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4-7 三橋

…つまり、あの夜の全てが夢だった。

あらゆる事実が、三橋にその事実を告げていた。

が。



にしては生生(なまなま)しすぎる記憶だった、というより

三橋の脊髄が、恐怖を記憶していた。


江の島のビーチ。

灼熱に輝く砂浜に乗り付ける

黒塗りの車たち。

青春を謳歌する軽薄な若者たち。

肉感あふれるぴちぴちな小麦ギャルたち。



の群れの中に。


ジープを一台でも目に止めようものなら、

彼の脊髄は凍り付き

危機感に奥歯が震える。


(たび)に、警官の中から現実感が失われ、

その隙間を埋めようと

彼は

強烈ながらも、細部が時の経過とともに崩れていく

あの夜の記憶の確認を始めた。


山鼻からは、


「それより、報告書を正しく書くことを覚えろよ。

全く、まず

etc,

etc,

e…」

と長い小言を、いつも頂戴したけれど。


三橋はそれをせずにはいられず。

そして、するたびに、彼は途方に暮れた。


例えば、黒塗りのジープのブレーキ(こん)

残っているはずだと、確認に行くと

道路工事が始まっており

現場のコンクリートがごっそり掘り返されていた。


呆然としてたたずんでいると、

責任者の無精ひげのおっちゃんがやってきて

道路占有許可証を見せてくる。


「お巡りさん。

とってるんですけどねえ。

許可。」


三橋は絶句する。

彼の代わりに山鼻が前にでて

「すいませんねえ。

最近不審者がうろついてるって通報が多くてですねえ。

やっぱ熱いと色々とやんちゃとか

しちゃうんですかねえ。」


昔からの山鼻の才能である。

漫談家のような飄々(ひょうひょう)とした呑気さで

とりあえず和む。

というわけで、近所の子供たちからも

根強い人気と信頼を獲得している。

彼の後ろ姿に申し訳なく思いつつも。

それでも。

三橋は納得がいかない。


あの夜同乗していたもう一人。

クールビスの男は、あの夜の三日後。

新聞でみた。

有名な指揮者だったらしい。

ヌーベルバーグ音楽祭で倒れて

救急搬送。

移送先の病院で治療を受けるも死亡。

死因は脳梗塞。

…拉致のらの字もない。


茅ヶ崎の終着。

暗い林道の先には、輸入自動車販売会社があった。

らしい。

三橋が恐る恐る訪れると、工事の土台を打つ現場と化していた。

プラスチック容器の工場が建つらしい。



…他にも例えば、あの夜。

江の島ナンバーの警察車輛で拉致されつつも

すれ違った茅ヶ崎ナンバーの警察車輛。

何台かあった。

確認を取れば、と思ったけれど。


あの夜は、茅ヶ崎管轄にも複数の応援要請がきていて

つまり。

江の島ナンバーが茅ヶ崎車輛とすれ違うことに、何の問題もなかった。

が、三橋は食い下がる。


ドライブレコーダー。

確認すればわかるのだ。


「申請しようと思うんですよねえ。

どこにどんな風に出せば、確認できますかねえ。」


三橋は

昼の出前。

あご出しねぎ味噌チャーシューをすすりつつ

山鼻に相談し。

相談された元祖国民的アンパンヒーローは

三橋を。


可哀そうな子を見る目で見てから

コンビニ新商品

ハロウィン期間限定かぼちゃと紫芋のびっくりお化けデニッシュ

をちぎりつつ言う。


「…三橋。

まず俺たちは、太陽にほえるような刑事じゃないし、

そういう仕事がしたけりゃ転属願いを出すべきだし

受理されるには

報告書をちゃんと書け。

まずそこからだ。

それに、仮にだな。

うちの交番の車が向こうに映ってたとするだろ。


…それ、大問題だぞ?

職務離脱。

始末書何枚書くんだ?

