4-5 歪(いびつ)な卵
殺人者は切り揃えられた黒髪を揺らして
キャスケットを見上げつつ
その眉をしかめた。
「先生。」
「ん?」
「納得がいきません。
この方は、全て
人のせい
にしています。
全て、ご自分の招かれた因果にゃっ…!?」
先生と呼ばれたキャスケットは、
女の両の頬を両手の人差し指と親指の先
― とても長い ―
でつまむ。
男の口角は、柔らかく上がっている。
「駄目だよ。
お客様をこきおろしては。
加瀬さんも加瀬さんで、さ。
歪な卵の中で、苦しんで来たんだから、ね。」
…歪な卵、という言葉に加瀬は衝撃を覚えた。
その言葉は、彼と、今は亡き二人。
目の前で死体となっている柴崎
荼毘にふされて白い骨として砕かれた真凛。
三人で夢をみ、望み、作り上げてきた世界があった。
入り組んだ関係。
とても長い葛藤、苦悶。
― あんたに何がわかるんだ。 ―
殺人者の金縛りが解かれて
自由となった勢いも手伝って
加瀬はキャスケットに詰め寄りたい衝動を覚えたが、じっと我慢し、目を伏せた。
ワンピースの女が恐ろしかったからである。
何より、
歪な卵
という言葉は考えれば考えるほど、彼のいた、
いることが許されていた世界を言いえて妙に
表していた。
その自問と反問に加瀬が陥る間に。
キャスケットは女の頬から指を離し
柔らかくほほ笑む。
「追加の仕事は、辛かった、ね。」
「私、は大丈夫です。
けれど。
…・頭を冷やしてきますね。
失礼します。」
そう言って、
女は加瀬に向き直り
加瀬は反射的に後ずさる。
彼に、彼女は姿勢と
すっ
と正して。
胸のたもとに左手を
その上に右手のひらを重ねつつ
深々と辞儀をして
踵を返し、病室入り口向こうの闇に消えると
加瀬の全身を蝕んでいた何かが
呪いのような恐怖が
ほどけて、彼は全身の力が抜けて、床にへたりこむ。
彼に、キャスケットが苦笑をした。
「すいません、ね。
世間知らずな子なもので。」
「…大丈夫、です。
が、とても、恐ろしい人、ですね。
あなたの部下は。
…あなた、も。」
キャスケットは柔らかく口角を上げ
加瀬の前にしゃがみ込んで、
彼と目線を合わせつつ、言う。
「一年前に、お受けしました依頼は完了しました。
大変お待たせしましたが。
今のご気分は、いかがですか?」
…一年前という言葉と、男の柔らかい微笑み。
黒髪の向こうの瞳に宿る、優しい光に。
加瀬の脳裏に
一年前。
早朝の京成本線の踏切を思い出す。
…飛び込める気がした。
一歩を踏み出そうとしたとき
声をかけられたのだ。
この悪魔に。
「…死にたいんです、ね。
どうせなら。
貴方を追い詰めた人の、生殺与奪を握ってから、
つまり、
貴方の思うがままに楽しく屈服させて、から。
死にたいなら死にませんか?」
そう言って、キャスケットの悪魔は、加瀬の目の前で
ポカリの青の缶を粉々に砕きつつ、続けた。
「…それからでも、遅くはありませんよ。」
それから一年。
柴崎は死んだ。
加瀬は生きている。
その事実に、卵男の口元から、
ぽつり、と自然に声が漏れる。
「…最悪な気分だ。
あなたたちは、よく、こんなことができるな。
僕は、あなたを軽蔑する。
それは、心から。」
キャスケットは再び苦笑する。
「…それでも。
僕は貴方に生きてほしいです、よ。
柴崎さんと、貴方の演奏は素晴らしかった。
ああいう音楽を
受け継いでいる
のは、もう、加瀬さん。
貴方しかいませんし。」
…その時。
加瀬はその脂肪に満ちた胸に。
空洞を覚えた。
「僕、は。」
キャスケットは、優しく、柔らかくほほ笑む。
「分かりますよ。
…寂しかったんでしょう。
それは、とても。」
加瀬の胸の中で、再び何かが解け
弾け
潮のような何かとなって
結局彼は号泣する。
彼に。
柔らかくほほ笑みかけつつ。
キャスケットは言う。
「…たくさん、泣いてください。
それが、今後の貴方の力になるでしょうから。」
その声はとても優しい。
それはまるで、
雅なる音楽のように。
…加瀬は号泣を続ける。
それはまるで、胎から出た赤子のように。




