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4-4 慟哭

「柴崎さん………柴崎、さん………しば、さき、さ、ん」

加瀬の口が勝手に動いて

壊れた蓄音機のように

ずっと柴崎

今となっては死体となり果てた彼

の名前を呼んでいる。

その卵男の目尻には

そのつぶらな瞳からは信じられないほどの、大粒の涙が

溢れ、

両方の頬を絶え間なく伝い続ける。

鼻孔からは鼻水が

口のはしからはよだれがあふれかけている。


うちにも。

穢胡麻の腕の中で、

柴崎の亡骸は、死後の硬直を開始し、

その帯びる熱量も大気に拡散し、奪われていく。

冷えていく死体。

もう、


もどりようがない


事を確認し終わってから、穢胡麻は彼の頭部をそっと枕に戻し

光の喪われた瞳

開いた瞳孔

に、手のひらをかざして、瞼を閉じさせる。


一連の事を終えてから

寝台を降り。

加瀬に、

柔らかく口角を上げて


「終わりました。」


というと。

言われた彼は、ゆっくりと。

その足を引きずるように

近づいてくる。


そのつぶらな瞳は大きく見開かれている。

眼尻からは涙がいくつもの筋を作っている。

口元が半開きになり、

唇のはしが震えている。


卵男は無言で、穢胡麻の華奢な両肩を

つかむ。

左右の二の腕に筋がはしる。

こめかみには脈が。

瞳孔も大きく開いている。

彼の唇が震えるたびに

普段は弦を押さえるその指先が

穢胡麻の細い肩

白いワンピースのラインに食い込んでいく。


のを。


穢胡麻は、

ゆっくりと

交互に視線を落とす。

その左右の肩

肉に食い込む加瀬の指にそって、いくつものしわや影ができている

ワンピースの肩のラインが、彼女の虹彩に映りこむ。

ので、殺人者はため息をつき、加瀬を見上げて、

その眉毛の八の字を

さらに八の字にして、苦笑する。


「…加瀬さんは。

とても、悲しいのですね。

悲しみに。

酔うことができるのは、


希望を帯びた



を編んで来られた証です、ね。」


彼女は自然に下していた腕を

肘を支点に外側から回すように

二の腕をまげて

彼女の両肩をえぐるようにつかんでいる

加瀬の両手の甲に、そっと触れる。


と、自然に彼の両手は彼女の肩からほどかれて

その手首は

穢胡麻の胸の前。

ちょうど、彼女が加瀬の両手首を、両手でその胸の前に

手繰り寄せる形となり、

改めて穢胡麻は加瀬を見上げつつ、首を傾げる。


「貴方も、死にたいのです、か?」


その声はとても静かだ。

荒いものはない。

興奮もない。

月の夜に、湖面に小石が落ちて

波紋が同心円状に広がる。

そんな静けさを伴う声、だ。


けれど。


加瀬は恐怖を感じた。

背骨が冷えていく。

奥歯の震えが止まらない。


加瀬に視線を真っすぐ合わせる

その殺人者の瞳

虹彩には、



が宿っていた。


…硬直を続ける加瀬に、穢胡麻はため息をつき、口を再び開く。


「貴方の死は美しくありません。

私は今、貴方を(あや)めたら、あまりの醜さに嘔吐を覚えるでしょう。

けれど、貴方は大切なお客様ですし。

我慢も必要なのかもしれません。

それで、どうなさいます、か?」


穢胡麻の問いに、やはり加瀬は答えることができない。

金縛りにあったように、全身が硬直している。

呼吸すら、できない。


穢胡麻は、その姿にその細いが自然な眉をしかめる。


「お答えに至らないようでしたら。

私が変わりに、答えて差し上げます。

…これは、私の慈悲です。」


彼女はそう言って、柔らかく口角を上げ、

その両手を

乗馬で騎手が手綱を


くいっ


とするように、軽く振ろうとしたと刹那。


「はい、そこまで。」


と、病室に声が響いた。


その声は穏やかだが低く、有無を言わせないものがあり

その声と共に、加瀬の金縛りは解ける。


入り口方向から、長身の人影が現れる。

大ぶりのキャスケット。

黒い前髪は長く、その顔面を覆っている。


彼はそのままつかつかと

穢胡麻と加瀬に接近し

割り入って

彼女の両手を、加瀬の手首からほどきつつ、

柔らかく言う。


「駄目だよ。

穢胡麻さん。

お客様は大切にしないと。」


穢胡麻はキャスケットに向き直り

その黒髪の奥の瞳を見上げて、言う。



「先生。

…すいません。

ちょっと、いらっとしてしまいました。。

この方の…。」


そこで彼女はうつむき、口ごもる。

そのシルエットに暗殺者の威圧はない。


キャスケットは苦笑をする。


「分かる、よ。

加瀬さんの慟哭(どうこく)が、

忌麟さんを亡くした時の僕らのそれに、似ていたから、だろう?」


「はい。

似ていました。

一人を死に追い込んだ、それだけなのに。

それだけで。

私、たちと同じ…」


キャスケットは、暗殺者の女の黒髪を

ぽんぽんと叩く。

その叩きかたには、優しさがこもる。


「穢胡麻さん。

違うよ。

死の(いた)みに

(とうと)いも(いや)しいもないんだ。

(のこ)された者がどういう者であろうと

その魂を等しく(えぐ)る、

それが死の喪失(かなしみ)というものなんだよ。

そして。

そういう物も含めたものが、さ。

僕らの仕事なんだ。」




















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