俺は考えるだけで血圧が上がる。

ほんとさあ、頼むから、俺の事も考えてくれよお。

または、ローン20年、俺の代わりに払ってくれ。」


三橋は何も言えなかった。


…と、まあこんな感じで彼の捜査はことごとく空を切り。

切り続けているうちに。


その夜の記憶が。

現実ではなかった。

という事実を、彼は受け入れられるようになってきた。


というより。


「三橋は薬でもやってんのか?」


…という噂が江の島を越えて

茅ヶ崎の警官の口にもたつようになり。

白い目を背に感じるようにも

なってきてしまったので。


彼はそのこと自体に、


こだわる


ことが出来なくなってきたからである。


とても辛い。

間違っている、騙されているのは世界なのに。


…と、彼のどこかが悲鳴のように叫ぶ。


「…お前、最近暗いぞ。」


よそよそしくなる係長その他と違って

相変わらず、

小言が長ったらしいが、温かい先輩である山鼻に

ぽん、と後頭部をはたかれて

三橋は、

「すいません。」

と頭を下げると。

山鼻は報告書に視線を落としつつ

首を横に振る。


「俺も悪かったと思ってるよ。

お前が用水路に落ちたの、さ。

俺の責任でもある。」


「…いや、そんなこと。」


…という会話の後で。

三橋は、もう


それ


を考える事は極力避ける事にした。


ひたすら業務に精進する。

まずは、丁寧な記入。

美しい報告書の作成。


…それで。

彼はその夜を、吹っ切ったつもりでいた。

のだが。


それは夏も過ぎ

秋も終わって冬に入る12月の初め。

当直の仮眠休憩時間のことだった。


夢を見た。

大男に、布を当てられる。


前に。

男は口走る。


「…村、に連絡さえつけば。」


…むら?


疑問に思う暇もなく、男の布が鼻を覆う。

それは毒薬で湿っている。



― 殺される ―


三橋は飛び起きる。

瞳は刮目(かつもく)している。

全身の血管が、太く脈をうつ。

脈にそって、活断層がずれるような圧迫。


額に脂汗をかいたまま

腕時計を確認すると、休憩の交代時間が迫っている。

三橋は服を整え、汗をふき

仮眠室を出る。


「おー。

出てきたかー。」


山鼻は

がっつりあご出し爆弾デカもりがっつりチャーシュー味噌バターコーンラーメン

をすすりつつ

派出所の液晶テレビに注視している。


首相が会見をしている。

画面の右上に。


「成田発パリ行

エイル フランス航空 277便 

ハイジャックか 」


との字幕。


三橋は言う。

「いいっすよ。

山鼻先輩、仮眠。」


「あー。

俺いいわー。

これ気になるからなあ。」


と、先輩は麺をすする合間に

肉のほぼ消えた顎のさきで

液晶画面を指すので、三橋も画面に見入る。


「あー。

テロっすかあ。

世界のどこも大変ですねえ。」


「ほんとだよなあ。」


山鼻は淡々と麺をすすり

山盛りのチャーシューも胃に収めて。

それからスープをすすり終える。

姿に。


三橋は、相談をしたい衝動を覚え、彼の向かいの畳に座る。


「山鼻先輩。」

「ん?」

「話したいんですけど。

いいっすか。」


山鼻は片眉をわずかに上げつつ、うなずく。


「…その言い方は、あれだろ。

最近めっきり減ってきた、

用水路に落ちた当直関係だろ?

