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最終話:穢胡麻

エイルフランス航空 277便 

成田発パリ行

12月5日

13:40発

25B


…という内容の情報が、岬の手元の航空券に印字されている。


25Bは座席番号である。

この航空券を保育士から受け取ったのは昨夜の事だった。


岬はこの時点で、とても身軽だった。

彼の会社である、岬リモーターズの看板は10月に下ろしたし、

マンション、土地、倉庫等の資産は全て

カタギの知人である事業家に売却済みだったからだ。


知人の配慮もあって、

二足三文が見込まれた売却益は大幅にプラスになり

夏の村の依頼報酬も加えて

預金残高は2000万円を超える。

彼はこの1割を、ユーロに変えていた。


航空券の引き渡しに指定されたのは

赤坂の高層ビル、地上200m以上に軒を構える

外資系ホテルの一室で。

地上の喧騒と無縁な落ち着いた静寂の通路の果ての角部屋の扉を

開くと。

欧米人の邸宅のような

贅沢な空間の使い方をした室内を彩る調度品が

岬の視界に飛び込んできた。


とても大きな窓からは、

赤坂、関東平野の夜景が一望でき

闇に人の営みが燦然(さんぜん)としている。


保育士は壁際のテーブルの前のヨーロッパ調の木製椅子に腰をかけて

長い脚を組み

窓の向こうに燃える

(ごう)や因果のような

無数の光に視線を投げていた。


長い黒髪が、相変わらずその(おもて)を覆っている。

キャスケット帽はしていなかった。

代わりに頭部、うなじの付近でまとめられ

そこから編まれた三つ編みは恐ろしく長く

その肩をつたって

椅子やらテーブルやらにもたれかかったり

太ももの上でとぐろをまいたりしている。


彼の姿には悲哀が溢れているように思えたが、

岬はその理由がわからず

言葉を発するべきかいなかを考えあぐねると

保育士は岬を向いて


「こんばんは。

時間ぴったりだね。」


と柔らかく言って腰を上げ、口元に微笑みを浮かべつつ

机から、A4サイズの封筒を一通取る。


そのまま、岬に向かって真っすぐ歩いてくる。

姿に。

岬は何故か、まだ遠い春先。

隅田川に沿って咲き乱れる桜の並木を思い出す。

それが何故かは分からない。

ただ、初対面の時の威圧、殺気、恐怖にまつわる

心理的緊張が、雪が春の日差しに解け去るように

解け消えていくのを感じる。


― 相変わらず、謎ばかりの人だ。 ―


と、思いつつ

岬は

「時間順守はマナーだからな。

気も使う。」


と保育士に応える。

保育士は柔らかくうなづく。


「ありがたいよ。

暗号を解く期限も守ってくれた。」

「ああ。

四つの数字が、

遺伝子、塩基配列だというのは、すぐわかったんだが。

先生がヒントをくれていたから、な。

その後が長かった。

気をもませて、すまない。」

「僕は気にしないよ。

解けないヒトは、一生解けない暗号だからね。

少なくとも君が、解ける人であることを、嬉しく思っている。」


保育士は、岬を見上げつつ、魅惑的にほほ笑み、

その指の先に持った封筒で、巨人の胸を


ぽん


と軽く叩き。

そのまま岬の手のひらに封筒を握らせてから、改めて言う。


「チケット、仕事に必要な身分証、パスポート

まあ色々入っている。

 後で確認してくれ。

 あ、同封されているライトグリーンの封筒は

 明日空港で開けてくれ。

 任務が書いてある。

 今晩は開かないように。」

「…分かった。」


岬はうなずき、保育士も柔らかくうなずきを返す。


「では、頼んだよ。

僕はもう行く。

君はここに泊まっていくといい。

君の名前でここはとっているし、

料金も支払ってある。

しばらく、この国ともお別れになるんだ。

名残を惜しめばいいさ。」


「…・分かった。

ありがとう。」


保育士は黒髪の奥の瞼を柔らかく落として

ほほ笑む。


その微笑みに、やはり春の陽に桜が舞うような感覚を、岬が覚えている間に

保育士は彼の横を自然に通り過ぎて

そのまま客室の扉の向こうに消えた。

ので、岬は保育士が足を組んでいた椅子まで歩き

腰を下ろして

封筒の中身を確認する。


…身分証は4枚入っていた。

ライトグリーンの封筒もすぐに確認する。

もちろん開封するつもりは無かった。

開けば爆発するとか、そういう事はないのは知っていたが。

開かないのが保育士に対する義理であり

義理を守るのが岬なのである。


が、やはり気にはなる。

ので、翌朝

早々にホテルを引き払い、赤坂から上野まで行き

京成線特急に乗って成田空港まで向かった。


特急の車窓から眺められる景色は

ビル街、住宅街、冬枯れした田園へと変化していく。

