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番外編:忌麟1

 先生は不思議な人だ。

 元々不思議な村でもかなり不思議な人である。

 不思議不思議って、どこがそんなに不思議なのと訊かれたら

 私は迷わず先生の髪について話すのだろう。

 先生の男の人なのに髪は長い。

 背もとても高い。

 とても高い先生のかかと近くまで先生のサラサラすとれーとな髪は真っ黒く伸びている。

 世の中には先生みたいに髪を伸ばしている人もいるだろうし

 なので髪が長い事は不思議ではないけれど。

 とても不思議なことは、先生が髪を三つ編みに束ねると、その長い髪が黒く長い手

 というより触手?みたいにうねうねと動くのだ。

 そう言えば少年ジャンプとかで触手を操る教師の漫画があったな。

 先生の髪はあの漫画みたいに長く伸びるし、といっても2m弱だけど、

 お皿も持てる。

 ちなみに先生が作った料理が盛り付けられた皿を

 保育所で育つ私たちは、「恐怖の皿」と呼んでいる。

 それはさておいて、先生は三つ編みの先で保育所の赤ちゃんを高い高いできるし

 天窓を拭いたりできる。

 この前うちの天井の蛍光灯の寿命が尽きたので、ちっちゃな男の子を三つ編みの先にのせて

 彼に交換させたりしていた。

 うん。

 こう書くと人以外の生き物みたいだ。

 けれど先生はれっきとした人間だ。

 私達のような短命種はいさいくらーでもない。

 なのである時私は先生に訊いてみた。

 「先生はなんで三つ編みを動かせるんですか?」

 「うん。これはね。

  人殺しの目的としてしか磨いて来なかった技術をさ、保育士としてどう生かすかを

  真剣に考えあぐねた結果なんだよ」

  そう言って先生ははにかんで笑った。

  三つ編みの先30cmが子犬の尻尾みたいにパタパタと揺れていて。

  ―そもそも考えあぐねたくらいで髪の毛の先は動かせるようになるのか―

  とか、色々な突っ込み所が満載すぎて、私は言葉を失った。

  のだけど。

  先生の、はにかみ笑いが癒し系過ぎて、結局それ以上の追及はできなかった。

  先生の前髪は三つ編みほどではないけれど、とても長い。

  すっきりと整った鼻筋の先まで覆っている。

  けれどあの人が動くたびに前髪が揺れて隙間から

  長く真っすぐな眉毛とか、

  慈愛みたいな光を宿した凛々しい瞳とかが覗くので、それを目撃した日は

  私は一日くらいは、よほど悲しい事でもないかぎり、

  ふわふわとした幸福な気持ちになる。

  