いいよ。

話せよ。

聴いてやるから。

けどな、下らなかったら容赦なく呆れるからな。」


「すいません。

…さっき、仮眠中に俺、夢見たんです。

なんつうか、いや、あれっす。

俺も最近あれが妄想というか、

顎を打った関係で朦朧(もうろう)として変な夢見ただけだってのは

なんか、整理ついてきたんですけど。

夢では、あれが現実で。

こっちが現実じゃないんじゃないかなって。」


「…三橋。」


「はい。」


「心療内科を受診した方がいい。

ちょっと、いやかなり、可哀そうなこと言ってるぞ。」


「あ、分かってるんですけど、聴いてもらえますか?」


「まあ、お前の気がすむんならな。」


三橋は山鼻に、微かに頭を下げて感謝を表す。


「…えっと。

さっき、そんな訳で見た夢でですね。

例の大男が。


村、に連絡さえつけば。


って言ってたんす。

村、って男の仲間かと思ったんですけど。

もしかしたら、


村って組織があって。

俺の先回りをして、あの夜の証拠、全部潰して回ってるんじゃないかな。

て思ったんすよ。」


― 何馬鹿な事言ってんだよ、とか。

そんなこと言われるんだろうな。

呆れて、困った顔もされる。 ―


…という、三橋の予想は外れる。


山鼻は、

きょとんとしていた。

瞳から、温かさとか、感情の光が消えている。

微動だにせず。

何の感情もなく。

三橋をまじまじと見つめている。


― え? ―


彼が戸惑ったのは一瞬だった。

その一瞬の後

間をおかず、

山鼻の目元に

呆れと困惑が浮かぶ。

それはいつもの、それこそ常套句的な反応である。


「三橋い。

また何わっけわからんこと言ってんだよ?」

「でっすよねえええ。

俺も自分で言ってて ほんっと わけわかんねえっすう。」


三橋は上半身をのけぞらせ

無理やり口角を上げて

白い歯を見せつつ

精一杯の苦笑いをする。


大げさに頭を掻く。

姿にため息をつきつつ。

山鼻?

は口を開く。


「でも、まあ。

そうだなあ。

お前の話通りだとするとさ。

俺は死んでる。

てことは、俺はその、



って組織によこされた、偽物ってことになるな。

これは仮定の話だがな。

お前の思い込みがさ、全部本当だったとする。

俺は死んで。

大男にお前は拉致された。

その後で茅ヶ崎でドンパチがあった。

もちろん大男も戦う。

村の依頼に沿ってな。

で、依頼の見届け人と仲良くなった。

そうだなあ。

15歳くらいの女の子だ。

女の子なのにやたらと強い。

その子に男はちょっとしたわがままを言った。

お前の命を救ってやってほしい。

とな。

ま、村って組織は依頼に巻き込まれた者は根こそぎ消す。

それで秘密を保つ組織だろうからな。

そんなことは許されない。

が、女の子はさ。

ドンパチとか、任務の報酬はいらないから、

男の願いをかなえてほしい。

任務に当たって犯した違反の罰も受けるから。て感じで。

嘆願したわけだ。

…で、結局その子のお願いは受理されて

お前は生かされる事になったわけだ。

問題は後始末だよな。

お前一人を


消す


よりも、はるかにしちめんどくさいタスクなわけだ。

で、しょうがないから

俺が派遣されることになったわけだな。

お前がどんなに混乱して色々さわいでも

俺が帳尻を合わせる。

しちめんどくさい。

だがそれが仕事だ。

女の子の願いがきかれて、


お前は村に殺されない。


事になっている。

俺たちに殺されない権利、てのが財界とかで高額取引されてんのに、だ。

本当に豚に真珠だよな。

ただ。

村、についてお前が騒ぎ始めるとなれば話は別だ。


村としても、お前にも、

その子にも、そこまで付き合う義理はない。

…てことで、だな。

お前が身の程を知らずに、下らない妄想をこれ以上騒ぎ続けるなら

つまり。

(やぶ)をつついて死ぬ覚悟もないのに、さ。

つつき続けるのなら。

お前の頚椎は、こうなる。」



…山鼻?は以上を淡々と述べ終えてから。

懐から皮財布を取り出しておもむろに開き。

500円玉をつまみ上げ。

そのふちを親指と人差し指の先でつまんでから。


ぐにゃり。


と曲げた。


時。

三橋は呼吸を忘れる。


「せ、んぱ、い?」


彼の頬から血の気が引く。

立ち上がり、後ろに距離をとりたいが

腰に力が入らない。

完全に、抜けてしまう。


姿に、山鼻?は破顔し

大口を開けて笑い始める。


「う、わ、ははは、ひゃ、ははは。

三橋い。」


「は、い。」


「ビビりすぎだぞ。

冗談だよ冗談。

これなんかゴムのおもちゃだぜ。

近所のわんぱくどもが喜ぶんだよ。

まあ。

…・お前の気の迷いをさ、ずっと聞かされてたら、だな。

こんなストーリーでも浮かんでしまうってもんだ。

これでも、学生のころは小説家目指してたんだぜ。

全体的にしゅっとしてたころだけどなあ。」


「先輩。」


「ん?」


「面白くないっす。」


「…だよなあ。

俺もこんな小説、つまらんわ。

まあ、俺は公務員でローンでお巡りさん、が似合ってる。

俺が一番分かってるさ。」


と、言って

もう一度ひとしきり笑ってから

山鼻?は立ち上がり


「チャーシュー食ったら眠くなった。

仮眠取ってくるわ。」


といって、踵を返す後ろ姿に。

三橋は悟った。


― あの、夜は。

まだ明けていない。

ずっと、続いている。 ―


















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