その変化に、岬はホテルの夜景に抱いたよりも強い郷愁を感じる。


そうこうしているうちに、特急は成田空港に到着し。

改札を出て、長い通路を行き

エスカレーターに乗って4階の第一ターミナル北ウィングに昇る。


横に広い出発ロビーを見渡し

エイルフランスのチェックカウンターの位置を確認する、

時に。

彼は気づく。


あんみつ寒天を巨大なオブジェにしたようなタワー状の柱の前で。

青の天井付近を見上げている人影。


背は高くない。

華奢な肩。

白のワンピース。

夏に初めて会った時は、ショートヘアだった黒髪は

肩のわずかに上まで伸びて、セミロングとなっている。


― 夏が今は秋を越えて冬ということは、

この人の中では一年以上が経っている、のか。―


複雑な感情を抱く岬の視線を感じて


ワンピースの彼女は振り返り

硬直し。

その陶器のような白い頬に、朱が淡くさす。


「わ。」


とのけぞって細い腕をぱたぱたと振る。

…あの夜と同じ反応に、岬の頬はゆるみかけるが、

そういう照れくさいことは、岬はしない。

代わりに、ポーカーフェイスを決め込み、彼女の元まで

すたすたと歩く。


「おはよう、穢胡麻さん。

久しぶりだな。」


「なんで、岬さん、ここに?」


穢胡麻の声は透き通るように、か細い。


― そういう、ことか。―


岬は全てを悟る。


もう、空港なので封筒を開いても問題はないので

彼は返事の代わりに、(ふところ)から封筒を取り出し

同封されているライトグリーンの封筒を取り出し、

彼女の目の前で開封をして、中の文面を確認しつつ

訊く。


「穢胡麻さん、あんたが乗るのは

エイルフランス航空 277便 

成田発パリ行

12月5日

13:40発

25A


か?」


穢胡麻は


きょとんとしてから、間をおいて

うなずく。


「はい。」


岬は、そんな彼女に柔らかく口角を上げつつ

ライトグリーンの封筒内の文面を彼女に向けて、

言う。


「あんたの先生は、随分と性格が悪いな。」

穢胡麻の細いが黒目がちな瞳は、わずかに大きくなり。

口元をもにゅもにゅとさせて

頬を緩めて

うなずく。


「はい。

そういう点も含めて、とても尊敬しています。」


…・文面には。

指示。

エイルフランス航空 277便 

成田発パリ行

12月5日

13:40発

25A

に登乗する人物の身辺警護。

期間。

本指示書の開封より15年間。

尚、警護人物死亡の場合、請負人は抹殺される。

注意されたし。』


…と書かれており、

その文面をかすかに見上げながら、穢胡麻はため息をつく。


「…それにしても15年ですか。

私はしわしわのおばあちゃんになってしまいますね。」


岬は平然と応える。


「俺は、穢胡麻さん。

あんたがしわしわになってから、

その先も。

俺はあんたを守るよ。」


その言葉は、確信と意志を帯び。

その響きに。

穢胡麻は


ぽかん


として、それから

頬を朱に染めて、はにかむ。

その黒目がちな瞳はうっすらと濡れている。


「それは、頼もしいですね。

頼もしすぎて、泣きそうです。」


「いや、泣きたいほどあんたに謝りたいのは俺の方だ。

俺の変な


わがまま


のせいで、あんたは国外追放っとなったんだろう?」


穢胡麻は小さくその首を横に振る。


「いいえ。

私がしたかったんです。

それに、これはいわゆる、あれです。

結果おーらいっていうあれですよ。」


「…感謝する。

とりあえず、依頼の内容が分かったら、腹が減ったな。

穢胡麻さん、飯は。」


「まだです。」


「じゃあ、チェックをさっさと済ませて、飯にしよう。」


そう言って、岬は彼女の前に軽くかがみこみ

その華奢な腕の先のトランクケースを


ひょいっと


持ち上げて、


「行こうか、お姫様。」


と言いつつ、エイルフランスのチェックに向かって踵を返す。

彼に

「はい。

岬さん。」


と言って、後を追う穢胡麻。

彼女の黒髪はかすかに揺れ。

幸福の予感をまとうように、朝の出発ゲートに満ちる光を受けて

微かに輝いている。







































㋈5日から延々と書いてきました

本作が、やっと書きあがりました。

自分は幸せな結末が苦手で

大体バッドエンディングなんですが。

そういう自分には珍しく、ハッピーエンドです。

続編を書く気は満々なので

早めにまた、取り掛かることができたらと思います。

ですが一応これで一区切りです。

ここまでお目通しいただき

ありがとうございました。

また次回作でよろしくお願いいたします。

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