  話がそれてしまった。


  私は先生が、三つ編みを動かせる不思議な人だと書きたかった。

  三つ編みが不思議なのではない。

  先生が不思議なのだ。

  いや、三つ編みだって十分不思議なのだけど。

  例えばある朝、早く目が覚めたので私は保育所から抜け出して散歩に出かけた。

  朝もやが光を白くはらんでいて、煙とか夕立みたいになってた。

  先生はその中、外用の椅子に座ってすらりと長い足を組んで

  腕も組んで、たまに右手の親指の先で顎の先を撫でたりしていた。

  長い前髪の奥の視線は、先生の目の前のキャンパスと

  その先の花壇に注がれていた。

  キャンパスの下には絵具が12色と、パレットもあって

  色んな色が夕焼けの空みたいに混ざり合うところに

  先生の三つ編みは先をちょん、とつけて

  キャンパスにすらすらと、花壇を写生していた。

  実際のところ、キャンパスの色彩の方が、花壇よりも鮮やかで美しいというか

  心に迫るものがあって、私は

  ―先生の目には、花壇はこう見えているのか―

  としきりに感心したものだ。

  「先生」

  「おはよう。穢胡麻さん。」

  「綺麗ですね。」

  「うん。色々植えた甲斐があった。」

  「いえ、先生の絵が。

   絵も、お上手なんですね。」

  「ははは。

   そんなことないよ。

   水彩画はまだ簡単なんだけどね。

   北斎は無理だ。

   きっちりとした線は精度が要求されるからね。」

   黒髪の奥の瞳は優しいけれど、先生はご自分にとても厳しい。

   常に上昇する事を忘れない。

   花壇の花もきっちり等間隔で植えるし

   水やりも忘れない。

   三つ編みの先で水彩画だってかけるし。

   知識だって森羅万象を網羅している。

   そしてとても強い。

   村の助役の堺間さかいまさんは、先生を、この死で溢れた美しい世界で

   最も強い獣の一人だと評価したことがある。

   ちなみに堺間さんは先生の指で、のど元をえぐられかけた事がある。

   そんな事が出来て、またそんなことをして生き延びている人を、私は先生しか知らない。

   といった感じで、三つ編みを動かすことを筆頭に、とても多彩な才能をお持ちになる先生だけれど

   神様は意地悪なもので、どうしても不得意なものが一つある。

   

   料理だ。


  料理という物は結局は化学反応だと思っている。

   適切な素材を適切な手順を経て適切に加工し適切に盛り付ければ

   美味しい料理の出来上がり。

   というのが料理だと思うのだけれど。

   先生に限っては何故かその限りではない。

   何故だろう?

   分からないけれど、先生が調理過程に手を一つ出すと

   一噛み分、噛んでいられる回数が減る。

   皿から運ばれる一口の、口腔内の可能滞在時間というか。

   何故だろう。

   先生は千切りだってミリ単位で揃えれるし、調味料の分量だってきっちり誤差無く扱うのに。

   ずっと前、興味本位でみんなでシュールストレミングを取り寄せた事がある。

   確かに缶詰からガスが噴き出た時は細菌兵器の取り扱い訓練を思い出したし臭いも酷かったけれど

   口に含んだ感想は。

   「先生の料理より美味しい。

    というより、意外に食べれる。」

   だった。

   これは私だけではない。

   ほぼ全員共通の感想だった。

   そういうわけで、本来は給仕は先生の仕事であるけれど

   最近は保育所の子供たちが代わる代わる、自発的に先生の料理を手伝っている。

   というよりも、できるだけ先生に料理に関わらせない。

   これが保育所の私たちの編み出した、

   先生の恐怖の皿から生き残る知恵 

   である。

 

   もちろん全員が先生を手伝うのではない。

   忌麟きりんは先生の料理を絶対に手伝わなかった。

   彼女は私と同じ短命種(はいさいくらー)で、でも、同じ種ということ以外は

   私と共通点がほとんどなかった。

   背は私よりずっと高く、先生よりちょっと低い位で。

   普通は身長に比例して顔や顎も大きくなると思うのだけど

   忌麟は私よりも顔が小さくて

   血色もよく、ほっぺたとか柔らかくてほんのりピンクっぽかった。

   瞳は涙袋がくっきりとしてて

   黒い宝玉のような瞳はなにかきらきらしていた。

   まつげだって私より長いし、本当にフランス本場の人形っぽかった。

   ちょっと目元に薄いくまがあった以外は、彼女は本当に美しかった。

   髪だって栗色だったし。

   で、この全てが過去形なのはどうしてかというと、

   彼女はもうこの世にはおらず、村の共同墓地で永眠してるから。

   彼女は私が殺した。

   あ、とどめをさしたのは先生だから、正確には先生かな?

   まあ、大したちがいではない。

   とにかく彼女はとても背が高くて、美しくて全体的にきらきらしていた。

   私が彼女みたいに美しければ、もっと幸せそうに振る舞うのになあ

   と、思わざるをえないくらい、忌麟はいつも苛々していた。

   特に、先生に対して苛々していた。


   「あの三つ編みお化け、なんであんなにうっとおしいの?

    料理が苦手なら苦手でいいじゃない。

    なんで悩むわけ?

