3-5 無機物
「双葉の兄貴。」
「来たか。」
「来ましたけど、女じゃねえっす。
めっちゃごっついっすよ。」
と、言いつつ、ちび助はジープの後部に背を預け
三橋はその姿を、這いつくばって見上げる。
― その両手は背中に回されて、手首は手錠で羽交い絞めにされている。―
警察車輛のライトはパンチパーマが消していたため
シルエットしか見えないが。
その影に三橋は昔みた探偵のドラマを連想する。
「無印おばさんじゃねえのかよ。
がっかりだな。
お前期待してたろ。
変態だから。」
パンチパーマは警察車輛のフロントに腰を預けて、
相変わらず、スラックスの肩に腕を回している。
ちび助は視線をジープの向こうからずらさない。
「変態っちゃあ変態っすけどねえ。
ほそっこいのは趣味じゃないっす。
一応、ヤク用クリームは持ってきましたけどねえ。
奴隷にできるなら、できるに越したことないし。」
「そういうハッソウが変態なんだよ。」
双葉の言葉には笑いが含まれている。
とても楽しそうだ。
三橋は、警官の前で不謹慎だと思う。
― 危険薬物所持で
逮捕。
逮捕しなければならない。
のに。
・・・・死にたく、ない。―
そもそも彼は地べたで背中に両手を手錠であり。
動くこともままならない。
彼をそういうふうに転がしてから後は
ちび助と双葉の二人は、一切の興味を彼に示さない。
…ちび助という男が、腰にナイフを構えている。
向こうからくる人物を刺すつもりだろう。
声をあげたい。
やめろと叫びたい。
けれど。
声を出して、男たちの注意を再び、
ひいた瞬間
自分が先輩と同じ死体になることを
三橋は分かっていた。
彼の苦悶は続く。
―見慣れた農道が、別の世界みたいだ。
何だろう?
とても絶望に溢れている―
三橋の喉に嘔吐がこみ上げるが、彼は必死にこらえる。
遠く離れた国道には、薄い光が溢れている。
車騒の音も微かに届く。
距離的には大して離れていなはずなのに、とても、絶望的に遠い。
…・潮をはらんだ浜風が、時折生暖かく
岬の頬をなぜる。
― しかし。
なかなかキツい状況だな。
だが絶望ではない。―
そう思いつつ
岬は硬く重い手袋をかぶせた片手のひらで
暴風から顔をかばうような姿勢をとって
ジープに向かって伸びる農道を、大股で進む。
細い農道を黒い車体が斜めに塞いでいる。
おそらくというより確実に
車体の影には黒手会が待ち構えている。
昏倒の前に潰した車には、二人乗っていた。
車体の向こうにも、二人
以上
いるだろう。
柴崎も質にとられている。
指は傷つけてはいけない。
条件的には最悪だ。
が。
それでも。
― 穢胡麻さんは、俺を信頼してくれている。 ―
岬の分厚い胸には、揺るがないものが生まれる。
その感覚を静かに受け入れつつ
岬は黒い車体のたもとにたどり着き。
― 右から、とか左から、とか、迷っている
と考えているのだろうな ―
と思いつつ
深く息を吐く。
どちらから回っても
車体と農道の隙間はほぼなく
足元も不安定で
かといって田んぼに落ちればさらに身動きが取れない。
条件は非常に悪い。
ので。
岬はその巨体を
ジープの前に右足を一歩を踏み出して
かがみこみ
岩のような右肩を当てる。
シャーシを下から握り
足首を固めて前方に力む。
…脛
太もも
腹
肩
腕
首
の全身と
こめかみに太い血管が走る。
と。
音もなく。
分厚い車輪が浮き上がり
車径2・5mの車体が斜め前に傾いて
どうっ!
と細かい石と土からなる
煙をあげて
横倒しになる。
瞬間。
津波のようにうず高い山となって
覆いかぶさってくるジープに
ぎょっとして
ちび助は後ろに飛び退り、
体を半身に構えて
姿勢を立て直し終わったちょうどその時。
黒い塔。
巨岩を無造作に、地獄の賽の河原のように積み上げたような、黒い塔。
のような。
モノが、彼の前にそびえていた。
ソレがヒトだと分かるまで、モヒカン頭は一瞬の間を要した。
それほどまでに、そのヒトは巨大で。
月光を背に、闇で覆われた顔面を、手のひらでかばう隙間からのぞくその視線は
あくまでも静かで。
まるで無機物のような光をともなって
ちび助に注いでいる。