2-13 :石頭
男は柴崎を抱き起した。
そのまま彼の背に付着する林の土や細かな葉などを払い落とし
それから柴崎の肩を抱きかかえるようにして
黒塗りの車まで歩き出した。
はたから見ると。
黒ずくめの大男が、中背中肉の柴崎の介抱をしているようにも見えなくもないけれど。
決定的な違いは、男が柴崎の耳をそのごつごつとした指の先でつまむように掴んでいることだろう。
このため、彼は男が進む方向に進むしかない。
もちろん、意識を回復したてで朦朧としている、という事もある。
柴崎の肩が接触している男の胸板はとても厚く。
それは抗いようのない壁のような物を彼に感じさせた・
二人は林を下って路上に出る。
黒塗りの大型車がサイドドアを開いている。
暗黒の穴のように見える。
そこに押し込まれる段になって
急速に柴崎の意識はクリアになり、同時に危機感を背筋に覚えて
彼は声を
助けを呼ぶ声を横隔膜の奥から絞り出そうとした時
ぽんっ
と、男のてのひらが柴崎のみぞおちをはたいた。
それは羽毛が触れるような軽さだったけれど
同心円状に波動が広がるような衝撃に
柴崎は呻き、上半身をかがめる、タイミングで車内に押し込まれ
シートベルトを肩から掛けられてから、手錠をはめられる。
手錠はとても冷たく、無機質である。
その無機質さに混乱を覚えているうちに、彼の横に開いていたサイドドアは
静かにしまった。
その静かな閉まり方に、とても禍々しい何かが始まる予感
つまり恐怖を柴崎は覚える。
彼と反対のドアが開いて、男が乗り込んできた。
運転席に腰を沈め、ライダー用ヘルメットという球体を首からもいで
後部席に置く姿に柴崎を気に掛ける様子はなく、
彼は自尊心の崩壊といら立ちを微かに感じる。
「どこに行くんだ。」
柴崎は、動揺を押し殺すように、精一杯の威厳を込めて尋ねる。
フロントから差し込む月明りの中、男の片眉がわずかに上がる。
「頭がいいんだな。」
「・・・?」
「大抵の奴は、俺に攫われたら、
『あんたは誰だ』
とか訊いてくる。
名乗り合うのは人間関係の基本だ。
だが、俺に攫われた時点で、もう人間同士の関係じゃない。
運送屋と積み荷の関係だ。
で、あんたは要件だけ尋ねた。
『どこに行くんだ』
てのは称賛に値する台詞だ。」
男の低く静かな語り口、テノールをきいているうちに
柴崎の内部から混乱が退いていく。
―会話が成り立つー
「称賛を受けるのは慣れているが、有り難いな。
有り難いついでに頼みたい。」
「なんだ」
「手錠を外してくれ」
「駄目だ。
お前が暴れても俺は構わないが、お前の安全が保障できなくなる。」
「そうか。
なら、この手袋外してくれよ。
俺の指は荒れやすいんだ。」
柴崎はそう言って
胸の前に手錠された両手を掲げ、手のひらを開いたり閉じたりする。
と、男はじっと、その手の視線をそそぎ
柴崎の方に身を乗り出して彼の手にはめられている手袋を取ろうとした。
ので。
柴崎は一瞬後ろにのけ反って
思いっきり男の額に頭突きをする。
真っ白な衝撃が柴崎の視界と脳蓋を揺らす。
―本当は鼻っ柱にしたかったが
これで怯んでくれれば、逃げ出せるかもしれない―
…という彼のすがるような期待と裏腹に
男は微動だにせず
何事も無いように柴崎の手袋を外し。
逆に、柴崎の眉間が切れて、彼の端正な鼻筋に
斜めに血が細い筋を作る。
蛇の舌のようだ。
男はそんな彼を一瞥して、猛牛のような体をひねり後部席から小箱を取り
開いて、脱脂綿を取り出し
消毒液に浸して
柴崎の眉間の血をぬぐい
チューブのステロイドを塗りつつ、言う。
「悪いが俺は石頭なんだ。」




