、ひと言。それだけ言って、さっさと扉の向こうに行ってしまった。
今の現象をそれだけの言葉で片付けていいの?
魔法ってスゴクないの?
だって魔法だよ、魔法。
「メアって魔法使いだったの?」
僕の質問は見事にスルーされた。
扉が壊れた瞬間から、何やら警報らしき音が聴こえていた。やっぱり扉を破壊したのが不味かったのだろうか。
蛍光灯が照らす鼠色の金属が囲む廊下を、僕らは忍び足で進んだ。
子供の秘密基地よりレベル高いけど、鉄板を貼り付けてあるボルトが出てたり、溶接が雑だったりしている。静かに歩かないと、すぐに足音が立ちそうだ。
ほら、後ろから足音が聴こえて……!?
僕は慌てて振り返った。
「メア、戦闘員が!」
「わかっているわ」
僕らの後ろから戦闘員が駆け寄って来ていた。
前に顔を戻すと、こっちからも戦闘員が迫っている。挟み撃ちされてしまった。
でも大丈夫、こっちには美少女魔法使いメアがいるんだ。
「やれるもんなら掛って来い!」
「あら、レイったら戦う気満々なのね」
「アタシじゃなくて、メアがお得意の魔法でちょちょいのちょいみたいな」
「姉が近くにいないと連続して魔法が使えないのよ」
「……マジで!?」
絶望だ!
これってピンチとかそういう展開?
計画性ゼロで敵のアジトに突っ込んで、当たり前の如くピンチが訪れたみたいな?
全身黒タイツの戦闘員の数は、ニの四の六人だ。
絶対こっちが不利だし勝てるはずがない。
もう絶望だ!
困った顔をしている僕にメアが投げかける。
「早くリボルバーを抜いて、貴方ならできるわ」
「……わかった」
そうだ、僕だって武器を持ってるんだ。
僕はスカートを捲し上げ、太腿のホルスターからリボルバー抜いた。
迫りくる戦闘員に向かって僕は銃弾を打ち込んだ。
鳴り響く銃声……ハズレたぁッ!!
僕が銃を撃ったことで敵は一瞬怯んだ。でも、そんなの一時しのぎでしかない。
「リボルバーなんて連射できないから素人が的に当てられるわけない!」
メアが静かに諭す。
「想言プログラムを発動させるのよ。貴方の想いはブレスレッドによって増幅され、現実となる」
「想言プログラムなんて初耳だし、とにかく強くイメージすればいんでしょう!」
戦闘員との距離はもうない。
僕は想い、『レイ』に新たな一面を追加した。
「地元のゲーセンでアタシにガンシューティングで敵う者なし!」
これでどうだッ!
僕は無我夢中で銃を撃った。
「キーッ!」
奇声を上げなら次々と戦闘員たちがプログラム言語に戻って逝く。
「あと一匹!」
僕は最後の引き金を引いた。
カチカチと、引き金が鳴るばかりで弾が出ない。
「……弾切れ!?」
最初に一発外したから……。
僕が慌てている隙にメアは戦闘員に抱きかかえられていた。
「捕まってしまったわ」
淡々とまるで他人事のメア。もっとジタバタするとかないの?
メアを抱えた戦闘員が逃げ出した。
ヤバイ、これは新たなピンチだ。
「こら待て、メアを放して!」
僕はすぐに戦闘員を追ったけど、あいつ予想以上にすばしっこい。戦闘員ってやっぱり肉体労働だから体力あるんだなぁ。その割りに時給は安いに違いない。
感心している場合じゃなかった。
曲がり角で戦闘員が視界から消え、すぐに僕も曲がり角を曲がったけど、戦闘員の姿がどこにもない……メアを抱えた戦闘員は。
代わりにメアを抱えてない戦闘員がゴキブリのように湧いて来た。
銃弾の込められてないリボルバーなんて、ただの鈍器だ。あんな大勢で来られたら僕に勝ち目はない。
「……ごめんメア」
決してメアを見捨てたわけじゃない。ちょっと独りになって作戦を立てたいだけだ。
戦闘員に背を向けて僕は必死に逃げた。徒競走より真面目に走った。
近くの曲がり角を曲がった瞬間、何者かが僕の腕を引いた。
「ボクは敵ではありません」
僕は眼を丸くして相手の顔を見た。
ピエロの仮面を被った見るからにピエロだ。派手な衣装が眼に痛い。
「なんでこんな場所にピエロが?」
「話は後です。今は少しの間、耳を強く塞いでいてください」
耳を塞ぐ理由を尋ねる前に、ピエロはどこからかダイナマイトを取り出し、なんとそれに火を付けて――投げた!
