2-21 水中
黒は逡巡、考えを素早く巡らせる。
―聴こえていますか、か。
問いかけか。
会話が成り立つなら、俺のペースにも巻き込める
けど、さ―
彼は無線の発信スイッチを軽く握りつつ、声を出す。
「聴こえてるぜ。
あんたが、村、か?」
「はい。
村、から来ました。
穢胡麻と言います。
確認ですが、皆さんに私の声は届いているんですよね。」
「ああ。
で、何をしたいんだ?
交渉か?
悪いが俺らは手は引けないぜ。」
「いいえ。
交渉の局面は終わりました。
2月にお伝えした通りです。
『私はヌーベルバーグ東京の2日前の晩
この土地を通ります。
私は柴崎さんを運びます。
私の路を阻まないでください。
とても悲しいことですが、
阻まれた場合は、私はあなた方を全員、壊し滅ぼします。
これは私の、村、の意志です。』
と、お伝えした通りです。」
「ああ。
あの時はありがとうよ。
お手紙と、付け届けなんかな?
多々良木の首、は ありがたく受け取ったぜ。
首ってのはチャイニーズっぽいけどな。
村ってのは中国マフィアかい?」
「さあ。どうでしょう?」
「まあ、いいや。
で、わざわざ宣戦布告かい?
随分とお優しいんだな。」
「いいえ。
布告ではなく、お願いです。
…逃げて、下さい。
今すぐ、可能な限り遠くに。」
「逃げればあんたは追ってこないのか?
そもそもさっきから
一人称だけどさ、あんたは
ひとり
なのか?」
「初めの問い、から。
私はあなた達一人一人を順番に追うでしょう。
そして、あなた達全員を殺めるでしょう。
その結果は変わりません。
けれど、あなた方が逃げ出す時が、
早ければ早いほど
あなた方は遠くまで行けます。
1秒早ければ1秒遠くに。
1m遠ければ、1秒、あなたたちは長生きできます。
2つ目。
私はこの案件の担当です。
村として動いているのは、私一人です。」
穢胡麻という女の声に
ふざけたり、からかうような響きはなかった。
とても落ち着いた声で、事実を淡々と伝えている。
ただ、女の中の
事実が黒には不条理の極みで、
黒は笑いをこらえる努力を
したが、最後にはふきだした。。
「ふ、は。
ははは。
あ、あんた、ははは。
面白れえな。
じゃあ、全力で逃げるよ。
安心して追っかけてくれ。
ところで、この無線は
どこの誰から借りて使ってんだい?
貸した奴は
勝手に貸すなってさ、
とっちめないといけないけどさ
…もう死体かい?」
「はい。
お二人とも、先ほど私が処理しました。
…向かいの高台のお二人も、息はしていません。
ここから狙撃ましたから。」
「狙撃のもできるのか。
あんた、芸達者だな。
声もいい。
虐めたくなる、いい声だ。」
「そうですか。
もし、あなたが私よりも強いなら。
そういう機会もあるかもしれませんね。」
無線の向こうの声が、
ふっ
と柔らかくなったかと思うと
砂嵐のような、亡者のうめき声が絡まり合ったような
ぞっとしない音が無線から響いて
唐突に無線がこと切れた。
こと切れた、という表現が正しい。
赤の点滅を繰り返し、
その後、発信スイッチが入らなくなる。
黒は首を傾げて
助手席シート下から工具箱を取り出して
分解してみる。
受話部分がコードでつながる先の
半導体回路が赤黒く、焼け切れている。
―常識的には、たまたまなんだろうけどさ。
こういうのは、違うよなあ。
…穢胡麻という女は狙撃班から
無線を奪った。
それから、全員の無線がオンである事を確認して
交信ついでに、何かをした。
信号?
手段は分からない。
分からないことを考える意味もない。
結果、奴は俺たち全員の無線を
破壊した。
随分な性悪だな。―
ふと、黒の脳裏を、確認すべき事柄が浮かんだ。
狙撃班の無線を、性悪女は奪った。
無線を壊した。
壊すなら無線だけか?
班員には、連絡用のスマホも持たせている。
黒手会は非合法な割にはアットホームなので
―だと黒は思っていたー
ラインでつながっている。
黒は手元のiPhoneに視線を落とし
それから
ちっ
と舌打ちをした。
液晶が赤く点滅をして。
それから唐突に、電源が落ちる。
念のため電源を入れ直そうと試みるが
もちろん何の反応もない。
穢胡麻という女は、
村から一人で、きている、と言った。
対する黒手会は50人を超える。
1対多数。
圧倒的に不利なのは、女の方だ。
そこで。
こちらの連絡手段を潰した。
黒手会という、
大きな獣
の神経網をずたずたにして
麻痺させた。
狙うは・・・。
黒はそこまで考えて、
彼は
その首に
白い影の女から
華奢な腕を首にからめられ
ほおずりを受けつつ
湖の底
ともに息のかなわぬ水中に
手繰り寄せられ
ひきずりこまれるような
錯覚を覚える。
女は微笑んでいる。
黒の肺から
恐怖が叫びとなり
大小の泡となって
鼻から口から酸素を奪っていく。
女の腕は、首もとから離れない。
そんな錯覚と共に、全身を襲う悪寒に震えつつ、彼は
口元を
くぱあ
と蛇のように大きく開いて、けたけたと笑う。
「中々、綺麗な声して、どSな女じゃねえか。
俺の好みだ。」




