3-18 指
「俺は黒って言うんだ。」
「…。
…っ!」
みぞおちを抱えて、柴崎は悶絶する。
部屋は薄暗い。
爪先の尖った黒のブーツの先が彼の視界に映る。
黒は彼のかたわらにしゃがみ込む。
「けっこうさあ、あんたの
ブランド価値にあわせてさあ、
いい服をあつらえたんだぜえ。
膝とか床につくなよな。
もったいない。」
黒はとうとうと、しゃべり続ける。
柴崎は息ができない。
様子に、黒はため息をつく。
「まあ、経費ってことで、柳川さんに請求するからいいんだけどさあ。
で、改めて。
俺は、黒って言うんだ。」
「…・俺は、しば、さきだ。」
柴崎は黒を見上げ
呻くように言い、
そんな柴崎に、黒は
にっ
と笑う。
「そそ。
挨拶は人間関係の基本だよな。
空気を読める人間は嫌いじゃないぜ。」
「…。
訊いていいか?」
「ああ。
俺はあんたが気に入ったからな。
何でも聞いてくれ。
かつ丼食べたいならセブンに買いに行かせるぜ。
あ、今立て込んでるからむりだわ。
風俗か?
エロいことしたいか?
こういう状況だと性欲わくよな!
分かるぜ俺もそうだ。」
「…柳川さん。は。
真凛の、父親の。」
黒は沈黙する。
じっと、穏やかに柴崎のくっきりとした二重の瞳を見つめる。
彼は微笑んで
その長い人差し指と親指の先を
柴崎の顎の下に引っ掛けて
くいっ
と上を向かせる。
「そうだよ。
なあ。
柴崎さん。
手がハサミの男の映画知ってるか?
じょにーでっぷが出てた。
シザーなんちゃらってやつ。」
「…古い、映画だ。」
「うんうん。
あのハサミ男俺に似てるだろ。」
「…言われれば。」
黒は柴崎に屈託なく笑いかける。
「俺でっぷ好きだからさ。
似てるっていわれっと嬉しいんだわ。
でさ。
あの映画も好きでさ。
永遠の愛、みたいなものが描かれているんだよなあ。
何回みても泣けるし。
で、柳川さんも。
永遠の愛なわけだ。
娘さんにな。キモいくらいな。
…手を出した女が悪かったな。」
「…そうか。」
「ま。
でも、会ってみたらそこまででもないかもしれない。
話してみたら誤解が解けるかも、なあ。
でも、さ。」
そこで、黒はとても意地の悪い笑いかたをする。
ので、柴崎は背筋の神経を、氷水が垂れるような感覚を覚える。
そんな彼に構わずに、黒は続ける。
「あんたをさらった、あの男とヤツの連れは駄目だ。
柳川さんじゃない。
もっと別の誰かが依頼をかけた。
しかもさ。
依頼をかけた相手てのが、ヤバイ。
俺らが
守り
に追い込まれている。
メンバーも今晩だけで6人、最低は死んでいる。」
柴崎は、泡を口のはしから吹いて倒れる岬の剥かれた白目を思い出しつつ言う。
「あの大男は、あんたらが撃ったんじゃないのか?
虫の息になっていた。
死んでいるかもしれない。」
「…俺らが撃ったよ。
で、撃った奴等は全員別のやつに殺られた。
ほそっこい、ワンピースの三十路女だ。
でさ。
これから、十中八九、その女と俺らはガチバトルだ。
あり得ないだろう?」
「ああ。
信じがたい。」
「だろ?」
黒は笑って、懐から小箱を取り出す。
「で、ここからは俺の親切だ。
もし、俺たちが負けたら、さ。
多分これより酷い拷問がウエルカムしてる。
今から慣れた方がいい。」
そう言って、黒は柴崎の喉をつかみ
小部屋の床に転がして
床の堅さに背骨がごりっと
いって
顔をしかめた瞬間。
黒は開いた小箱から画鋲をひとつ取り出して
柴崎の耳たぶに刺した。
じんっ
と、火を刺すような痛みと熱が拡がる。
痛み、よりも。
現実感。
岬という大男にさらわれ
次にこの黒ずくめ男、の手下にさらわれた。
手荒い扱いは受けなかった。
むしろ。
腫れ物でもさわるような、とりあつかい。
に。
現実感が喪失していた。
そもそも。
こんな現実離れした状況など、あり得ないのだ。
岬にさらわれた時の恐怖。
狙撃の恐怖。
色々な恐怖が重なり過ぎて
恐怖
という感覚が麻痺していた。
のだが。
ー これは、恐怖、だ。 ー
柴崎の口元は戦慄を始める。
姿に、黒は微笑み。