すぐに爆発音が聴こえ、煙が僕の咽喉にも入りむせ返ってしまった。
ピエロは爆発跡を覗き込みながら、僕に親指を立てて見せた。
「見事に跡形もなく吹っ飛んじゃいましたねー。ちょっとやり過ぎちゃいましたかね」
ちょっとどころじゃない。非常識だ。
「アナタ何者なの?」
「申し遅れちゃいました。ボクのハンドルネームは休日の道化師です」
「なんでピエロがこんな場所にいるのよ?」
「最近ちょっとウェスト周りが気になって、ちょっとお散歩に」
彼の言うとおり、お腹が妊娠したみたいに大きく膨らんでいた。
でも……。
「絶対さっきまでそんなに膨れてなかった」
「あっ、わかっちゃいました?」
ピエロは服の下から風船を取り出して、両手でパンと音を立てて割った。
「……付き合ってらんない」
こんな得体の知れない奴と、コントなんてやってる場合じゃない。とにかくメアを探して、ナイも探さなきゃいけなかった。
「助けてくれてありがとう、じゃあまた」
僕は変質者と深く関わる前に逃げようとした。
けど、いつの間にかピエロは僕の前に立っていた。
「どこに行くんですか? ボクにできることならお手伝いしましょうか?」
「結構です」
「そんなつれないこと言わないで、ボクも連れて行ってくださいよぉ」
「しつこくすると警察呼びますよ」
「それは困りました。お詫びのしるしに良いこと教えましょうか?」
「結構です」
僕は足を一八〇度回転させ、逆方向に歩き出そうとした。
けど、ピエロは僕の前にいた。
「あなたのお探しのモノを知っていると言ったらどうしますか?」
「…………」
ピエロの仮面が僕を覗き込んでいる。何か得体の知れないモノを感じる。
「例えば、道に落としたお金のありか。例えば、なくしてしまった昔の記憶。例えば、このアジトにある牢屋の場所」
「今の教えて!」
「道に落としたお金ですか?」
「違う! このアジトの牢屋よ」
そこにナイがいるかもしれない。メアもすでに入れられているかもしれない。ただ、気がかりなのは、このピエロの得体が知れないってことだ。
罠かもしれない。
でも罠だったら、こんな回りくどいことしないで、さっさと僕を煮るなり焼くなりすればいい。
「キーッ!」
戦闘員の声が向こう側から聴こえた。
しまった、見つかってしまった。
「きゃっ」
突然、僕の身体が浮いた。
ピエロが僕をお姫様抱っこして、軽やかなステップで走り出した。
「さあ、お姫様、着きましたよ」
僕はピエロに降ろされた。
辺りは薄暗く、少し湿った空気が流れていた。
奥のほうに牢屋の鉄格子が見える。本当に牢屋に着いたようだ。
「ありがと……?」
振り返るとピエロの姿はなく、微かに花の香りがするような気がした。
そして、薄闇から足音が近づいて来た。
何かが闇の中で煌いた。
「レイ?」
刀を持ったロングコートの美青年――ナギだった。
あんまり二人っきりで会いたくなかった。
ナギは刀を腰に差し、僕の横を通り過ぎて牢屋に向かった。僕も着いていく。
牢屋の中で何かが蠢いているようだった。『ゴースト』だ、『ゴースト』が牢屋の中に入れられていた。
いくつかあった牢屋を全部見たけど、ここには『ゴースト』しかいない。メアもナイの姿もない。
突然ナギが抜刀した。
抜くと同時に斬り、鞘に戻すと同時に竹を切るように格子が落ちた。
スゴイ刀の使い手だ。現実だったら絶対ありえないな。
牢屋が破られたというのに、『ゴースト』たちは出ようとしなかった。
ナギは言う。
「後はお前たちの自由だ」
ナギは踵を返しコートを翻した。
歩き出すナギの背中を僕は追った。
「待ってよ、どこに行くの?」
「大狼君を倒しに行く。そして、ナンバー2のザキマも必ず倒す」
「タイロウクンって誰?」
「なにも知らずにこの場所に来たのか?」
「何か悪い?」
別にそんなの知らなくてもいいじゃんね。ちゃんとナイさえ助ければ問題なくない?
