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番外編:忌麟11

私は、朝の日が森の向こうから昇る少し前に、目が覚めた。

昨夜はっちゃけた反動で

こう、テンションが低い。

いや、いつも高くはないのだけど。

とりあえず私は顔を洗うために

洗面所に向かおうと、私の部屋を出ると

どこかで見覚えのある大人が立っていた。


「おはよう。」

「おはよう。ございます。

あの、えっと。」

「ああ、急がなくていいぜ。

早くついてしまっただけだかんな。」


そう言ってその人は笑ったけど

目が全然笑ってなくて。


ーわ、怖いー


と思った。


「顔を、洗ってきます。」


私はそう言って会釈をすると

私の寝泊まりしている部屋の、回りの全体

通路全部の扉から。

気配が消えていた。


ーあ、もうみんな、出たんだ。ー


私は朝の用を足して

洗顔をして

男の人に会釈をして

その日に臨む

服を選ぶにあたり、しばし考えこんで

おそらく。

一番ふさわしくない服を、選ぶ事にした。


昨夜、先生が下さった

淡いピンクのブラウスと

スカートだ。


いや、さすが男性であるにも関わらず、手先がとても器用な

先生が縫われただけあって

とても動きやすい。

のーぶるな感じの服なのに

まるで空気をまとうようだ。

けれど。

さすがに。

でも。まあ。


私が準備を整えて自室だった場所を

出ると、男の人は、ほんの少し目を見張って

それから、少し笑った。


今度はちゃんと、目も笑っていた。



「何か?」

「いや、もう行けるか?」

「はい、お待たせしました。」


私はトランクを引いて、彼と並んで通路をゆき

本棟を出て

そのまま彼と歩いた。


「まあ、分かる通り、俺は青年団なんだけどな。」

「はい。」

「一応説明すんぜ。

しきたりの。」

「お願いします。」

「今俺たちは、君の待機場所に向かっている。

村の体育ホールだ。

中々広い。

戦闘が起これば、純粋な力勝負になる。

自信は?」

「ありません。」

私は素直に答えた。

「後ろ向きな答えなのに迷いが無いな。

先生様はまったくどういう教育…」


私はカチンときた。

ーこの人。

殺そうかな?ー


村に、人を殺してはならないという掟はない。

ただ、返り討ちに文句は言ってはいけない。


私の雰囲気を察知したのか、男の人は笑った。

「はは。

中々元気じゃねえか。

まあ、説明の途中だ。

取り合えずさせてくれ。」

「はい。」

「いい子供だ。

君の仲間達は、それぞれの持ち場で待機している。

神社、公民館、橋の下。

溜池。登山口。

図書館。まあ色々だ。

詳しくはこの地図を見てくれよ。」

私は地図というか、

ほとんどメモ用紙みたいな紙を渡され

乱暴に折られた四つ折りを開いて

視線を落とす。


簡単な地図。

施設記号と記号の下に表記される人名。

目は自然に、忌麟を探す。

ー結局、仲直りできなかった。ー


彼女の名前は、神社のマークの下に

強い筆圧で記されていた。


私の名前がある体育館と

直線距離で500m.

遠い。

まあ、関係ないけど。


私の肩の上から、男の人が覗き込む。

「決めたか?」

「いいえ。」

「はは。

まだ時間はある。

君は体育館に着く。

そこで誰と闘うか考える。

お互いに、生きて欲しい相手

というのは建前だ。

決着がついたら死人にくちなし。

まあ、でも好きな奴に殺されてやるのも

中々良い人生だよな。

ま、一番悲しいが楽なのは。

日が昼を回った時に、誰とも戦って無い時、だわな。

戦ってなかった。

そばに仲間の死体は無かった。

という場合は、可哀想に、誰にも相手にされずに。

せめても、安らかに、と薬を渡される。

飲めば安らかに行ける。

飲まなくても、悪で死んじまうけどな。」


それは私が一番予想していた末路だった。

私は先生の見込み通りに強くなれたけれど。

強くなりすぎた。

しきたりの今日、私に挑む者はいないだろう。

私は潰すには強すぎる。

かといって、私に潰されると分かってて

私相手に命をはってくれる

つまり。私に誰よりも生きて欲しいと

思う子も、いないだろう。


ーむなしい。ー


「で、俺とやりあいたいのかい?」

「いいえ。気が変わりました。」

「そうかい。

ま、せっかくだから、しきたりをまんきつしろよ。

久し振りの、血を見る日だろう。」


ー先生が、来てくださる前は、こんな日が普通だった


「そうです。」

「そうだよな。

で、聴きたいんだけどさ。」

「なんですか。」

「君の先生、強いのか?