瞳と瞳。
まつげとまつげが触れあうほどまで接近して。
言う。
「そう。
これは現実だ。
ワンピースの女か、岬って大男が来たら
あんたには
酷いこと
が待っている。」
柴崎の頬に、黒の息が生暖かくかかる。
のと裏腹に、
背筋が凍る。
「逃げたい、か?柴崎さん。」
「ああ。
助かるのなら。」
黒は再び
にっ
と笑って、柴崎の脇に両手をはさみこみ
彼の体のほこりをはたいて払う。
「…なら、教えてやるよ。
俺たちは、柳川さんから。
あんたの指は傷をつけるな、と言われている。
かなりきつく。
まあ、あれは執念かもしんねえ。
で、さ。」
そして黒は首を傾げる。
「大男とワンピース女。
あいつらに依頼だしたヤツも、同じ注文してんかもしんねえ。
なんか思い当んないかな。」
…柴崎の脳裏に、
自らの指先を確認する、大男の眼光をがよみがえる。
その瞳と口元には、切迫した何かがあり。
人をさらうという状況にしては、念入りとか丹念とか、
もっと言うと執念という言葉が似あう
時間と手間のかけ方に。
柴崎の胸には違和感が芽生える。
― そもそも一番初め。
あの男は俺の指に、ビニール手袋をかぶせ… ―
「どんぴしゃだろ?
かぶるんだよ。
あんたを恨む柳川さんと、ワンピース女に頼み込んだ馬鹿野郎は。
しかも、並大抵じゃねえ。
一晩で6人殺す奴らに頼み込む、やつにあんたが渡ったら、どうなるだろうなあ?」
黒は悪戯っぽく笑う。
とても楽しそうだ。
まるで悪魔の高笑いだ。
耳が熱い。
痛みが。
首筋を伝って、全身に震えが走る。
そんな柴崎の両肩を、黒は軽く、ぽんぽん、と叩く。
「そんな怯えなくていい。
ただ、やることさえ分かってりゃ、そこまででもない。」
「…どういうことだ?
何ができるんだ?
あんたたちの話が本当なら、ワンピース女が来た時点で
俺は終わってるんだろう?
そもそもあんただってこん…っ!」
柴崎は再び悶絶する。
みぞおちを、宗教者が祈りをささげるように抱える。
つむじを見下ろして
黒が呟く。
「みっともねえのは嫌いなんだ。
取り乱すのは構わないけどさ、
人の話はきける感じじゃねえとな。
…で、簡単なことさ。
できることも、やんなきゃなんないことも、な。」
「何、を、するんだ?」
「あいつらが、一番嫌がることをすればいいんだよ。
指に気を使ってんなら、指を切り落としてやればいい。
目の前でな。
目の前、てのがポイントだ。
分かるか?
ワンピース女、ひょっとしたら岬って大男がここにきて
あんたと顔を合わせる
ってことは、
俺らは死んでる。
全滅だろうな。
あんたは抗いようがない。
だからそん時に、このナイフ、ああ、アーミーナイフだからな
なかなかの切れ味だ。
つまりすっぱ
とやってくれる。
これで小指でもさ、目の前で切り落とせば
やつらは一瞬とまる。
止めれれば、その隙に逃げれる、かもしれねえ。」
黒は、柴崎にとうとうと語りつつ。
― その一瞬に俺が仕留めるんだけどな。
それをは、こいつは知らない方がいい。
眼の動きでばれるかもしんねえ。 ―
と思う。
彼を前に、柴崎は、無罪の罪で死刑宣告を受けた神父のような。
理不尽と絶望をその眼に宿す。
口元が震えてしわを作る。
「俺は、音楽家、だ。
この手は、指揮棒を振る、ために必要なんだ。
それを、壊せって、いうのか?」
黒は、優しくほほ笑みかける。
「…専門家は好きだぜ。
ぷらいどがあるからな。
で、そのぷらいどを抱えながら、拷問されて死ぬか、
指とかぷらいどとか人生を捨てて生き延びるか、はさ。
あんたの勝手だ。
時間はまだある。
ゆっくり、考えればいい。
鍵はかけとくぜ。」
黒はそう言って、ゆっくりと
大ぶりのアーミーナイフ
暗い光を宿すその刃と柄を、テーブルに置いて、踵を返す。
― そう。
この時間。
考える時間、がさ。
一番の拷問なんだよなあ。
大概の人間は、これで、とち狂う。 ―
口元に、悪戯っぽい笑みをうかべつつ
黒は入り口で柴崎を振り返り
手を軽くふって
ドアを閉めて、閂をかけた。