「狼どもの君主。大狼君とは黒い狼団の団長の名だ」
「つまり諸悪の根源、悪の大魔王ってことね」
「そのようなところだ」
早足で先を行くナギを僕が追う形だ。
廊下ではまだ警報が鳴り止まずにいる。
ナギが二本の刀を抜いた。
前から戦闘員たちが迫っていた。でも、何かいつもと違うぞ?
ハチマキが青い!
全身黒タイツが下っ端だとしたら、たぶんそれのバージョンアップ版に違いない。きっと、赤とか、黄色の戦闘員もいるような気がする。
ナギが風のように走った。
刀が煌き、風切音が鳴り、赤い飛沫が次々と噴いた。
戦闘員たちはみんな一撃で消えて逝った。
悔しいけど強い。いや、戦闘員がザコなんだ。
次々と戦闘員たちを薙ぎ倒し、僕は楽をしながら先に進んだ。
そして、ついになんか特別そうな大きな扉の前まで来た。
「ここだ、この先に大狼君がいる」
ナギはそう言って重たそうな扉を押した。
僕らが部屋に乗り込むと、広い部屋の奥でノートパソコンを傍らに、リクライニングチェアに座っていた痩せ男が立ち上がった。きっとこいつが大狼君だ。
「また君か……」
腰まで伸びた長い黒髪が揺らし、大狼君の顔はサイバースコープでほとんど隠れてしまっている。
メアの声がする。
「早くここから出して頂戴」
部屋を見渡すと、大きなガラス管みたいな中に、ホログラム映像みたいなメアが入っていた。
「ワザと捕まってみたのだけれど、どうやらナイはすでにここにはいないそうよ」
すっごい魔法使えるクセに、簡単に連れ去られたと思ったら、ワザと敵の手に落ちたらしい。ワザと捕まるのいいけど、自分ひとりで逃げられるようにもして欲しかった。
大狼君には片腕がなかった。肩の付け根から電気コードのよう物が伸び、まるで何かにもがれたようだった。
「腕はどうした?」
ナギが訊いた。
「些細なバグがあってね、腕を破壊された」
大狼君はヒップバッグに手を突っ込み、ドロップキャンディーを取り出すと口に放り込んだ。
ドロップを噛み砕く音に合わせて、僕の背後から足音が聴こえた。
戦闘員たちがこの部屋に飛び込んで来た。
部屋の出口を塞がれてしまった。
「逃げ場はないぞ、どうする?」
大狼君の声が響いた。
どうしようもない。銃弾だって切れてるし、僕は戦力外だ。
ナギが二本の刀を抜いた。
「戦闘員は任せた、オレは大狼君を仕留める」
そんなこと言い残されても困る。ナギはさっさと大狼君に向かって行ってしまった。
戦闘員の数はたくさんだ。これを僕一人で倒せと?
「……ムリ」
後退りをする僕を追い詰めるように、戦闘員たちがジリジリと詰め寄ってくる。美少女を集団で甚振ろうなんて卑劣だ。
「レイ、想言プログラムを発動させるのよ」
僕の後ろでメアの声がした。
そんなこと言われてもどうしていいかわからないし!
戦闘員が僕に飛び掛って来た。
「キーッ!」
「きゃっ!」
僕は必死で床に飛び込んで避けた。
うつ伏せの体制から僕はすぐ立ち上がろうとしたけど、そこに次々と戦闘員たちが飛び込んで来た。
「……く……苦しい」
僕の上にどんとん山形に積み重なっていく戦闘員。このままじゃ圧迫死しそうだ。
どうにか僕は隙間を探して、匍匐全身で戦闘員の山から抜け出せた。
でもすぐに戦闘員に気付かれて追われるハメに――。
「もぉ追って来ないでよ!」
僕は部屋をグルグル逃げ回り、何かいい物はないかと自分の身体を探った。
「……あれ?」
腰の辺りになんかある。
僕はすぐにそれを引っ張って胸の前に出した。
……手榴弾だ。
いつの間に僕はこんな物を持ち歩いていたんだろう?