やるとこ見たことないんだよな。

噂だけで。」

「強いです。でも」

「でも?」

「心配です。優しすぎて。」


青年団員さんは爆笑して

日が昇る直前の

朝の白い空を見上げた。

月が傾いていた。


「愛されてるねえ。

先生。

さ、着いたぜ。

じゃあ、俺はいく。

もし仲間を殺ったら入り口で待っとけ。

後よ。」

「はい。」

「君おもしれえからおしえてやんけど。

ここ結構古いからな。

あんまり派手に遊ぶなよ。」


男の人はウインクをパちっとして

私は昨夜を思い出して

恥ずかしくなって

まぶたをふせつつ

お辞儀をした。


…歩き去る彼の後ろ姿を見送っているうちに

日が昇り

村の景色の色彩と輪郭が強くなった。


テレビ映像で良く目にするような

小さな集落。


ここを、仲間達が歩き始めている。

事に私は一抹(いちまつ)の寂しさを覚えた。


誰でも良いから勝てそうな相手を殺して

合意の戦闘だったと嘘をつく。

気にはなれなかった。

嘘は先生が嫌う。


多分、今回に限っては、みんなそうだろう。


絶対とは言い切れないけれど。


ということで、私は体育館に入って。

入り口で靴を脱ぎ。

トランクも置いて

電気をつけて

中にはいった。


大きな明かりだったので全部つくまでしばらくかかり。

ついたあとは眩しくて

半分消してしまった。


それから、体育館西側の舞台にひょいっと

飛び乗って腰をかけて両手を舞台の端について

足をぶらぶらさせていると。


人の気配がしたので、私の背にこわばりが走った。

そのまま緊張で固まっていると

靴を脱ぐ音がして。


人影が現れた。





…先生だった。



「先生。」

「や。

案件が意外に早く終わったから。

来たんだ。」


ー嘘だ。

終わったではない。

無理やり終わらせた。

昨日の夜に出立(しゅったつ)して

夜中に自然に早く終わる程度の案件なら

村はそもそも先生に頼まない。

私は、私の斜め下隣で、舞台と床の段差に腰を預ける先生に

首をかしげた。


「先生。」

「ん?」

「お疲れですか?」

「ま、少しはね。」

「先生」

「ん?」

「何で、体育館に来てくださったのですか?」

「さあ、何でだろうね。」


私は先生の言葉に、とても突き動かされる物を感じて。

舞台の上から先生の首に抱きついて

泣き出したい衝動に()られた時。


体育館にまた、人が入ってくる気配があった。


私は首をかしげた。



ー誰だろう?

私と武を競ってくれる人。

私の生を望んでくれる人。

など。ー



気配は靴を脱がずに館内に入ってきた。








…忌麟だった。




美しい眉をしかめている。

右手で私が脱いだ靴を胸の前に掲げる。


「何やってんのよ。

靴なんか脱いで。

靴下なんかで殺し会うつもり?

馬鹿じゃないの?」

「え、忌麟ちゃん。

何で?」

「昨日。

あたしが床に叩きつけた服、拾ってくれたでしょ。

お礼に見せに来たの。

綺麗でしょ。」


確かに美しかった。

彼女は黒を基調としたチャイナドレスを身に付けており

無駄の無い体のラインと

合間から覗く豊かな太もも。

全体を、銀河のようなビロードにちりばめられた白

真珠

が、きらめいていた。


忌麟は栗色の髪をチャイナな感じでスッキリと後ろにまとめて

その分

整った目鼻立ちがいつもより印象的だった。

黒曜石の瞳。

美しい眉。

整った鼻筋。

愛らしい唇。


私はあっけにとられて、彼女をまじまじと見ていた。


「う、うん。

忌麟ちゃん、綺麗だけど。えっと。」

「ばっかじゃない。

もちろんそれだけじゃないし。

あんたと、闘いに来たのよ。

私の生をかけて。」

「え?だって。」

「何よ⁉不満?あたしが出向いてやったのよ?」

「あ、いや、嬉しいけど。

だって。

忌麟ちゃんに生きて欲しい子、たくさんいるじゃない。」


彼女は呆れたようにため息をついた。


「あんた馬鹿でしょ。

私は誰に生を望まれたから

命を恵まれるか

よりも

誰に生を望み

命を与えるか

を、選びたいの。

それにあんた、人気無いからほっとくと

ここで一人でお陀仏でしょ?

