3-4 論理
「柴崎さんは、勇気がある方なんですね。」
「勇気、か。」
岬に小さくうなずいて、穢胡麻は輪っかの開いた手錠をつまみ上げた。
月光に鈍く煌めいている。
「昏倒している岬さんの服を調べて、鍵を探しだす、行動力。
見つけ出す手際。
勘の良い方なのでしょうね。
怖がって逃げ出すのは自然ですが。
有能な怖がり方です。」
― 褒めているのかけなしているのか、分からない。―
と、思いつつ、岬は相槌を打つ。
「確かに、度量はある男だ。
人好きもするし、悪い男ではない。
無論、今晩の荷、に過ぎない人間だが。」
今晩の荷に過ぎないという言葉を付け加えるのを
岬は忘れなかった。
柴崎が逃げ出す瞬間を、村からきた彼女は見ていない。
つまり、
情にかられたり、あるいは何らかの取引を柴崎として
手錠を外して逃がした
後に狙撃を受けた。
と思われても、岬は否定ができない。
あるいは、柴崎の指が傷ついて
証拠を隠滅または責任を黒手会に押し付けて軽くしようとしている
と疑われても、否定の材料がない。
つまり、撃たれて昏倒し、柴崎が手錠を外して逃げた時点で
岬はほぼ、
詰んでいる
のだけれど。
そんな岬に、穢胡麻は苦笑をする。
「大丈夫ですよ。
私は岬さんを疑っていません。
というより。
…説明が難しいのですが。
先生の言葉を借りるなら
私は
真眼
を持ってるので。」
岬は首を傾げた。
「真眼?」
「眼が良いのです。
動体視力もですが、視覚からくる情報から
状況を推し量る速度と精度が。
高い血脈なので。
分かりやすくいうと、
何が、どういう仕組みで起きていて
これから何が起きるのか
そういう
物事の真実が分かる人間なのです。
つまり。」
「俺が嘘を言っているかどうか、分かる。
敵意や、その他も。」
「そんな感じです。
私のご先祖様は民話にも出てます。
サトリという妖怪として。」
後部がほぼ潰れているクライスラーから
スズキの軽に移動して
穢胡麻がエンジンをかけ移動を開始する間
彼らはそんな会話をする。
この会話の中での、真眼のくだりは、岬には、にわかに信じがたい話ではあったけれど
これまでの彼女の言動から
納得できるものがあった。
何より。
岬は穢胡麻を信頼している。
命を救われている。
そのため彼は彼女を全く疑わない。
軽に乗り込み、厚い肩で穢胡麻を圧迫しないようにと
肩をできるだけすぼめながら
岬が
「そうか。
納得した。」
というと、
穢胡麻はとても嬉しそうにほほ笑んで、
「ありがとうございます。
納得いただけて。
…不思議ちゃんかと思われるかと、正直不安でした。」
と言うので。
何か、とてもくすぐったい感覚を、岬は背筋に感じた。
物騒な夜の物騒な道中に場違い限りない。
岬は軽くため息をつき、同じタイミングで、
スズキの軽は十字路に差し掛かり、静かに停車する。
「この先真っすぐ100mに、柴崎さんとおまわりさん。
あと、見えますか?」
穢胡麻がきくので、岬は目をこらすが、電灯がほとんどなく、
田園を覆いかぶさるような闇しか見えない。
「いや。」
「そうですか。
黒塗りのジープが一台、進行方向横に道をふさいでいます。
私の狙撃を恐れて盾にでもしているのでしょう。」
「つまり、黒手会か。」
「はい。
先を越されました。
けれど
動く様子はありません。
私を待っているのでしょう。
彼を人質にとって。」
「そうか。
…処理する数が増えたな。」
そういいつ
岬は小型モニターを
手提げの鞄にしまい込んだ。
穢胡麻はそんな彼に柔らかく口角を上げる。
「はい。
増えました。
彼らの処理と、柴崎さんの確保を、お願いします。
私はここであなたをおろして、分かれます。」
「分かれて、どこに向かう?」
「さあ、どこでしょう?」
…暗号文にあった。
即殺の理。
殺しの現場を見られたら、見た者を、その場で殺さなければならない。
その理から柴崎を守るには、穢胡麻は柴崎の前で処理することを避けなければならない。
よって岬が向かう。
その間、彼女はどこに行き、何をするか。
おそらく。
目撃されても、つまり殺しても構わない相手を、全員処理するのだろう。
敵が判明したのだから、その敵を潰す。
明解な論理にもとづいて。
簡単に言うと、
皆殺し
である。
岬は哀愁を覚えた。
それがなぜかは分からないまま
額に彼女の布を巻きなおす。
そのまま
軽を降りて
「行ってくる。
藤沢で待っていてくれ。」
と言って、ドアを閉めようとすると。
穢胡麻が運転席から岬を見上げるようにして
「岬さん。」
といった。
「なんだ。」
「…おでこの、雪だるま、とても似合っています。
可愛くて。」
穢胡麻は彼女の細い瞼をさらに薄く落として
ほほ笑み
岬は
「ああ。
俺も気に入っている。
じゃあ、後でな。」
とこたえて、スズキのドアを静かに閉めて
去っていく軽の排気音を目の端に
闇に向かって歩き始めた。