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4-9 痕跡

「ご無沙汰しています。」

加瀬は頭を下げる。

「…。」

柳川は返事をせず、

峠を越した後、ICUから転室した先。

循環器病棟の南側の一角に位置する特別室の窓の外に視線を投げる。


― お前を真凛の夫と認めた覚えはないし、ましてや義理の息子など

論外だ。娘の葬式でお前が喪主をしたのも腹立たしい。

柴崎に寝取られ醜態を晒し豚のように奴に付き従っていたその奴隷根性も

醜悪に尽きる。

お前も同罪だ。お前も真凛を殺した。

ただ、復讐に値もしないほど、お前はくだらなく

矮小(わいしょう)な存在に過ぎない。

分かるか?わしはお前に生理的嫌悪を覚えている。 -


とでも言うように。

その皺は深く、その口元は苦虫を嚙み潰すように、苦渋と嫌悪に満ちている。

姿に。


加瀬は苦笑しつつ、語り掛ける。


「…パリの音楽院に、指揮の勉強をしに行くことにしたんです。

長く、日本を離れることになるので。

挨拶に伺いました。」


…老人から返事はない。

ので。


加瀬は再び苦笑をして、


「お義父さんも、お大事になさってください。」


といって

その脂肪でむにゅっとなった腰を

見舞客用の椅子から上げ、踵を返す後ろ姿に、声がかかる。


「…お前だろう。」

「はい?」

加瀬は振り返るも、柳川は窓の外から視線を

あくまで外さず。

卵体型と眼も合わせたくないという意識が満々なまま。

老人は言葉を続ける。


「お前だろう。

村、に柴崎の拉致を頼み込んだのは。」


加瀬の心臓が震えた。


沈黙。


うつむき、病室のフローリングの縫い目に視線をなぞらせた末に

加瀬はため息をついて、

老人に向き直る。


「はい。

柴崎さんを、死に追い込んだのは、僕です。

脳梗塞という発表は嘘です。

あの人は殺されました。」


柳川老人はその日、初めて加瀬を直視しつつ、言う。


「だろう、な。

お前くらいしかいない。

気味が悪いほど。

真凛に執着していた。

お前にしかできない、芸当だ。」


「…。

芸当ではなく。

罪、です。

僕がずっと、背負っていくことです。」


「ふん。

どこまでも気持ちが悪い。

偽善者め。

…・

…30億だ。」


「はい?」


「30億。

お前に振り込む。

それで、村に手配したのは、わしだ。

ということになる。

お前はわしに命令されたに、すぎない。

真凛の仇をうったのは、わしだ。」


― …言っていることが、めちゃくちゃだ。 ―


加瀬は呆れて

口が半開きになりかけるが

こらえる。


めちゃくちゃになるほどの

病魔に、真凛父親は襲われたし、

何よりも。

めちゃくちゃになるほどの

愛情を、父は娘に注いでいた。

…そういうことなのだ。


― ここで、話をこじらせても

何も産まれない。

僕にも、この人にも。 ―


加瀬は思い、


「わかりました。

…また、伺います。」


加瀬は老人に礼をして再びその踵を返し

病室を出る。


エレベーター方向に向かおうとすると


「加瀬様。」


と、後ろから声がかかり、振り返ると、執事が立っている。

ロマンスグレーなオールバックが

照明を照り返している。

禿げ上がった加瀬からしたら、とても羨ましい。


「由真さん。」


「旦那様は。

ああ仰っていますが。

…あなたの音楽を認めていらっしゃいます。

憎んでもいらっしゃいますが、それはひとえに

真凛様を愛しすぎたゆえのことで。」


由真という執事は淡々と言い。

加瀬は口の端に微笑みを浮かべつつ


― そうだろうか。 ―


と思うが。


「ありがとうございます。」


と、礼をすると、

執事は首をゆっくりと横に振りつつ、言う。


「いいえ。

お礼を申し上げるべきは、私どもです。

旦那様は

加瀬様の音楽に、

真凛様の痕跡を探してらっしゃいますので。

加瀬様の音楽を聴かれる気は満々でいらっしゃいます。

まあ、文句も仰る気も、ですが。

…満々なものがあれば、回復もされるでしょう。」


由真が姿勢を正して

辞儀をするので、加瀬は苦笑する。


「もったいないお言葉です。

由真さんも、ご健勝で。

…お義父さんを、よろしくお願いいたします。」


























































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