暗いったらありゃしない。」


ー図星だ。ー


「でも、忌麟ちゃんは。

良いの?

あたし、強いんだよ?

万が一だってあるし。」

「ぐじぐじ本当にうっざいなあ。

もう決めたんだから、後はあんたが受けるだけよ。

私はあんたに勝って生を歩むか、あんたを生かして

この生を終えるか、どちらかなのよ?」

「忌麟…ちゃん」

「この際だから言うけれど。

ちゃんずけは止めて。

他の人のちゃんずけは気にしないけど

あんたのは、おどおどしてて

友達じゃないみたいじゃない。」

「え?あ、うん。

分かった。忌麟。」

「それで良いわ。

それが当たり前なの。

さて、そろそろ本当に始めるわよ。」

「あ、うん。

分かった。」


私はうなづいて

舞台からすとん

と降りて

忌麟が持ってきてくれた靴を履いた。

土足だけど。

生と武を競うから。

こちらが優先される。


私と忌麟は向き合った。

と言っても、彼女はとても背が高いので

私は見上げる形だ。


ーどちらにしても。

そうだけど。

忌麟は私より強い。

誰にも相手にされない孤独な結末から。

忌麟が看取ってくれる。

先生も。

だから、二人分温かい、結末に変わったけど

とても幸せな事なのだろう。

だから、私は全力で、この子と武を競おう。ー


私は彼女にうなづき

彼女もちろん私にうなづいてから。

それまでずっと、沈黙していた先生に。


「先生。

合図を頂けますか?

開始の。」


と、凛と言った。


彼女が先生に、先生、とちゃんと言ったのは初めてで

私に彼女の覚悟が伝わり。

ーそうか、どういう結果にせよ、これでお別れなのだー

と思うとまた寂しく、そして緊張した。



先生は舞台に腰を預けたまま

返事をせずに

眉間を指で押さえて。

それから。

顔を上げて。

その長い前髪を、後ろに結わえて

私は何年かぶりに

先生のおでこを見た。

真っ直ぐで長い眉の下の

凛々しく澄んだ瞳も。


この期に及んで

習慣とは恐ろしい物で

ふわっと幸福になって

いつのまにかガチガチに

私の肩を縛っていた、ミエナイこわばり

緊張が解けた。


視野が広がる。

私はとても自然体で

ほんの少しほほえんで忌麟を見上げつつ。

先生の、


「始めて」


の声を待った。



その声は、穏やかに、深く。

体育館に響いた。






…忌麟と戦って分かった事。


彼女は私に、ずっと手加減をしていた。

私以外の、他の子にも。

つまり。

彼女は、8年前に先生が言ったとおり

とても優しい子だった。


でなければ、毎回碁暴君から私を助けない。


なら。仲良くしてくれれば良いのに。


でも。


彼女は優しいけど。

おどおどした人が嫌いで、イライラしてしまう。

私は基本

おどおど人だった。


では、なぜ、私と友達になりたいと思ってくれたか。


…なんか?

