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3-29 要望

「とりあえず、落ち着いて話すために。」

先生、と自らを名乗った保育士は岬の肩に注視した。

次の刹那には、保育士は岬の肩を軽くつかんでいた。


複雑に骨折をしている腕である。

肩の骨も折れている。

岬は激痛の錯覚を覚えた。

眉をしかめる、が、次の瞬間には唖然(あぜん)とする。


痛みがない。


保育士はそんな彼に構わずに

岬の右腕全体

右肩、上腕三頭筋、肘、二頭筋、手首の先まで

ぱん

ぱん

ぱん

と、はたき続ける。

そのたびに、腕の質量が、空気中に拡散していくような感覚を覚える。

一通りの作業を終えて、保育士は静かに言う。


「痛みと疲労の


感覚


を取った。

昼頃までは痛まないだろう。

礼は言わなくていいよ。

君と話すために、必要だったからしただけさ。」

「そんなことが、できるのか。」

「まあ、ね。

中国古来の技術だよ。

主に拷問用でね。

昔の人はこれで、拷問相手を生きたまま刻んで

目の前で青椒肉絲を作って食べさせたりしてたもんさ。」

「あんたも、刻む、のか。」

「趣味が悪いからね。

一度しかしたことがない。

…ああ。

安心してくれ。

君を


刻む


つもりはないよ。」


…恐怖。

が、岬の全ての体細胞を浸し(むしば)んでいく。

保育士はそんな彼に苦笑をする。


「とりあえず、歩こうか。」

「ああ。」


岬は従うしかなかった。

その太い背骨全体から沸き上がる恐怖は

走り出すこと。

全力で逃げること。

あるいは不意の一撃をくらわすこと。

あらゆる防衛反応が主張を叫ぶが、

岬は。

それが、無駄であることを知っている。


保育士は彼にゆっくりとうなずいて、

踵を返し

岬が後を歩きだすと

自然と彼に歩調を合わせて

連れだって藤沢駅に向かう形になる。


「まず。

君の不安を解消したいんだが。

村は君の仕事に感謝している。

敬意も払っている。

僕らの望みは、この街で柴崎さんを引き取ることだった。

指に傷なしでね。

それさえ成し遂げてくれれば、手段や過程は問わない。

これは初めに穢胡麻さんが伝えた通りだ。」

「そうか。

それは、ありがたい。」


…本当にありがたかった。

先生、という保育士が現れた時点で、柴崎について、岬も気づかなかった何かが

発覚したのかと思ったからだ。

それは穢胡麻も失望させる。

先ほどの別れの達成感は、

少なくとも無意味とか見当はずれではなかった。

ということは。

この男が現れた原因は、一つ。


「うん。

違うよ。

いや、そうかな?

今回の案件に関して、穢胡麻さん、あの子はいくつもの禁忌を破った。

黒手会に事前に情報を漏らしたり、

サイトを用意して君に個人連絡用のメールアドレスを伝えようとした。

他にいくつもの何かをしてるのだろう。

あの子は、本当に自由人だからね。」


二人は朝のアスファルトを歩き続ける。

速くも遅くもない。

朝の街の静かな喧騒が、岬にはとても遠く思える。

そんな彼に構わずに保育士は目線を遠くして続ける。


「…まあ、うちの村の自由人はさ。

あの子だけじゃない。

むしろ、自由人しかいない。

みんな大なり小なり、好き勝手に禁忌は犯す。

もちろん禁忌を破ったら罰がある。

けれど。

案件を達成したら。

報酬もあるし。

その報酬で、禁忌の罰則は相殺(そうさい)される。

みんな大体そうやってるんだ。

うちは実力主義の、意外と(ゆる)い組織だからね。」

「では、なぜ。」


岬の問いに保育士はため息をついた。


「穢胡麻さんが案件の成功による禁忌の相殺を拒否した。

代わりに要望を出して、受理された。

あの子はあんなんでも、村でも上位に入る強者の一人だからね。

少年兵とはいっても、強者の論理は最大限優先される。

うちは、そういう組織だからね。」


…要望、という言葉に。

岬の脳、記憶中枢を、彼が渡った夜

穢胡麻に関するあらゆる事象が駆け抜けた。

彼女が彼に投げかけた言葉。

彼が、彼女に 。


…岬の顔面から血色が引いた。


彼に、保育士はうなずく。


「察しがいいね。

その通りだよ。

君が彼女にお願いした


わがまま


を聞くために、彼女は禁忌の代償を払う羽目になった。

けど、それでも彼女は強者だからね。

村としてもためらいがでる。

そこで、あの子の保育士である僕に、処分が(ゆだ)ねられたわけさ。

この案件のコーディネートは僕だからね。

もともとの責任は僕にある。

業者として君を選んだことも、今は後悔している。」


二人は信号で止まった。

一区画行けば、藤沢駅の空中歩道に続く階段のたもとにたどり着く。

もう先に見えているのに、とても遠い。


保育士が岬を見る。


「…話の続きを聴きたいかい?」

「ああ。」


岬は返事と共にうなずき、保育士はいくつものビルに切り取られた

青空

灼熱の兆しに揺らめきつつある青空を見上げる。


「つまり、君を選んだ僕が不始末の責任を取って

君の命を摘むか。

彼女に罰則を適用するか。

最終的な判断を、僕がする羽目になったこと、がね。

今、とても辛い。」


保育士は淡々と。

それこそ


今日の午後は雨らしいね


とか、天気の話でもするように言ってから、

岬に首を傾げる。


「…君は、どちらがいいと思う?

こういうのはさ、当事者の要望を聴くのが一番だと

僕は思っているんだけどね。」



















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