3-16 わがまま
穢胡麻は胸を打たれた。
岬の覚悟と矜持に。
彼が来たという事実ではない。
事実から、にじむ何かに。
― もしかしたら。
忌麟が先生の料理を完食するたび、
先生は、あの子に胸を打たれた、て言ってたけど。
もしかしたら。
こんな、気持ちだったのかも。 ―
…ちなみに忌麟は穢胡麻の友であり、故人である。
彼女を瀕死に追い込んだのは穢胡麻であり、止めをさしたのは彼女の師匠であるが、
ここで詳しく語る話でもないので、気になった方は番外編をお目通しいただきたい。
彼女の胸と頬はとても熱くなり
油断するとその細く黒めがちな瞳の端が潤みかけるので
代わりに、頬をゆるめてはにかんだ。
「逃げても良かったのに。
怖かったでしょう。
ここに来たら、私の手にかかるかもしれなかったのに。」
岬は穏やかに応える。
「逃げたら、あんたが追いかけないといけなくなるだろう。」
「そうですね。
岬さんが永遠に逃げてくれたら。
私は、永遠に、岬さんと追いかけっこができますね。」
いたずらっぽく、穢胡麻はその細い片眉を上げる。
合間にも、頬の紅潮は止まらず、
彼女はさらに、自らの発言に羞恥を覚えて、
最終的に、ゆでだこのようになり、
頬に手をあててうつむく。
彼女の美しい黒髪にうずをなす、つむじをみおろしつつ
むずがゆいものを覚えながら、岬は再度、今度は落ち着いて倉庫内に視線をこらす。
― 何というか、凄惨な現場で、場違いなことこの上ない。
というよりも。
確認を必要とすべきことは、目白押しだ。 ―
「穢胡麻さん。」
「はい。」
「この男は、柴崎ではない。」
岬はコンクリートに手をついて、嘔吐を続ける萩沢を指さして言い、
穢胡麻はうなずく。
「そのようですね。
把握できました。」
「驚かないんだな。」
「黒手会さんは、ポーカーがお得意そうですから。
あまり不思議はありませんね。」
「そうか。
で、確認だが。
中に、柴崎らしい男はいたか?」
穢胡麻は上空。
まだ朝の気配が見えない夜空をみあげる。
星がいくつか、明け方も近くなって、熱がいささか引いた大気に煌めいている。
しばらく考えこんでから、岬に首を傾げる。
「柴崎さんは、武に長けていらっしゃいますか?」
「いや。素人中の素人だ。
喧嘩はおそらく、そこまで弱くはないが。
武といえるものは欠片もない。」
岬の言葉に、穢胡麻は安堵のため息をつく。
「良かったです。
私が処理した方々には、どういう形であれ、武の礎がありました。
あ、岬さん。
あなたに似ている方もいらっしゃいました。
とても誠実そうな、方で。」
「念のため確認したい。
あと、そうだな。
穢胡麻さん。
わがままを聞いてもらっていいか?」
「…はい。私が受けれる事なら。
いくらでも。」
穢胡麻はそう言って、岬に微笑みつつ、うなずく。