私の独り言が面白かったみたい。


彼女は優しく、優しいからこそ

無力を感じていた。

解体される仲間達。

顔面をけりぬいても懲りない碁暴君。

止めない大人達。


つまり、彼女は性格的に

超悪の組織な村に、壮絶に適応できない女の子だった。

だって、根っから優しい正義の味方だったから。


だからいつもイライラしていて

う…ざい

とつぶやく癖があったけれど。

気づいたそうな。


同い年の短命種仲間の女の子が

んぼると


と言っている。

それは、彼女が

う…ざい

と言い捨てるたびに。


彼女はとても可笑しくなった。

女の子が遠くでたんたんと

う…ざい

んぼると

の合いの手を入れてくれるたびに

大笑いをこらえて

苦しかった。

だから、その子からしたら

きっ

とにらまれてる気がしていた。


大笑いは恥ずかしい。

けど。

我慢せずに笑ってみたい。

と、思って悶々としていた実年齢4歳の

思春期に。


正義の味方が現れた。


彼女がずっと仲良くなりたかった女の子を

砂から助け出してくれて

初めて、その子を明るく笑わせてくれた。

世界が変わっていくのを感じた。


しかも

彼は強い彼女よりとても強く。

その事を認めたくなくて

会ったその日に、全力で技を出してしまった。

その時の衝動は、彼女の血脈の発現だけど。

自らの血脈由来の荒い(さが)に、

ひどく悩むことになるけれど

それは何故かというと。


その正義の味方が、

彼女に、笑ったほうがいいと

言ってくれたからだ。

だって、それは、彼女がずっと望んでいたけれど

できなかった何かだったからだ。


その日。

二人の女の子が、それぞれの形で

正義の味方に恋に落ちた。


…と、まあ、こんな感じの語り合いが

超絶戦闘中に

お互いの拳を通して伝わったのだけど。


そんなガールズトークができてしまうくらい


私達の戦闘は長く

激しいもので。


で、その戦闘の果てに。

私の脳はすりきれすぎて廃人手前で

ふらふらとして


忌麟は私に全身の骨を粉々に砕かれていた。

まだ無事なのは頭蓋骨と神経網だけで

肋骨から尾てい骨から全部あらゆる骨の欠片が

内蔵に突き刺さっているし

とっても痛いし多臓器不全でそのうち死んでしまう。

つまり致命傷だ。


私は酔っ払いが悪い塗料にらりらりになるみたいに

くるくる目を回していたけど

取り合えず立っていた。

けれど

忌麟は完全に体育館の床に膝をついていた。

私の勝ちだ。

けれどととめは目が回り過ぎて刺してあげれなかった。


勝利の原因は分からない。

気温、湿度、気候、月の満ち欠け

ありとあらゆる物が原因と考えられるけれど。

分かっている事と言えば。


その殺し会いは、紙一重だった。

何が分けたか分からないほど

お互いの実力は似ていて。


何だかんだで、私と忌麟は似たもの同士だった。

初めての恋の相手も。

相手に傷つくポイントも、全部同じだったから。


閑話休題。


私は彼女に致命傷を与えたけれど

彼女に止めをさしうる状態でではなかった

ので。


彼女は根性で立ち上がり

ふらふらの私を

ぐーで殴りとばして


「私にかったんだから。

情けないかっこすんなばーか。」


と、言って。

先生のそばまで、よろ、よろ、と歩いて行った。


ー凄い。

砕けた骨を筋肉で支えている。

物凄い身体操作だ。

と、私は朦朧(もうろう)としながら思った。


忌麟のチャイナドレスドレスもぼろぼろで

裾は破れ裂けて

胸元も裂けて白い肌とおわんみたいな形の乳房(ちぶさ)

はだけていたが。


その姿さえも。

彼女を美しくしていた。

それはとても強い命の最後の輝きで。


先生はそんな彼女の瞳を、じっと見つめていた。

そして、彼女は先生のたもとにやっとたどり着き

私からは、ちゃんと見えなかったけれど

ほほえんだと思う。


とても、とても、多分

忌麟の生涯で一番美しく。

彼女は先生の頬を包むように

両手の指先をあてて

その陶器のようになめらかなうなじを傾けて


先生に

柔らかく口づけをしてから

先生の胸元に崩れ落ちた。



ーえ?

ええええええ?

えーーーーーーーーー!ー


私の意識はびっくりして思いっきり覚醒し

脳がすりきれすぎて再起不能になるところだった。

けど、そこは踏みとどまって

二人。

先生と、先生の胸に抱かれる忌麟。

に意識は注がれる。


いや、え、だって、そんな…!


