少年兵士と初めてのお使い
岬を襲った寒気はとどまることを知らない。
彼の背骨から神経を伝って四肢、心臓、肝臓、肺、膀胱、あらゆる器官が浸されていく。
それは具体的な質量を伴った漆黒の霧のようなもので、岬は眼の前のテーブルに肘をつき、前腕をのせ、両手の指を組み、その感覚に耐える。
やがて寒気が視神経を伝い網膜を満たすと、視界は黒く覆われ、現実感と共に細胞から熱量が喪われていくのを感じる。恐怖を超えた恐怖と共に、はるか昔一度だけ体験した金縛りを思い出した。
意識はある。
しかし動けない。
体と意識が隔絶されている。
感覚だけが鋭敏であり、静寂が圧迫の壁となり意識に迫る。
恐れと焦燥。
終わりの見えない時間に、岬は蹂躙される。
ふと、手のひらに温かさを感じた。
とても柔らかな温かさで、鼓動と命、あるいは慈悲のようなものを感じ、彼の視界は霧が晴れるように回復する。
白亜の天井、時を刻む掛け時計、窓から向こうに広がる岐阜の街並み、暖色の夜景。
岬を覆う空間を満たす気体に、温かさが戻った。
テーブル。
その向こうには穢胡麻。
微かに歪めた目元には戸惑いが宿り、その細い腕の先、両手のひらは、岬のごつごつとした右手を包むように握っている。
瞬間、岬の脳裏に粉々のSDカード、音無く走る亀裂といった映像が恐怖として甦り、叫びたいに動が襲われる。
彼女の柔らかな両手を全力で振り払いたい。
それは具体的な恐怖と共に。
……それでも、矜持が押しとどめる。
彼を悪感と混乱と恐怖から、引き戻してくれたのは穢胡麻だと認識していたし、それは間違いではなかった。
ただ、どうしようもない震えが全身を走り続けている。そんな岬に村の女は口角を上げ、呼びかけるようにささやく。
その声はか細い。
「岬さん」
「………」
「岬さん」
「あ、ああ」
「大丈夫、ですか?」
「あ、ああ。問題ない。少し驚いただけ、だ」
「ごめんなさい」
「……何が、だ?」
「こわがらないでくださいね、と言いました。こわがらないことが無理なことは、わかっていました。それでも、私は貴方に期待してしまいました」
「いや。気にしなくていい。動揺したのは俺に非がある。しかし。質問がある。訊いていいか?」
「はい」
「何故、俺なんだ?あんたの実力なら。あんた一人で、足りる、だろう?肝には自信がある俺を、簡単につぶしたんだ。うぬぼれではないが柴崎を拉致するより、難しいことだ」
穢胡麻はその問いに黒めがちだが細い瞳を、微かに大きく開いてしばし沈黙し、やはり微笑みつつ首を傾げる。
「さあ。どうしてでしょう?私は少年兵ですし、村の上層部の決定の理由をうかがい知ることはできません。ただ、私については。これは、初めてのお使い、なんです。社会勉強といっても良いかもしれません」