    まずい皿ならまずい皿でいいじゃない。

    馬鹿々々しい。」


   と、言う割に彼女は先生の恐怖の皿を一口も残すことがなかった。

   みんなみたいに悶絶も何もせず、冷淡と言えるほど涼しい顔で平らげて

   「不味い。」

   と一言だけいうのである。

   あ、でも、口は辛辣だけど寛容だとか、そういう子ではなかった。

   彼女は鰻が大嫌いで、でも先生が

   「食べ物の好き嫌いは良くない。

    特に若いうちの女の子は」

   と言ってひつまぶしを晩御飯に出したその晩

   ―そのひつまぶしは不幸にして先生が調理をしたので

    死の棺を味覚にしたらこんな感じになるのだろう、というような味わいだった―

   忌麟はとても怒り狂って

   

   「もういい。

    三つ編みお化け殺せば鰻喰わなくて良くなる。」


   と吐き捨てるように言って、先生の当直室に向かって

   超高速で駆けだしたので

   私は慌てて彼女の背中を追った。

   ちなみに彼女の足はとても速い。

   そしてその速さが強さにつながっている。

   どこかぼーっとしてしまう私とは正反対だ。

   

   彼女に十秒ほど遅れて先生の当直室に入ると、

   ちなみに当直室の部屋に鍵がかけられることはない。

   オープンな当直室、保育士、それが先生の主義主張である。

   …先生はシングルベッドに胎児のように身体を丸くして

   寝ていた。

   黒髪が額で七三に分かれて七の方がシーツに垂れていた。

   髪と髪の隙間から

   閉じたまぶたと長いまつげ、凛々しい眉がのぞいていた。

   三つ編みは解かれていた。

   寝息が規則的にたってたけれど

   時おり嗚咽が混ざった。

   閉じられた目元から、涙が透明な筋を作っていた。

   細胞を覆う透明な管のように、その涙の筋は目元から頬骨を伝ってシーツに滴っていた。

   

   先生は眠りながら泣いていた。

   とても悲しそうで。


   私はとても悲しくなった。

   忌麟は先生の寝顔を見下(みくだ)すようにみおろして

   じっとしていた。

   彼女の肩が少し震えていた。

   私は声をかけるべきか悩んだけれど、収拾をつけるべきだと思い、横に立って声をかけた。


   「忌麟…ちゃん?」

   「白けた。帰る。」


   そう言って彼女は踵を返した。

   その時私は悟った。 

   彼女は私と同じ種類の悲しみを覚えている。


   先生は、夢にうなされながら泣いていた。

   それは、夢の中の過去。

   決して語ろうとしない、村の保育士になるまでに彼が歩んできた生の

   悔恨と悲哀。

   なのだろう。

   彼の生が、彼を責め立てている。

   その視界に、保育所の私たちはいない。

   それが、たまらなく、寂しい。

   とても、悲しい。


   私はとりあえず、先生の頬を濡らす涙をハンカチでそっとぬぐって

   お部屋をおいとました。

   翌朝、忌麟と顔を合わせると、彼女はふてくされたように顔を背けた。

   理由はすぐに分かった。

   まぶたがぽっこり、可愛らしく腫れている。

   黒めがちな瞳のわずかな白が赤い。

   あの後、彼女は泣いていたのだ。

   一方、先生は。

   いつもと全く変わらない、穏やかで柔らかい笑みを口元に浮かべて

   朝食を配膳していた。

   とても幸せそうで、

   私も、ほっとして、なんというか膨らみ方のもの足りない胸に

   ふわっとした幸福感がこみ上げた。

   それから、

   私は先生のその能天気さと、いつもと変わらずに幸福感を覚えている私自身に

   ちょっとだけ

   



   …いらっとした。

   

   さて、少しだけ書くつもりだったけれど

   大変長くなってしまった。

   というわけで。  

   


   続く。

      

 

   

   

  

  



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