私の頬は真っ赤に染まって

染まり過ぎて後に卒倒しかけた。


忌麟は崩れた先の先生の胸元から彼を必死に見上げて


「あ…し…


……てま……」


と途切れ途切れに

かすれた声で

先生に呼び掛けたけれど

最後は声にすらならなかった、

時。


先生は、

「よく、頑張ったね。

もう、おやすみ。」

と、柔らかく口角を上げて

彼女の栗色の髪におおわれた頭部に

そっと、手を置くと


私は、彼女に宿っていた、最後の命の炎が

完全に消えたのが

分かってしまった。


「忌麟………忌麟………きりん」

私の口が勝手に動いて

壊れた蓄音機みたいに

ずっと彼女の名前を呼んでしまった。

その時の私の目尻からは

熱いシズクが両方から止まらなくて

鼻水もよだれも

何が何だか分からない感じになってしまった。


私は、彼女に憧れて

あのこみたいになれたらどんなにか幸せだろうと

思っていた

けれどその羨ましさが敵意に変わらなかったのは

私は、彼女が大好きだった。

仲良しになりたかった。

でも、もういない。

好意を抱く相手を喪う事が、こんなに辛いとは。

こんなに。引きちぎられるとは。

想像できなかった。

感覚に混乱する私をしり目に

先生は、歯を

ぎっと噛み締めて

あふれだす慟哭(どうこく)をこらえながら

喪われてしまった忌麟の亡骸を

その両腕で抱きすくめるように

強く

抱き締めていた。


先生の三つ編みも

先生のからだごと

忌麟の体を強く、抱き締めていて


ああ、やっぱり

そうだったのか。




思った。



…戦闘を終えた体育館は

いくつもの支柱が完全に破砕されていて

支えを喪った何かがよじれるように

小刻みに揺れて。

天井付近に張り巡らされた鉄骨に

長年積もりに積もったわた(ほこり)