手榴弾をよく見てみると、ピエロのイラストが手榴弾にプリントされていた。あのピエロが僕にプレゼントしてくれたのか!
とにかく僕が助かるためにはこれを使うしかない。
おそらくここにあるピンを抜いて投げればいいハズだ、たぶん。
「えい!」
僕は可愛らしく手榴弾を投げてみた。
手榴弾は放物線を描いて戦闘員たちのど真ん中に落ちた。急に慌て出した戦闘員たちが散り散りに逃げていく。
「…………爆発しない?」
不発かと思った瞬間、手榴弾が爆発して僕は咄嗟に伏せた。投げてすぐ爆発するんじゃないらしい。
手榴弾はあと二個あった。
立ち上がった僕は手榴弾を胸の前に突き出し、戦闘員たちに見せつけて牽制した。
「近づいたら投げるからね!」
戦闘員たちは恐れおののいて近づいてこうとしない。今だ、今のうちにメアを助けよう。
僕はメアが閉じ込められている装置の前に立った。
メアが入っているケースの前にはタッチパネルがあって、これをどうにかこうにかすればメアを救えるはずだ。
僕はタッチパネルと睨めっこした。電化製品は得意だからきっとどうにかなる。
とにかく僕は適当にボタンを押してみた。すると、すぐ近くの画面にパスワードの要求画面が出た。いくら電化製品に強くても、パスワードの解読とかはムリだ。
「後ろから敵が迫っているわよレイ」
淡々とメアは言った。そういうことは慌てて言おうよ。
僕はすぐに振り向いて手榴弾を投げようとした。
もう遅かった。
僕はタッチパネルの上に押し倒されてしまった。その拍子に僕の手から手榴弾が落ちた。でも大丈夫ピンさえ抜いて……。
「抜けてる!」
手榴弾のピンが何かの拍子で抜けていた。
それに気付いた戦闘員は僕を置いて一目散に逃げ、僕も慌ててその場から逃げた。
背中に爆風を浴びて、僕は大きく前方に吹き飛ばされた。
……しまったメアが!
硝煙の中に小柄な影が映っていた。
「さあ、少し遊んであげようかしら、クスクス」
煙の中から現れたメアがこっちに向かって歩いてくる。
そのとき僕はすでに戦闘員たちに取り囲まれていた。
けど、もう僕の出番は終わったようだ。
冷たい風が吹き、メアが呪文をブツブツ唱えはじめた。
「ディザンド!」
黒い稲妻が避雷針に落ちるように戦闘員に吸い込まれ、そこからまた別の戦闘員に次々と放電していった。辺りは閃光に包まれ、稲妻は縦横無尽に暴れまわった。僕は巻き添えにならないように、芋虫みたいに床を這う。
稲妻を喰らった機器が火花を吐いた。そして、急に部屋が停電した。
すぐに予備電源に切り替わり、明るくなった部屋の中には四人だけが残っていた。メアと僕、そして大狼君に馬乗りになって刀を突き付けたナギの姿。暗がりの中でナギは大狼君を追い詰めていたんだ。
「貴様がいなくなればすぐにでも黒い狼団は壊滅する」
ナギはより深く刀を大狼君の首元に突き付けた。
「ここでやられるわけにはいかぬ!」
危険を顧みず、決死の覚悟で大狼君は相手の懐に飛び込み、グローブを嵌めた手がナギの腹を押した。
「クラックパンチ!」
腹で起きた爆発にナギは押し飛ばされた。
その隙に背を向けて逃げる大狼君。
「次に会うときは両腕で相手をしよう、ハハハハハッ!」
きっと、負け犬の遠吠えだ。
大狼君はパソコンのディスプレイの中に飛び込み、その姿を消してしまった。
残された僕たちは顔を見合わせた。
ナギは刀を鞘に収め、ディスプレイの中に飛び込んで消えた。画面に頭打つっていう王道展開はないらしい。
すでにメアも飛び込もうと構えていた。
「わたしたちも行くわよ」
「うん」
僕は頷き、メアの後を追ってディスプレイの中に飛び込んだ。
ゴツン!
「痛ぁ〜い!」
ディプレイの枠に頭を打ってしまった。
……よかった、誰にも見られてなくて……?
後ろを振り向くと、戦闘員が並んでいた。
見られた!
僕は顔を真っ赤にしてディスプレイの中に逃げ込んだのだった。