3-15 地獄
林道の闇の向こうから、白色の点が2つ横並びに接近してきた時、
岬は襲撃を警戒した。
黒手会による迎撃。
茅ヶ崎の市街地はともかく、
本拠地近辺なら、さすがにばれる。
― 体当たりか、銃撃か。
どちらにせよ、避けなければならない。 ―
岬がハンドルを切るべく
手首の先の握りを柔らかくすると、
その車輛。
黒塗りのジープはあっさりとすれ違い、そのまま後方の闇、その向こうの住宅地に消えていった。
ので。
岬は息を軽く吐く。
のを見逃さずに、隣席の三橋が言う。
「ほっとした、だろう。」
「ああ。」
「ほっとするてことはさ、あんた怖がってるってことだろう。
今からでも、遅くない。
引き返して、罪を償うべきなんじゃないか?
人として。」
「俺はいつも怖がっているし
今回は何もかにも駄目だ。
だが、依頼主に借りは返す。
そのために向かってるんだ。」
岬は静かに言い放ち、三橋はそんな彼にため息をついて、言う。
「そういう意味じゃない。
分かるかなあ。
あんた、俺って警官の前で、二人殺したんだ。
人を殺したんだ。
その時は夢中だったってのは分かる。
けど、今は違うだろう?
怖いだろう?
もうぬぐえない事実だ。
だけどさ、償うことはできる。」
「…あんたさ。」
「うん?」
「おまわりさんより、神父さんの方が向いているよ。」
岬はそう言って、一瞬両手をハンドルから放し
手提げから脱脂綿と薬瓶を取り出して湿らせ
三橋の鼻に突っ込む。
彼の反応は分かっているので、確認はしない
うっ
と三橋は呻いて、
サイドミラーに肩から脱力する。
意識はない。
クロロホルムをかがせたからだ。
― 恐怖に委縮している時は、神妙だったが。 ―
江の島から茅ヶ崎までの道中の三橋。
岬による身の危険が当面ないと悟ると
とたんに雄弁になる、その調子の良さに
岬は呆れたし、とてもうっとおしく思った。
が、この警官の協力が必要だったし。
別の警察車輛とすれ違う時は、彼が
「騒ごうという気配を感じた時点で。
あんたの事は処理する。
向かいのおまわりさんも、な。」
というと、とたんに沈黙してくれたので、それはありがたかった。
― できれば、始末はしたくないが。
まあ。
黒手会がほっといても、殺すだろう。 ―
林道を抜ける手前で脇に停車をし
萩沢を後部席から抱えだしながら、岬はそう思った。
狙撃を警戒しつつ
事務所前に向かう。
萩沢には先に歩いてもらう。
彼らを目に止めるものが、事態の把握に一瞬止まってくれればいい。
と、岬は思う。
…結局、狙撃も何もなく。
事務所前のスズキの軽。
穢胡麻の先着を確認して、岬は息を軽くはきつつ
事務所隣の倉庫に視線を投げる。
微かに灯りが漏れている。
声はしない。
白熱灯をともすモーター音のような音が、わずかに響いている。
― 十中八九、この中だ。 ―
狙撃がこれまでないこと。
過ぎ去った車輛。
― つまり戦闘は終わった。
が、沈黙の中で継続している可能性もある。
このシャッターを引き上げるべきか。
否か。 ―
シャッターの前で仁王立ちする岬の脳裏を、
即殺の理という言葉が反響する。
― 覚悟は決めたはずだ。
そもそも、穢胡麻さんがいなけ… ―
不意に、シャッターを構成する鉄のかたびらに
斜めに亀裂が入る。
一瞬の間をおいて、90度、初めの亀裂に直角に。
やがて次々と。
最終的に、粉々に砕け散る。
落下する鉄の欠片。
粉塵。
の向こうに。
穢胡麻は立っていた。
背を
すっ
と伸ばし、凛とした姿勢で。
変わらないワンピース。
息も弾んだ様子がない。
けれど。
岬を目に止め、見上げて。
硬直し。
その陶器のような白い頬に、朱が淡くさす。
「わ。」
細い腕をぱたぱたと振る。
「なんで、岬さんここ、なんですか?」
岬を見上げて慌てる彼女は
どちらかと言うと、
シャワー上がりにバスタオルを体に巻いて出てきた時に
たまたま鉢合わせた、
とでもいうような状況を彷彿とさせる驚き方をする。
彼女に、岬は穏やかに語り掛ける。
「すまない。
暗号の連絡先にアクセスしたが、通じなかった。
どうしても、伝えなければならないことがあった。
だから、きたんだが、俺は、どうなる?」
穢胡麻は、きょとんとして、それから柔らかく
その頬を緩めて、苦笑する。
「大丈夫ですよ。
理にあたるのは、殺める、瞬間です。
もう、終わりました。」
「そう、か。」
岬の額に、汗がどっと噴き出す。
汗は脂を帯びている。
彼の隣で、萩沢がコンクリートに身をかがめ、嘔吐する。
ガレージの向こうでは。
地獄の絵図。
そもそも地獄というのは、生易しいのかもしれない。
倉庫の壁一面は、赤黒いペンキが塗りたくられていた。
人の形を成していない
肉と骨の塊が、壁際にうずたかく
つまれている。
彼らは毒餌によじれる油虫のようなよじれ方をしている。
骨が腕が足が、腹が裂けて千切れている。
肋骨が脇腹から突き出ている。
服がはだけていないものはまだ、それでも原型がある。
半分は、下半身がはだけて、
失禁。
糞便やら、千切れかけの睾丸からしみでた粘液やらよだれやら血液やら涙が一緒くたになって、
人間だった尊厳
が、欠片もない。
一様に白目を剥き
いくつかは鼻骨が脳にめりこみ脳漿がクリーム色に沁みだしている。
口だった場所からは、胃袋が、浜にあげられた深海魚みたいに
ピンク色にはみ出して膨れている。
とても丁寧に、あるいは無造作に。
人を人ではなくした
50を越える肉塊。
ただ、手首から先だけは。
どれも一様に傷がなく。
その傷の無さに異常と異様を覚える。
― 岐阜で。
穢胡麻さんに、恐怖していて良かった。
あれが、なければ、とても怖がって、この人を傷つけるところだった。 ―
と。
岬は胃からこみ上げる胃液を抑えつつ、思った。