ふるいにかけられるみたいに

または

雨の後のぼたん雪みたいに

体育館の床一面に、降り注いでいた。


そんな中

忌麟の体は体育館の隅っこの

ほこりの落ちてきにくい

ある意味死角に横たえられて。

先生は、彼女の横に腰をおろし

すらりと長い両足をおりまげて

膝を抱えて

宙を見つめている。

いや、

見つめていない。


彼の充血した真っ赤な瞳は

いつもの澄んだ涼しげな光をすっかり失って


何も、見えていなかった。


忌麟は命の灯りを喪ったけれど

先生は、精神の灯りを、この世から喪いそうな感じだった。



ーあ、もしかして。

先生ももう、手遅れ、なのかな?ー

と、私は先生の横で膝を抱えて

先生の、端正すぎて人形みたいになっている

横顔をのぞきこんだりしたけれど。



「先生」


と、呼び掛けても、返事がない。

ただの脱け殻のようだ。


でも、そんな間にも


天井の揺れ幅は大きくなって

体育館はすりこぎをこぐような音を大きくして

きしんでいる。


このままでは危ない。

まあ、先生に物理的な攻撃は効かないけれど

鉄骨が効かなくても

火事とか起こったらさすがに終わりだ。


私の脳は休息の時間を置いて回復したので

すくっと立ち上がり

膝を抱える神話の神と

本当に死んで永眠してしまってる美女を

代わる代わる眺めた。

………悔しいくらいお似合いだ。


ーそれが本望なら、二人でここに埋もれれば良いじゃない。

せいぜいおっきなお墓になると良いですよね。ー


とか意地悪に思って

私は入り口にむかって

くるりときびすを返した。


けど、やっぱり気になって

肩越しに振り返ると

やっぱり私など見ていない。

先生の精神は、どこにもない。


事に、とても悲しくなってしまって

涙じゃなくて

ーまあ、ここで涙が出るのが女子力なのだろうけどー

鼻水がでて、

私はそのまま彼に駆け寄り

肩から拳を振りかぶって

斜め上から、思いっきり先生の頬を殴ったけれど

やっぱり先生に物理的攻撃は効かなくて。

途方にくれて、

へなへなと両膝をついて

へたりこんでしまった。


ー時間は本当に無いのに、忌麟はのんきに死んでるし

本当に、うー

もう、分かった!ー


と、私は一大決心をして

膝はそのまま

先生の前に両手を床について

ワンちゃんみたいな姿勢をとって

首を斜めに傾けながら

そのまま、先生の唇に私の唇を重ねた。


とても柔らかい感触に

私はまた

彼に恋をした刹那を

8年前の幸福感

ー桜吹雪が吹き抜けるようなー

を思い出してしまった。


いや、本当は、先生に口づけをしたら

眠ってるよう死んでる

忌麟が怒って生き返るんじゃないかとか

おもったのだけれど

そんなことはなく。



けれど。



微かに。

本当に微かに。

先生の瞳に、光が戻ったので

私はその光に向かって

語りかけた。


それは、呼び掛けるように。

または、必死に祈るように。



「先生、せんせい」

「え、ごま、さん?」

「先生、今、死にたいでしょう」

「え、あ、ええと。」

「今に限らず、いつも、死にたいでしょう。」

「え、いや。ええと。うん。そうだな。

僕はいつも、死にたいんだ。

死ぬことでしか、許されな」


私は先生が言い切る前に、

先生の両のほっぺたを両手でつねって引っ張った。


「え、おあ、しゃん?」


私はつねったまま、先生に語りかける。

ー先生の言葉が悲しすぎて、また鼻水がでて

そのはすかしさが、悲しさに拍車をかけるけれど

今ここで、先生を離したら

また去ってしまう気がする。

ので。

取り合えず、鼻をすすって

こほん、と咳払いをする。


「失礼。

でも、先生。

駄目ですよ。

先生には保育所の子達がいるんです。

みんな、先生が生きててくれた方が幸せです。

少なくとも私は、1割以上は。」


先生の瞳に、迷いが生まれた。

良かった。

迷うということは、大分、戻って来られた。

後は、だめ押しの、何か。

と考えあぐねた結果、

私の胸には、はずかぢいような

照れくさいような

本当にもじもじしてしまうような

いたずら心がわき出た。

でも、押し留める。

時間が無かったからだ。

それに、一回はした。

これは私史上最大のロマンス

「逆眠り姫的口づけ事件」

として墓場まで持っていこう。

どうせ共同墓地で、忌麟だって待ってるんだから。

思いっきり喧嘩をしよう。

それが友達だ。

とか考えつつ、私は先生に微笑んだ。


「ちゃんと、こっちにいて下さいね。

じゃないと、口づけしちゃいますよ?」


そこで先生ははっとして

ほっぺたが私の指からほどけて

動揺の光を、その瞳に宿した。


「え?僕は、まさか?

いや、でも、感触は、え?君と?」



「さあ、どうでしょう?」

私はそう言って、すくっと立ち上がった。

もう大丈夫。

もしまた行ってしまったらまた引き戻す。

何度でも。

どんな事があって、も。


私は隣でのんきに死んでいる忌麟の背に両腕をさしいれて


よっこい


と抱き上げて

先生にバトンしつつ言った。


「行きましょう。

ここは後少しで崩れますし。

この子だって、こんな埃だらけで眠りたくないはずですよ。」

先生は、しばし私を、不思議そうに見上げて

それからやっと

微笑んで下さった。

「そうだね。

行こうか。」

先生はそう言って立ち上がった。

ので私はひとつ、お願い事をした。


「先生。お願い事があります。」

「うん?」

「三つ編みの先、引っ張らせて下さい。

私が先生の先を歩きますから。」

「え?」

「だって、先生の両手は、忌麟で埋まっているでしょう?」


先生はとても柔らかい苦笑をされた。

返事の代わりに

三つ編みの先が

ひょっこ

私に動いたので、私は迷わず

つかんで緩く引っ張りながら、

綿埃のおおゆきの下を体育館の入り口まで、歩き始めた。




以上が、

私のふわっとした

初恋と失恋の物語だ。



8年間という私の20年間

ずっとずっと思い続けて

見事に忌麟にかっさらわれて


私の恋は終わりを告げた。


あんな不思議な先生に恋をしてしまう

忌麟は、絶対不思議ちゃんにちがいない。

私も人の事は言えないけれど。


そして、多分私の書き方がつたな過ぎるから

伝わらない真相を書こうと思う。


私は忌麟を色々な意味で誤解していた。

彼女はとても優しく、私と同じく先生に恋をして

そして私を気遣っていた。

だからこそ、

しきたりの時に私をほおっておいたら私が死ぬことも分かっていた。

でも、彼女はほぼ確実に死なない。


その場合、私は先生の記憶に永遠に刻まれる。

私を見捨てたくない

私に先生を永遠に取られたくない

そういう思いで、彼女は確率のサイコロを

ふった。

まるで恋の花占いみたいに。


結局

確率のサイコロで

私を救い彼女は先生の心に刻まれる事となった。


でもね。

彼女はひとつ

勘違いしている。


私はずっと後で知ったのだけど

彼女は、先生の亡くなった想い人とそっくりだった。

だから先生は彼女に色々重ねてしまってた

という。


まあ、先生の恐怖の皿を絶対に残さなかった根性が

先生の胸を毎日打ってたのは事実だし

悲しくなるのでこれ以上は書かない。


でもね。

私の想いだって

ちょっと書くつもりでこんなにかいてしまうのだから。

強いと思う。


本当に、想いというものは

失恋してもそう上手く消えてくれない。


そもそも、先生以上の人などこの世にいるのか


と悶々としてるけれど。


明日は初めてのおつかいだから

もう寝ないと。


と、思いつつ、徹夜覚悟で暗号を仕込みはじめた私は

やはりちょっと不思議ちゃんなのかもしれない。

























タイトルが穢胡麻なのに

彼女が全然出てこない展開に

彼女成分を補充したくて描きました。


穢胡麻のお茶目さと

先生のチートな駄目加減が伝わったら幸いです。

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